パチンコ日報

ニュースにならないニュースの宝庫 

第9話 終焉 ⑥ 最終回

去る者 残る者

「店長、この店辞めないですよね」

「え、なんだ、お前。いきなり何の話だ」

「いや、なんとなくです。今日の店長はいつもと違う感じだし。そのう、なんて言ったらいいか、寂しそうにも見えるし。それにさっきの話だっていつもなら俺のこと怒鳴り飛ばしてそれでおしまいなのに、今日は何か特別な思いでもあるかのような言い方だったじゃないですか。俺の考え過ぎならいいですけど」

「がははは。お前は馬鹿か。何を勘違いしてるのかわからんが、俺はこの店を辞める理由もないしそのつもりもない。くだらないことを言っていないで早くホールに戻れ、このボケナスが」

「まったくボケナスはないだろ、ボケナスは」と聞こえないように小声で言った僕はしぶしぶ事務所を後にした。やっぱり考えすぎかと一度は思ったもののそれでも不安をぬぐい去ることはできなかった。

僕の心配をよそにそれからしばらくの間はいつも通りの毎日だった。連獅子ことカウンターの松本さんは相も変わらず人のうわさ話に花を咲かせ、たまに来る見た目が良さげな男を見つけては色気をふりまき、相手にされないと見るや鬼の形相でその客を冷たくあしらう。そしてまた次の獲物を虎視眈々と狙う。いったい彼女は職場を何と思っているんだろうか。
 
マイペース主義の関口さんは世の中の出来事などには目もくれず、ひたすら自分が男前であると思い込んでいる。この間もトイレに行ったら彼がいて、鏡を見ながら入念にヘアースタイルを整えていた。僕が用を足し終わって手を洗い、トイレから出ようとしてもまだ髪に櫛を入れている。自分の顔を上げたり下げたり横向いたり。究極のナルシストである関口さんは一日に何度もトイレに入る。そして一度入ったらなかなか出てこないのである。
 
うどん屋のサムちゃんとは日に何度も顔を合わす。独身の僕にとってあったかいうどんやおいなりさんをいつでも食べることができるのはありがたい。そして彼の若かりし頃の武勇伝は何度聞いても面白い。そんなときに甥っ子が作るうどんでもをすすろうと元やくざの世話役がきて、自分の現役時代の自慢話をかぶせてくる。なんとも微笑ましい光景だ。
 
僕を目の敵にしている子ガメは近頃妙におとなしい。その理由を他のお客さんに聞いてみると連日フィーバーにお金を突っ込み過ぎてとうとう貯金が底をつき、女房から三行半を突き付けられたらしい。仕事もせずにスナック勤めの女房の稼ぎだけをあてにして毎日ぱちんこに明け暮れている男にいいことなんかあるはずもない。僕は内心子ガメの不幸をほくそ笑む。
 
仁義なき肥満の木村君は最近体調が悪い。何を思い悩んでいるのか知らないが、頭に百円玉くらいの禿が三つもできた。円形脱毛症になるほどの悩みは何かと、ある晩彼の部屋を訪ね大丈夫かと聞いてみた。

「あっしはただいま恋愛中でやす」とその醜い顔を真っ赤にして片思いの彼女への思いを朝まで延々と語り続ける。どうやら最近入った十八歳のアルバイトにお熱をあげているらしい。僕の見立てでは恐らくその恋は成就しないと思うのだが彼の純情を無下にすることはできない。だからただうんうんと適当に相槌を打ち、朝まで付き合うことにした。
 
そしてある雨の日の朝。僕は今でもこの日を忘れることができないでいる。珍しく社長が朝から出勤してきた。早番のみんなは開店前のカセット掃除やレール拭きに精を出している。僕は五百円玉がしこたま入ったズタ袋を台車に乗せてその日の営業に必要な釣銭をせっせと両替機に詰め込んでいた。するとカウンターのほうから社長の一声。

