パチンコ日報

ニュースにならないニュースの宝庫 

消えない遠隔神に縛られる業界の宿命

過去に「遠隔操作」が存在したことは、残念ながら否定しようのない事実だ。しかし現在、そのような行為は発覚すれば即、営業取消という致命的な結果を招く。リスクと見返りがまったく釣り合わない以上、そんな愚かな賭けに出る経営者は、もはや存在しないと言っていい。

それでもなお、ユーザーの間では「遠隔神話」が根強く生き続けている。

典型的なのが、「あの店は特定の客だけ勝たせているらしい」という類の噂だ。勝っている人がいれば疑われ、負けが続けば確信に変わる。証拠はなくとも、感情が噂を事実のように増幅させていく。

競合店がひしめくある地域での話だ。この界隈では複数のホールを行き来するユーザーが多く、情報も人づてに流れやすい。そんな中、あるホールで「遠隔をやっているらしい」という話が出始めた。

ネガティブな話題ほど口コミの拡散力は強く、やがてそれは、あたかも既成事実のように語られるようになった。

遠隔の噂があるホールと、そうでないホールを行き来している客の一人が、後者の店長にこう告げた。

「あそこ、遠隔してるらしいよ」

同様の話が一人二人ではなく、複数の客から寄せられたことで、店長はこの噂が客同士の間で「共有情報」になっていることを確信した。

しかし店長の認識は冷静だった。

「今どき、そんな馬鹿なことをするホールはないと思います」

競合店であっても、業界人としての常識からすれば否定せざるを得ない話だった。

店長はこの状況をオーナーに報告する。するとオーナーは、ある対策を指示した。それは店頭に一枚のポスターを掲示することだった。

《他店では分かりませんが、当店では決してお客様を裏切るような遠隔などの行為は一切しておりません》

一見すれば誠実なメッセージだ。しかし、掲示からしばらくして匿名の抗議電話が入る。店側は、遠隔の噂が立っている競合店からのものではないかと推測した。

結果として、そのポスターは剥がされることになった。遠隔問題がこれ以上表沙汰になること自体が、業界全体にとって不利益だからだ。過去の過ちを完全に消すことはできないが、いつまでも引きずり続けるのもまた得策ではない。

それでも、噂は消えない。事実ではなく、記憶と感情が生み出す「神話」として、今日もどこかのホールで囁かれている。業界が本当に向き合うべき敵は、不正そのものよりも、この消えない疑惑なのかもしれない。




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ホールのマスコット戦略が失敗したワケはくまモン幻想だった

かつてホール企業では、マスコットキャラクター制作が一種のブームとなった時期があった。

各社が自社の「顔」となるキャラクターを立ち上げ、業界を挙げて盛り上がった象徴が「Pキャラグランプリ」だ。2022年には73ものホール企業が応募し、盛り上がった。しかし、それ以降この企画は開催されておらず、マスコットキャラクターブームは一段落したかに見えた。

ところが最近、あるホール企業で再びマスコットキャラクターの社内公募が行われたという。条件はなかなか太っ腹で、採用されたキャラクターの作者には賞金50万円を進呈するというものだった。社内でクリエイティブ人材を発掘し、次の一手を探ろうという意味合いもあった。

この企画の背景にあったのが、社長の「くまモン」への強い憧れだった。言わずと知れた、ゆるキャラブームを牽引した立役者であり、今なお全国区の知名度を誇る存在だ。社長は、くまモンのように他企業とタイアップし、グッズ展開を行い、キャラクターの版権使用料を新たな収益源にできるのではないかと考えたのである。

そこで社内に向けて、「もし採用キャラクターに版権使用の話が来た場合は、その収益の10%を作者に還元する」と発破をかけた。やる気を刺激するように思われたが、結果は芳しくなかった。応募作品は集まらず、「これは」というキャラクターも現れないまま、コンテスト自体が頓挫してしまったという。

この失敗の根本には、社長の大きな勘違いがある。くまモンは、キャラクタービジネスで莫大な版権収入を生み出している存在だと思われがちだが、実態はまったく異なる。

くまモンのキャラクター使用料は原則無料であり、熊本県の許可を得れば、企業や団体が商品、名刺、Webサイトなどに無償で使用できる仕組みになっている。

ただし条件がある。それは、熊本県のPRや産業振興といった目的に沿う使い方であること。特定の企業や商品だけを露骨に応援するような利用は認められていない。つまり、くまモンは「稼ぐためのキャラクター」ではなく、「熊本県全体の価値を高めるための公共財」に近い存在なのだ。

この前提を理解せず、「キャラクター=版権ビジネス」という発想だけで企画を立てても、うまくいくはずがない。社内から見ても、ビジョンが曖昧で、夢は語られても現実的な活用像が見えなければ、アイデアも生まれない。

