ある日、福島の親せきから「お父さんが認知症で異常行動をしている」との連絡が入る。早速、福島へ戻り医者に連れて行った。やはり認知症と診断された。
Aさんは東京の自宅に引き取り、お父さんの面倒を見ようとしたが、それはお父さんの方が頑なに断ってきた。
認知症に特効薬もなく、お父さんは夜中にトイレに起きると、猟銃を保管しているロッカーをトイレと間違えるようになった。お父さんは猟銃の免許を持っていた。猟銃で人を撃つ前に猟銃はすぐに売却した。
東京で引き取れないのならAさんが福島へ帰るしかなくなってくる。今度は奥さんの方が福島行を嫌がった。そんな状況でAさんが福島へ帰る覚悟を決める決定的な事件が起こった。
週一ぐらいの割合で福島へ帰っていたが、ある時自宅に万引きしたと思われる品物の数々が家の中に転がっていた。おカネの管理ができなくなっているので、2日に1回生活費程度を郵便局に振り込んでいた。お父さんはそれを引き出して食料を買って食べていたが、振り込んだおカネでは買えない高額商品があった。車の免許は持っていたが、運転は危ないので売却していた。歩いて2時間かかるホームセンターへ行って万引きしていた。
それまでは福島の実家にカメラを取り付けてインターネットで室内の様子が分かるようにしていたが、家を出れば何をしているか分からない。
老人介護施設は不足しており、Aさんの場合も2年待ちだった。
オーナーに介護同居の件を相談した。そのためには一旦、会社を辞めることになるが、父親が亡くなったら、また会社へ復帰できるようになった。
父親の介護で業界を離れて1年近くが経過している。静かな田舎で暮らしてみて、Aさんは難聴だったことに気づいた。テレビのボリューム数字が1年前に比べて、確実に小さくなっていたからだ。現場に立っていた頃は鼻毛が伸びるのも早かったが、それも遅くなった。
現場に復帰した時に、ハンマーの腕が鈍らないようにするために、ハンマーを持参して振ったりしていた。自分は職人の自負があったが、モノを作る職人ではないと思うとハンマーを握るのも虚しくなって来た。
Aさんは介護施設不足を痛感する一方で、廃業した郊外型ホールの有効利用に介護付き有料老人ホームを作ることも一つの方法だと思った。
郊外ホールは駐車場もたっぷりとあり、敷地面積としては申し分ない。ホール企業がデイケアサービスを行っているケースもあるが、重要なのは介護付き有料老人ホームの方だろう。

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