「おおい、坂井君。みんなもちょっと来てねえ」

脳天のほぼ中心に響く甲高い社長の声でホールが鎮まる。

「どーもお。みんなおはよう。えぇっと、今日は大事な話があるからねえ。みんなよく聞いててねえ。来週の月曜日からこの店の店長は坂井君にやってもらうからねえ。新店舗のほうは田中君が嫌だっていうから群馬のほうから人を呼んだからねえ。それでいくからねえ」

一瞬の静寂。さわぎたてる者は誰もいなかった。僕は頭の整理がつかない。自分が店長になるなんていうことは聞いたことがないし、そんな希望を抱いたこともない。それにカルティエはどうなんだ。店長の名前がないじゃないか。誰かが「田中店長は」と小さな声で聞いた。

「ああ、彼は会社辞めるって言ってたよぉ。奥さんと一緒に辞めて違うお店で働くからって昨日引っ越ししたからねえ」

淡々と連絡事項を伝える社長の言葉が憎かった。当然色々なことが社長とカルティエの間であったのだろうが、残念の一言もない事務的な業務連絡に無性に腹が立ってきた。社長はそんな僕の気持なんか汲む様子もなく、事務所でこれからのことを話そう僕に伝えた。
 
社長室で何を話したのかほとんど覚えていない。もとよりそんな話に興味がなかったし今はカルティエのことで頭がいっぱいだった。僕は社長から解放されるや否や業務を放り出してカルティエの住むマンションへと走り出す。

「店長、うそだろ。辞めないって言ったじゃないか」

「いつでもそうだ、この会社は」

「なんでもある日突然物事が一瞬にして変わってしまう」

「こんなことがあっていいはずがない」

「店長、いるよな。いてくれよな」
 
途切れがちになる息をなるべく押し殺しながら、僕はそろりと部屋に入る。全速力で駆け付けたがカルティエの部屋はまったくのもぬけの殻だった。気のせいかそこにはカルティエと玲子さんのかすかなにおいがした。ほこり臭さの中にも今までここにふたりが住んでいたことを感じ取ることができる。しかし一方で二人はすでにここにはいないことをこの部屋は確実に伝えている。

「なんでなんだ、なんでいなくなっちゃうんだよ」

「出て行く前に一言くらい言ってくれたっていいじゃないか」

「ふざけんなよ。これから俺、どうしたらいいんだよ」

「俺、あんたからまだ教わってないこと沢山あるじゃん」

「仕事とか人生とか教えるっていったじゃん」

「あれ全部嘘なのかよ」
 
声を涸らして叫んでみても誰もいないこの部屋からは何も、なんの答も帰ってこない。悔しさと恨めしさと絶望がぐるぐると渦を巻いて僕を取り囲む全てを無くしてしまう。暗い渦の中心に一人ぼっちで立ちすくむ僕は前にもこんなことがあったっけ、とその当時を思い出す。
 
中学一年の確か秋ごろだったと思う。父親がいつにない笑顔で僕たち兄弟三人を訪ねてきた。僕が恐る恐る父の様子をうかがっていると、彼は威厳のある声でこういった。

「お前たちのお母さんは出て行ったよ」と。
 
僕は父からも母からも愛情をもらっていない。現実にはそうではないのかもしれないが、勝手にそう思って今まで生きてきた。だから僕は愛情ほしさに自分の周りにいる人たちに嫌われないよう慎重に生きてきた。でも人は僕が追いかければ追いかけるほど逃げていく。逃げられるのが嫌でまた追いかける。そして最後には嫌われる。そんなことを何回も繰り返して生きてきた僕は社会人になっても心を頑なに閉ざして生きてきた。カルティエはそんな僕の心を見抜いていた。 

いつかこんなことを僕に言ったことがある。

「自分の心が痛い思いをしたことのない奴は人の心の痛みなんかわかる筈もない。別に苦労なんか無いにこしたことはないが、俺は苦労した分人の心がわかる。お前だってそうだろ。お前は人の心の痛みが分かる奴だよな」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「ひでくん、だいじょうぶ?後悔してない?」