マスコットキャラクターは魔法の杖ではない。成功例の表面だけを見るのではなく、その成り立ちや思想まで理解した上で設計しなければ、次の「くまモン」は生まれない。今回の一件は、キャラクター戦略の難しさと同時に、安易な成功幻想への警鐘とも言えよう。



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人生を駆け抜ける遊びの力――ギャンブル依存症を走ることで脱却

「ギャンブルをやめたら、時間が持て余してどうしたらいいかわからない」。これはギャンブル依存症から抜け出す人々の共通の嘆きだ。依存症からの脱却を目指す人々が口を揃えてこう言うのは、ある意味で自然なことだろう。重要なことは金銭だけではなく「時間」でもある。

遊びを持っている人は、暮らしや仕事が安定する。さらに遊びが充実すると社会的健康、精神的健康、身体的健康がアップする。遊び、暇つぶしにはそんな効果があるわけだが、これが度を越してのめり込むと、ギャンブル依存症のような問題を孕むことになる。

依存症治療の新たなアプローチとして注目されているが、「走ること」を取り入れた方法だ。 ウォーキングやランニングを生活の一部にすることで、依存症からの回復を目指す。

走ることの魅力はおカネをかけずに身体的健康がアップするだけでなく、走ることが精神的健康や社会的健康にまで良い効果をもたらすことだ。

ランニングは単純な運動と思われがちだが、その効果は計り知れない。 身体的には体力や持久力が向上し、病気の予防にもつながる。 精神的にはワクワク感や落ち着きをもたらし、やる気を起こす。そして、走ることで人との交流が生まれる。公園のランニングコースで「おはようございます」と声を交わすだけでも、社会的健康が育まれるのだ。

遊びの力が強調されるのは、うつ病との関係でも明らかだ。うつ病に罹ると、人は興味や喜びを感じる力を喪失していく。逆に言えば、遊びがしっかりと生活に根付いていれば、うつ病になるリスクを軽減できる可能性がある。

この「生きる力」は、日々の仕事や学びのモチベーションにもつながる。遊びのない勤勉さはストレスを貯め込むだけだ。遊びという余白が必要になる。

ただ、日本人はその「余白」を楽しむことに慣れていない。 学校は毎日行くもの、会社は休まず通うものと、社会的な常識に囚われている。余暇を楽しむことを知らないまま、定年を迎えると生きる力を失う。そのためにも趣味を持つことが必要になる。だからこそ、若いうちから遊びを見つけることが重要だ。

その遊びのひとつとして、マラソンは最適だ。走ることは単純だが奥が深い。スタート地点に立つ喜び、走る過程で得られる充実感、そしてゴールに近づいたときの達成感。日本の教育現場では「走ること」が罰として扱われることもあったが、本来の走る理由はもっと単純だ。それは楽しいから走る。

マラソンは、利害関係を超えた純粋なモチベーションを生む。結果よりも、走る過程こそが人生を豊かにしてくれる。

マラソンという遊びで得られる喜びや充足感は、人生を新たな方向へと導いてくれるはずだ。



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佃煮一瓶の波紋

あるホールで景品として瓶入りの佃煮を取り扱っていた。種類は椎茸とタラコの2種類で、2個1セット100玉で交換できるようになっていた。この景品は、地元の特産品を取り扱うことで、地域貢献の意味合いもあった。

ある日、一人の常連客が景品カウンターにやってきて、こう言った。

「この佃煮、椎茸の方だけ欲しいんだけど、バラで交換できない?」

しかし、ホールのルールでは2個セットになっているものは、バラして交換することはできないと決まっていた。カウンターのスタッフはその旨を説明し、丁重に断った。客は「そうか、分かった」と引き下がるように見えた。

ところがその後、客は再びカウンターにやってきた。手には包装を破った佃煮の瓶が1つだけ握られていた。

「これで交換してくれないか?  1個だけでいいから、100玉で」

通常なら、このような要求は断るのが普通だ。しかし、客が既に包装を破いてしまっていたため、ややこしい状況になっていた。結局、スタッフは店長に相談し、店長の判断で特例的に交換を認めることになった。

残ったタラコの佃煮は、捨てるのももったいないということで、社員食堂に置かれ、スタッフたちで分けて食べることになった。店長も、これくらいなら問題にはならないだろうと考えていた。

しかし、この判断が思わぬ波紋を呼ぶことになる。

数日後、店長はオーナーから呼び出され、突然降格処分を言い渡された。

「お客様から受け取った景品を勝手に処分するとは何事だ!」

この言葉に店長は驚いた。たかが佃煮一瓶で、降格処分はあまりにも厳しすぎる。長年働いてきた店長のキャリアを考えれば、口頭注意や軽い処分で済ませるのが普通だ。しかし、オーナーは厳しい口調で言い放った。

