バブル――昭和世代には懐かしい響きだ。
バブル景気とは、昭和61年12月から平成3年2月頃までの4年ほどの期間を指す。一般の人たちが好景気を実感するのは、昭和63年頃から。株価の急上昇、不動産価格の上昇、また個人資産なども増大し、社会全体が今までにない好景気を実感した。この時期に社会人になった人たちがバブル世代とも言われている。
その取材の過程で巡り会ったのが元ホールオーナーのAさんだった。
元々はバブル期を謳歌した不動産会社の社員だった。不動産転がしで儲けたおカネを元手に副業で、アパート経営に乗り出し、20棟まで増やしたが、バブル崩壊前に売り逃げて独立する。この不動産業界時代に耐震偽装で社会問題を起こしたフューザーの小嶋社長とも知り合いになっている。
バブルが弾けた後に始めたのがホール経営だった。売りに出ていたホールを買うことからスタートするものの、全くのド素人。販社などから店長を紹介してもらい、店を回した。
最盛期には5店舗まで増やした。
ホール運営は店長から昇格した本部長に任せた。それは業界の先輩オーナーから「きれいごとではホール経営はできない。現場にも口出しすると店長が逃げる。多少のことは目を瞑れ」とアドバイスされたからだ。
平成が始まった頃は、バブル経済は崩壊したが、パチンコ業界は右肩上がりを続けていた。裏モノ、店長らの不正は当たり前の時代。店長は不正にも長けていないと務まらない、と言われた時代でもあった。
ホール運営は丸投げした。
5店舗で1日の売り上げは5000万円。粗利は1日で1100万円は叩き出していた。店を開けるだけで現金が転がり込んだ。ホール経営はチョロいと思った。
好事魔多し。ホール経営で儲かったおカネでAさんは投資に走った。これで大損を喰らうことになる。Aさんは自店のパチンコ客相手に闇金を始める。これが暴力団の闇金よりも金利が安かったために怒りを買い、暴力団とトラブルになる。
投資の失敗でホールを失い、暴力団から逃げるためにタイへ逃亡した。
日本へ帰って来たのは、ほとぼりも覚めた21世紀に入ってから。
で、現在のAさんは生活保護を受けている。
「投資さえしていなかったらホールを拡大して、芸能人と結婚していたかも知れない。月10万円の生活で一番みすぼらしいが、心は一番穏やか」とうそぶく。
天国と地獄を味わった成り上がりの話だった。

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