玲子は十年前と同じ言葉で秀樹の顔を覗き込む。秀樹はそれには答えなかった。彼女もそれ以上は追及しない。北国行きの各駅停車は乗客もまばらだった。

「みかん食べる?」

玲子はがさがさとボストンバッグの中をまさぐる。

「またあてのない旅になるな。玲子、ごめんな」

玲子は無言のまま寂しげな微笑みを浮かべながら、十年前に比べて厚くなった秀樹の手のひらにそっとみかんをのせた。

おわり


人気ブログランキングへあなたのポチっ♪が業界を変える

※コメントには必ずハンドルネームを入れてください。匿名は承認しません。コメントがエントリーになる場合もあります。

同じテーマの記事

第9話 終焉 ⑤

人間臭さ

「店長、153番台のお客さんが呼んでますけど」

カルティエが十年間の追憶と人生の悲哀にどっぷりと浸っていたメロウなひと時を僕の大きな声が現実へと呼び戻した、などということを僕自身知るはずもない。

「おう、坂井か」

「店長、早くしてくださいよ。ここんちはボッタクリだってお客さん大騒ぎなんです」

「誰だ、そんな本当のことを言うやつは。まったくデリカシーに欠ける奴だな。だいたいぱちんこ屋は儲けてナンボの商売だ。慈善事業やってんじゃあねえんだからそこらへん、きっちり解ってもらえ」

「店長、なに訳の分かんないこと言ってるんですか。とにかく今回は店長が出てこないと本当に収まりそうにないんですよ。お願いですから早くホールに出てきてくださいよ」

僕の表情が尋常でないのを見てとり、カルティエはようやくその重い腰を上げた。だいたいそういうことが主任の仕事なんだろ、とぶつぶつ言いながらカルティエはクレームの対応に取り掛かる。

「お客さん、どうしましたか」

「お前がここの店長か。どうしましたかじゃねえぞ、この野郎。全然回らねえじゃねえか。この穴に一発も入らねえんだぞ。百円入れても二百円入れても入らねえ。これじゃ詐欺と一緒だ。金返せ、金を!」

入らない、回らないとクレームをつけているのはたまにうちの店に来るけっこうなお歳のおじいさんだった。そのおじいさんは怒りのあまり全身をわなわなと震わせ、その口からかなりの量のつばを飛ばしながらカルティエに飛びかからんばかりの勢いだった。

「まあまあ、爺さんちょっと落ち着きなよ。そんなに興奮していたんじゃ話も出来ねえよ。だいたいどこら辺を狙って打ってたんだい。ちょっと打ってみなよ」

「何言ってやがんだ、この唐変木野郎。俺がどこをどうやって打とうと勝手だろう。だいたいだなあ、どこ打ったってそんなに変るもんじゃねえだろうがよ」

「ところが変るんだな、これが」

「なんでお前にそんなことわかる」

「まあ、他のお客さんには言えないけれど、実はこの台は昨日開けてあるんだよ。俺の腕に狂いはねえ。だから回らないはずは絶対にないよ。いいから言われたとおりにいっぺん打ってみなよ。だまされたと思ってさ」

そこまで言うならば、と急に従順になったそのお客さんは気を取り直し、椅子に座ると素直に玉をはじき始めた。

「やっぱりな。そんなとこ打ってたんじゃ一生回らねえよ」

カルティエは得意満面の笑顔で説明を続ける。

「そこじゃなくてほらここ、このぶっこみを狙って打つんだ。爺さんは手が震えるから両方の手でしっかりとハンドルを固定して、よおっく狙いを定めるんだよ」

「こうかい?」と半信半疑のお客さんはカルティエの言うとおりにハンドルをしっかりと握り玉を打ち始めた。するとどうであろう。いくらもたたないうちにその153番台は軽快な音を立てて回り始めたではないか。