「ルールを守れない者に、店を任せるわけにはいかない」

店長は理不尽な処分に納得がいかなかったが、従うしかなかった。

だが、この降格にはもっと深い理由があった。

実は、この店長は「デキる店長」として知られ、業績をそれなりに上げていた。しかし、その裏では機械納入業者と結託し、店に対する請求を水増しし、その差額を業者から受け取るという不正を行っていたのだ。これは明らかに業務上横領に当たる行為であり、証拠が揃えば懲戒免職にできるレベルの不祥事だった。

にもかかわらず、オーナーはすぐに解雇することはしなかった。なぜなら、この店長は売上を伸ばせる貴重な人材だったからだ。完全に切り捨てるのではなく、降格という形で処分を下すことで、店長を監視下に置き、最終的なタイミングを見計らおうとしていたのだ。

佃煮の件は、あくまで降格処分の口実に過ぎなかった。実際には、オーナーは店長の不正を把握していたのだ。

結局のところ、佃煮一瓶の問題は、店長の横領問題の引き金に過ぎなかった。しかし、店の運営において、小さな問題が大きな波紋を呼ぶことは珍しくない。ルールを破ることのリスク、そして上層部の判断が単なる感情的なものではなく、裏に戦略が隠されている可能性があることを、この出来事は物語っている。

一見些細な出来事が、実は長年にわたる不正をあぶり出すきっかけになった。店長の座を守るためには、業績だけでなく、クリーンな運営も求められるのだ。



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幻の「韓国パチンコ市場」。在日産業の夢と挫折

パチンコの国内市場が年々縮小する中、メーカーが海外市場へと目を向けるのは自然な流れだった。そのなかで最も親和性が高いとされたのが、地理的にも文化的にも近い韓国市場だ。

「在日産業」と呼ばれたパチンコ業界にとって、同胞の地・韓国はまさに第二のフロンティアだった。メーカーは歴代の親日派大統領へ水面下でアプローチし、市場開放を探っていたという。だが、その夢は現実の壁に阻まれ、幻に終わった。

実は1990年代半ば、韓国・プサンやソウルにはすでに“日本式パチンコ店”が存在していた。日本の業者が設備から補給まで一式を請け負い、そっくりそのまま日本型ホールを作っていた。

営業許可上は「成人娯楽室」、つまりゲームセンター扱いだった。ソウルの店では上皿にカバーを付け、直接玉を触れない工夫をしていた(日本でもゲームセンターのパチンコ機は玉を触れない理屈)。

プサンではカバーを外し、堂々と出玉を店内換金していた。もちろん違法だが、それでも人気を博した。

当時は韓国パチンコの黎明期だった。韓国では、“地下スロット”が庶民のギャンブルとして定着していた。そこに表の世界でパチンコを普及させようとしたものの、裏社会との縄張り争いに敗れ、パチンコは姿を消すことになった。

その後、2005年になると“第2次パチンコブーム”が韓国に訪れる。きっかけは「メダルチギ」と呼ばれる改造パチンコ機だった。釘をすべて抜き、玉ではなくメダルを使用。メダルを投入すればほぼ確実にスタートチャッカーに入るという、スロットマシンに近い仕様だった。

そして2006年、社会問題となったのが「パダ・イヤギ」──法定上限の200倍を超える2万5000倍の高配当を誇る超射幸機である。

国の許可を受けていたにもかかわらず、事実上の賭博機であった。調査の結果、映像物等級審査委員会の認可過程に賄賂が絡んでいたことが発覚し、政府機関の汚職問題にまで発展。韓明淑首相が国民に謝罪する異例の事態となった。翌年には法改正で商品券交換が禁止され、「メダルチギ」も完全排除された。韓国のパチンコブームは、わずか2年で幕を閉じた。

その一方で、2008年に就任した李明博大統領に対し、民団関係者が同胞の基幹産業であるパチンコの規制緩和を大統領を通じて、日本政府に陳情する動きがあった。

しかし、政府関係者の反応は冷ややかだった。

「李明博は大阪生まれだったかも知れないが、韓国の国益を考えるのが大統領の仕事。在日産業が発展してその税金が韓国に落ちるわけでもないのに、協力するわけがない。韓国籍でも日本に住んでいると徴兵に取られることもないので、平和ボケしている」

韓国に住まない在日同胞への皮肉を込めたこの発言に、日韓の温度差がにじむ。メーカーも同時期、韓国での市場開放を求めて働きかけていたと思われる。その後親日派の大統領も誕生したのだが…。

国内の生産体制の落ち込みを、輸出で補う狙いだった。

ホール運営も日本からの参入を目論んだ。「100店舗は行ける」という強気の見通しも立てていたが、政治の不安定さとギャンブル嫌悪が根強い韓国では、パチンコの再上陸は果たせなかった。

パチンコという文化が一度でも国境を越え、熱狂と混乱をもたらした事実は重い。国内市場が先細る今、業界は改めて“外へ出る”ことの意味を問われている。



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