「おおっ!まわるねえ、まわるよ。ぱちんこはやっぱりまわんなくちゃ面白くねえ。店長ありがとうよ」

さっきまで目くじら立てて怒りをあらわにしていたこのおじいさんは途端に子供のような屈託のない笑顔でそう言った。
 
僕はその一部始終をカルティエの背中越しからじっくりと見ていた。言葉づかいは悪いがその行為は愛情に満ち溢れていた様子だった。優しいんだなこの人は、と僕は感心する。そしてこんな接客は僕には到底できない、カルティエならではのものだなと改めて尊敬の目を向けた。

「ありがとうございました」

事務所に僕は戻り開口一番お礼を言った。

「坂井よ、おまえぱちんこ稼業で一番大切なもの、何か知ってるか」

突然の質問に僕は口ごもる。

「感情移入だよ、坂井。客が何を求めているのかを瞬時に察知し、それに応える。これはな、そう簡単にできるもんじゃねえ。俺たちがやってる仕事を単なる作業としてばかり考えていたらさっきみたいなことはできねえよ。だいいちあの台の釘は開けてなんかいやしねえからな。ただ嘘も方便て言うだろ。どうしたらお客さんが納得してくれるのかをその場その場で瞬時に考えて対応するのがプロの仕事だ。その仕事はな、自分の心がこもってねえと仕事とは言えねえ。それが感情移入よ。これは誰にでもできる芸当じゃねえ。でもな、ここを押さえとかないといつか客は愛想を尽かしてほかの店に行っちまうんだ。百人の客の要望をあらかじめ察知してそれに応えるのは無理かもしれねえ。だけど無理だからといってハナから諦めてたんじゃ進歩はねえよな。要するに無理を無理と思わねえことだ。わかるか、お前」

「はい、それはなんとなくわかります」

いつもならここまで立派な演説を語ったのちに『がはははは!』と高笑いをするのになぜか今日はそれがなかった。だからなのか、僕は何となく違和感を感じた。カルティエの様子がいつもと違うように見えた。それが何であるのかは分からないけれど、間違いなくいつものカルティエではない。
 
先日からの新規店舗に伴う人事異動の件でカルティエの去就が噂されていただけに余計に変な勘繰りをしてしまう。もし新規店への移動を受け入れられなくて、カルティエがこの会社を去るなんていうことが現実に起きようものなら、僕自身がこの店にいること自体が意味を持たない。そう考えると急に不安になってきた。

この店に入ってから仕事とは何か、人生とは何かといったことを彼は口を酸っぱくしながら僕に教えてくれた。がさつで横暴な態度や口の悪さは自分の良識の範疇を超えていたが、僕はそんなところさえも含めていつのまにかカルティエに魅かれている自分を感じていた。

人間は見てくれも大事なのだろうが、心の奥底からにじみ出てくる人間臭さも必要なのではないだろうか、と彼を見ていてそう思った。僕の知っている大人たちはそろいもそろって笑顔で接してくる。でも僕にはその笑顔が心の底から出てくる真の笑顔ではないことを察知してしまう。

カルティエはめったに笑わない。しかし彼のたたずまいは無言の愛情を僕に投げかける。

「それではだめだ」「そんなことでは一人前のぱちんこ屋とはいえない」「もっとしっかりやれ」「ここが我慢のしどころだ」彼は僕にそんな励ましの言葉たちを目で訴える。僕はその真心をしっかり受け止めようと努力をする。
 
思えば二十三年間生きてきて彼ほど僕に対して真剣に接してくれた人はいなかった。仲の良い友達と将来を真剣に語り合っても現実に戻ればすぐにその熱さを忘れる。大人たちの言うことは型にはまりすぎて窮屈で息が詰まる。人間のはしくれとして何とか生きていこうとして、もがいてもみる。だけどもがけばもがくほど世の中から遠ざかる自分がいた。言ってみればそんな世の中が嫌で僕はこのぱちんこ屋に入ったわけで、半ば自分の人生を放棄していた。
 
そして僕は表向きとは裏腹にいつも何かに飢えていた。今までそれが何なのかを考えてもその答えは出てこなかった。しかし思いもよらず、カルティエがそのヒントをくれた。大げさにいえば僕は彼から人間である以上人間らしく生きるべきだということを学んだ。そして建前ではなく本音で周りの人たちと接することが一番大切なのである。たとえ人さまから騙されたとしても自分は人さまを欺くような行為をしてはいけない、と。
 
僕はカルティエがどれほどの苦労をしたのかを実際には知らない。しかし彼の言動や行動を見る限り、それは大まかな察しが付く。苦労の量や質が問題ではなくその人がその苦労から何を学びとりそれを今どう活かすのかが大切なのではなかろうか。カルティエは僕たちにそう教えてくれているような気がしてならない。

つづく

人気ブログランキングへあなたのポチっ♪が業界を変える

※コメントには必ずハンドルネームを入れてください。匿名は承認しません。コメントがエントリーになる場合もあります。

第9話 終焉 ④

引き際

店での騒乱ぶりとは裏腹に秀樹と玲子の二人は幸せの絶頂にあった。無論、心が咎めないはずがない。出ていくことはたやすいこと。だが残された者の心の痛みや喪失感はその立場に立ったものだけが知りえる。そんな無慈悲な行為をしてでもこの二人は自分たちの幸せを選択したのである。

逃げることに対する後ろめたさは一生ついて回る。今までお世話になった人々に対しての裏切り行為が二人の胸から消え去ることはないだろう。

二人は北国行きの各駅停車に乗り込んだ。行く先にあてがあるわけではない。ただ誰も知らないところがいい。誰にも見とがめられず干渉もされない場所。二人だけが生きていくのに目的地の設定などは必要なかった。

途中駅で玲子が『お茶買ってくるね』と財布を握り締めてホームに降り立った。彼女を待っている間、秀樹の心ははずんでいた。今まで味わったことのない幸福感を一人で実感していた。

「美味しそうだったからみかんも買ってきちゃった」

まるで少女のような屈託のない微笑みをいっぱいに浮かべながら玲子は秀樹の横に座る。赤い色のネットに納められたみかんは行儀よくたてに五つ並んでいる。

「ひでくん、みかんすき?」

「うん、すき」

「じゃあ、はい」

器用な手さばきで玲子がみかんを上手にむき一つは自分の口に放り込み、もうひとつを秀樹の口にあてがった。

「ひでくん、このみかん小さいけど甘いね」

「うん、そうだね。甘いね」

「これからどうしようか。どこに行こうか」

「どこでもいいよ。玲子さんと一緒なら」

「だめよ。男の子なんだからこれからはひでくんが決めなくちゃね。一人前の店長になるんでしょ」

暗い過去を持つ二人にやっと春が来た。過去のしがらみや不幸を振り切り新たな人生を求めていくその姿はひと粒の砂金のように目立ちはしないがしっかりと輝いていた。

カルティエは遠い昔のことを懐かしむように思い出していた。玲子と逃避行を重ね、関東より北の地方を転々としてきた。居心地の良かった店悪かった店。たくさんの人たちとの出会いと別れがあった。自分もご多分に漏れることなく日本社会の底辺で仕事を続けてきたが、この業界で働く人間模様は想像をはるかに超えていた。
 
職場では社員同士のコミュニケーションを図るどころか争い事が絶えなかった。それも陰湿ないじめなどという計算高いものではなく、自分の立場を確保するための本音をむき出しにした争いである。
 
当時この世界には建前などというものは存在しなかった。あるのは周囲の人間に対する批判と暴力。だから他人に媚びへつらうなんていうことはいっさいしない。しかし、である。この人間たちはある意味において自分に素直なのである。自分勝手という捉え方もあるが、それは違う角度から見れば自分の心に誰より忠実な生き方を選択しているだけなのである。

粗野で教養にかけている人間もいる。しかしこの業界にはそうでない人間もいるのだ。そういったぱちんこ屋の店員に対して世の中の風評は芳しいものではない。世間はかなりな異端の視線を彼らに投げかける。
 
ここで働く者にしてみればそんなことにかまっている暇はない。自分たちがここで生き延びていく為に必要な行いと知恵。これらを誰が何の権利を持ってあざけ笑うことができようか。ぱちんこやの店員を嘲り、罵り、批判する人々は大勢いるが、その人たちはどうなのだろうか。結構な生活を、そして人生を公明正大に生きているのだろうか。

人並みの教育を受け、常識人として生きているという自覚を持つことは悪いことではない。しかしそれが全てでもないはずである。常識を携えた人々の中にもぱちんこを趣味に持つ人たちがいる。大学の教授も作家もときにはぱちんこを取り締まる警察官もぱちんこをするのである。だからぱちんこ屋だからといって安易な批判はするべきではない。ましてやそこで働く従業員を悪く言う権利などは誰にもないのである。
 
カルティエは十年に及ぶ放浪の旅で何を学んだのか。彼は人間模様の悲哀と脆さを見てきた。しかしその反面生きるための必死さも目の当たりにしてきた。だから彼はぱちんこ屋の店員が好きである。不器用な生きざまではあるのだが自分の心に素直でいる彼らが好きだった。そして下積みから店長にのし上がるまで自分を支え続けてくれた最愛の妻、玲子。この人がいなかったら今の自分はおそらく存在していない。ありがたいことだと心底思う。
 
流れ流れてこの店に辿り着いた。入社した当時は最悪の職場環境であったが、従業員の一人一人との話し合いの時間を惜しまず、自分の経験則を懇切丁寧に、小学生に言って聞かせるように説き続けた。その甲斐あって今では不器用さは否定できないもののみんないい顔をしながら働いている。カルティエはそれだけで満足だった。
 
満足。それはある意味においてその時点がピークであるということ指す。自分の生活になにも不自由はない。それに今でも十年前と 変わらない愛情を注いでくれる玲子が傍らにいてくれる。幸せが長続きしない。そんなことは身をもって知っている。カルティエは一つの決断を下そうとしていた。

「ここら辺が潮時かな」

ぼそりとつぶやく声が誰もいない事務所に虚ろに響いた。

つづく


人気ブログランキングへあなたのポチっ♪が業界を変える

※コメントには必ずハンドルネームを入れてください。匿名は承認しません。コメントがエントリーになる場合もあります。


第9話 終焉 ③

手紙

「おばさん好きです。いやそうじゃなくて、おばさん嫌いじゃないです。違う、あのう、そうじゃなくて玲子さん好きです。だから、あのう・・・逃げてもいいです。本当に」

もう何を言っているのか本人にも判断がつかなかった。秀樹は本能的に察知していた。今この一瞬を逃がしたら二度とこんなことは起こり得ないと。
 
秀樹が玲子に見せた必死の形相は、おそらく今まで生きてきた中で一番の輝きを放っていたかもしれない。お世辞にも男前とはいえない面相ではあるが、その 表情からは真剣さが見て取れた。

男の顔は整っているか否かではなく、魅力があるかどうかではなかろうか。男の魅力は物事に対して真剣に取り組んでいる時こそ輝きを増すのである。そんな秀樹を見た玲子は彼の両手をぎゅっと握りしめ、小声でそっとつぶやいた。

「後悔しない?」

「はい、絶対に玲子さんを幸せにしてみせます。だから俺と一緒に暮らしましょう。そして俺、出世して店長になって、金いっぱい稼いで、玲子さんに綺麗な指輪と洋服買って、それからええと、きれいなマンションに住んで、年に一度は旅行にも行ってええっとそれから、んぐんぐんぐ」

ほとんど支離滅裂なせりふを延々と続ける秀樹の唇をふっくらとした玲子の唇がふさいだ。

「ありがとう、ひでくん。ひでくんと一緒にいることができるならなんにもいらないから。あたしも一緒に働くから、だからあたしのそばを離れないで」

この世で一番甘いキスをした玲子の目には涙がとめどなく流れていた。

「店長!田中の奴がいません!」

翌日の朝店内はお盆をひっくり返したどころか、ちゃぶ台をひっくり返したような騒ぎであった。
 
玲子の夫であるこの店の店長は麻雀で大勝ちして意気揚々と明け方に部屋に戻ってきた。しかしいつも寝ているはずの玲子の姿が見当たらない。違和感を感じて部屋をぐるりと見渡すと玄関の下駄箱に真っ白い封筒がひっそりと申し訳なさそうに置いてあった。

今までお世話になりました。
貴方から受けたご恩に報いることができず本当にすみません。
寂しい思いをしていた私に貴方はいつも優しくしてくれましたね。
しかしそれでも私の心は抜け殻同然でした。
何度もあなたに対して心を寄せよう努力しました。
でも結局それはできずに終わりました。許してください。
今日、ほんのわずかなきっかけが私の心に一筋の光を当ててくれました。
私はこの一瞬を逃したらもう二度と幸せをつかむ機会はない。
そんな気がしたのです。言い出したのは私です。彼に罪はありません。
やっと本当の自分を取り戻せそうな気がするのです。
これからは自分という一人の人間を見つめながら生きてみようと思います。
私のことを少しでも思ってくださるのならどうか探さないでください。
厚かましいお願いであることは承知しています。
そして私の幸せを願ってくださるのであれば私のことは忘れてください。
追伸
あまり夜更かしをしないでくださいね。
煙草も控えめにしてごはんも三度三度食べてください。
                                   玲子

白々しさを覚えながら手紙を読み終えた店長は言いようのない屈辱感に襲われた。

「いったい俺が何をしたんだ。俺のどこが不満なんだ、あいつは。しかも田中みたいなやつと駆け落ちなんかしやがって」

一方的な別れの宣告からは何も生まれない。今まで有頂天になってその日その日を適当に暮らしてきただけの人生。夢や希望があるわけでもない。玲子の存在は唯一の癒しだった。
 
彼は玲子が自分を愛していないことを知っていた。それでもいい、そばにいてくれればそれでもいいと本心から思っていた。いわば犠牲的な愛情の表しだった のだろう。自分が独善的に彼女を愛しても相手がこちらを振り向かなければその愛が成就することはない。彼が立ち直るためには長い、長い時間だけが唯一の解決 策なのかもしれない。

つづく


人気ブログランキングへあなたのポチっ♪が業界を変える

※コメントには必ずハンドルネームを入れてください。匿名は承認しません。コメントがエントリーになる場合もあります。

第9話 終焉 ②

夜更けに
 
今まで男性との恋愛経験が豊富であったならば、すぐにでも『これが恋なのだ』と気付くことができたのかもしれない。恋愛とはおよそ縁の遠い環境を余儀なくされた玲子がすぐにそれだと判断することは難しかった。しかし頭では理解できなくとも心は確かに動いている。これまでにないほど玲子の心は一気に躍動を始めた。男は頭で愛を考え、女は子宮で愛を感じるもの。戸惑いを見せている秀樹に対し、玲子の行動は思いのほか大胆でしかも唐突であった。

「ひでくん、表に出て少し歩かない?」

泣きはらした瞼の奥に鈍い光をたずさえた瞳は怪しい憂いを湛えていた。

「え、はい、あのう、はい」と秀樹は返事をしたもののおおいにたじろいだ。
 
確かに一時的であるにせよ玲子に対して好意以上の感情を抱いた。だからと言ってそれが男女の関係を直接指すものではない。これは一種のあこがれに近いものであると秀樹は思いこむように自分を差し向けた。

しかし彼はその思いを簡単に閉じることができなかった。こんな夜中に二人きりで夜道を歩くなんてことは想像しただけでも恥ずかしい。彼女は僕をどうしたいのだろうか。まさか近くにあるホテルローマに誘っているのか。僕が店長の奥さんと、あこがれの玲子さんと・・・。

いやいやそんなことはあるはずもない。玲子の突然の誘いに秀樹の心は大いに揺さぶられ、妄想は自分勝手に暴走していく。でも相手は紛れもない店長の奥さんだからこの誘いに乗れば後々面倒なことにもなりかねない。やっぱりこれはいけないと断るべきだと思ったのだが結局促されるままに店を後にした秀樹であった。

ただ一緒に歩くだけだから、何か特別なことをするわけではないのだから、と手前勝手な理屈を自分の中で確立させた。そうでもしなければこの行為そのものが人の道として成り立たないのである。しかし男の理性とは全く弱くできていて、頭の中をぐるぐる回るへんてこりんな理屈とは裏腹に秀樹の心はすでに躍っていた。

「玲子さん、こんな夜更けに僕たち二人で歩いていてもいいんでしょうか」

良いも悪いも現実に二人はこうして歩き始めている。

「大丈夫よ。あの人は今頃常連客と麻雀しているから朝まで帰ってこないよ」

玲子は秀樹の心配を見透かしてそういった。しかし秀樹の心はかなり穏やかでない。

『朝まで・・・。ということは・・・』またもや彼は卑猥なことを考え始めた。
 
暗い夜の道すがら。一匹の野良犬だけが徘徊し、人気は全くなかった。二人はしばらく無言のままひたすら歩き続けた。途中、ホテルローマのネオンが見えたが玲子はそちらのほうへ行く気配は全くない。当然だよな、と思い苦笑した瞬間の出来事だった。

「あぁぁぁぁ!」と声を張り上げ秀樹は小石につまずき、前のめりになった。

転びそうになると人間は本能的にそばにある何かにしがみつく習性をもっている。そばには玲子のふくよかなお尻が見えた。いけない! これには手を触れてはいけない! 秀樹の咄嗟の願いとは裏腹に本能は理性を上回る。

「きゃっ!」

玲子は自分の身に起こった不幸を瞬間的に察知した。が、時すでに遅し。彼女の腰あたりに捕まった秀樹の手は、ゴムだけでウエストを止めている玲子のマキシスカートをつかんだまま地面につんのめってしまったのだからたまらない。無残にも玲子の薄手のスカートはくるぶしまで完全にずり落ち真っ白な太ももがあらわになった。

「あわわわ。すいません、すいません」と何度も詫びを入れる秀樹。

玲子は秀樹が必死に謝る姿があまりにも滑稽だったので、恥ずかしさも忘れ声をあげて笑った。

「まったく、ひでくんたら。本当はわざとでしょ」

スカートをたくしあげながら玲子はおどけて見せた。

「違います、本当に違いますから」と秀樹はかぶりを振るが転んだ拍子に地面にぶつけた膝の痛みと、偶然とはいえ自分がしでかした暴挙による申し訳なさがないまぜになり、何をどうしたらよいのか全く冷静な判断を失っていた。

そんな秀樹を玲子は聖母マリア様のような慈悲深く広い心で抱き起した。そして秀樹の手の平についた砂を自分の手で払い、しばらくその手をじっと見つめる。

「ねえ。ひでくん。二人で逃げちゃおうか」

次から次へと矢継ぎ早に展開するその状況についていけない秀樹ははるか彼方を見つめた。
玲子の目は決して冗談をいうそれには見えなかった。
 
まさに青天の霹靂、驚天動地とはこんなことを言うのであろう。そして玲子の口からまさかこんな状況の下で昼のドラマにありがちな、ドロドロしたセリフがいとも簡単に出てくるとはいったい誰が想像したであろうか。
 
玲子から告白を受けた気分の秀樹はロマンとはほど遠い不細工な顔ただひきつらせるだけであった。

「やだよね、こんなおばさんと駆け落ちなんてさ」

玲子は自嘲気味の笑いを含み断わりの返事が秀樹の口から出てくるのを恐れてか、彼の答えを一方的に遮った。

つづく


人気ブログランキングへあなたのポチっ♪が業界を変える

※コメントには必ずハンドルネームを入れてください。匿名は承認しません。コメントがエントリーになる場合もあります。