パチンコ日報

ニュースにならないニュースの宝庫 

業界回顧録 遊技機運送編

運送会社でドライバーとして働いていた人が独立して自分の会社を興し、今では30台のトラックを所有するまでに発展している。

一見、立身出世の人物のように思えるが、独立するときの資金が決してきれいなおカネではなかった。

時代は90年代まで遡る。右肩上がりの当時のパチンコ業界は、裏モノが蔓延る時代だった。特にスロットは裏モノでなければホールが買わないような時代だった。その後登場するのがセット打法などを仕込んだ裏基板だった。最初のころは閉店直前、トイレの天井などに隠れ、閉店後に店内に降りてきて裏基板を交換するゴト師グループが存在した。

ホールのセキュリティーが強化されるとその手法も使えなくなる。次に考えられたのが裏基板を流通過程で仕込むことだった。この時に狙われたのが遊技機を運ぶトラックだった。

メーカーから出荷され、倉庫を経由してホールへ運ぶまでの間を狙った。ドライバーをおカネで抱き込み裏基板に付け替えた。

「付け替えたことが分からないようにきれいに細工するので、1台1時間はかかっていた。20台なら20人が来て付け替えていた。1回抱き込むと次も乗ってくる。報酬は1回100万円ぐらい。当時はメールもなかったので連絡はケータイだった」(運送関係者)

セット打法。懐かしい攻略方法である。一番左の数字が1になったら、1分間放置。次に3が出たら1分間放置。そんなことを何度か繰り返すとセット完了である。ただし、裏基板の仕込まれたものでなければ、当然使えない。

付け替え料を1回もらうよりも、セット打法で稼ぐ方がもっと儲かる。ドライバーによっては情報提供料としてチャラにすることも稀にあったとか。

セット打法が仕込まれた裏基板が爆裂しても当時は、お客さんも店内に溢れ、ノーマル機でも20~30連チャンは当たり前だったので、爆裂しても怪しまれることもなかった。このセット打法でゴト師グループはホールが潰れない程度に抜きまくった後で、それが攻略誌へと流れた。

運送途中に裏基板に付け替えられる事案が多数発生したために、セキュリティートラック、セキュリティー倉庫などでセキュリティー体制の拡充が図られると共に、運送業者も組合を設立し信頼回復に努めた。

で、件の独立社長は裏基板の付け替えで貯めたおカネを元手に会社を興した。遊技機の運送は一切タッチすることなく、会社を成長させた。黎明期、草創期というのは汚い金で会社を興し、それから紳士になっていくのは珍しいことではない。



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120人の捜査員で臨んだ摘発劇の真相

このエントリーは13年前に書いた業界回顧録だが、兵庫県知事選を含めた問題にからめ、このホールのことが改めて兵庫県が抱える闇だった、ということで一部の週刊誌が注目している。このホールのことを糸口に週刊誌は本丸に迫る?

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今では考えられないやりたい放題のホールがあった。

業界回顧録として残しておく…。

兵庫県警姫路署には「警察の目は節穴か! あんな無茶な営業を放置するとはそれでも警察か! 警察はパチンコ屋から金でも貰ろうとんのか!」と匿名の市民からの電話が入ったことは一度や二度ではなかった。業界内でも「あの店のことは絶対に書かないほうがいい」と忠告が入った。

500台オーバーの大型スロ専は、不正改造を行えば一発営業取り消しになる時代に裏モノ天国だった。大人しいジャグラーでさえ、爆裂連チャン機だった。裏モノが打てることから駐車場には岡山、高松ナンバーの車も珍しくはなかった。

そうした違法営業を兵庫県警は何年も放置していた。

警察も舐められたものだ。夏場の猛暑の中。新台入れ替えの検査へ行っても、店内のクーラーも電気も消しての対応で、警察を迎え入れる姿勢はなかった。担当官は蒸し風呂状態の中、汗だくで検査させられた。

健全化推進機構の立ち入り調査で黒と判定が出た。警察の威信にかけて2年前の夏、ついに摘発に乗り出した。捜査対象は当該スロ専と系列のホール2店舗、通常この規模であれば捜査員は10名程度だが、今回のケースでは120人もの大量捜査員を投入した。

家宅捜査は開店前に行われた。

警察官が捜査令状を見せるが、中からは「鍵はおまへん」と相変わらず舐めきった態度である。

捜査員もそんな抵抗は先刻承知で、エンジンカッターでドアを蹴破った。すぐにスロットの基板を調べた。ロムの足が切れている。

「全部めくれ!」と号令が鳴り響いた。

基板の裏にもう一つの基板が隠されていたりやりたい放題だ。押収した550台中、370台が不正機だった。

警察の捜索が始まって、それまでいた従業員の姿がいつの間にか消えていることに気づいた。店内を調べると島の中に人一人が通れる通路があり、柱の中に2階に上がるはしごが隠されていた。

捜査員もそのはしごを伝って2階に上がった。事務所のドアは暗証番号になっている。

警察が「開けろ!」と怒声を上げても「忘れました」。

捜査に協力する姿勢は1ミリもない。

捜査員が2階の事務所に入って一番驚いたのが、壁が隠し扉になっていたこと。ニンジャ屋敷のように壁がひっくり返り、駐車場へ逃げられる仕掛けが施されていた。

いつでも逃げられる用意だけはしていた、ということだ。

今回の不正機の摘発で5人が逮捕され、営業許可はもちろん取り消された。別件の恐喝容疑で指名手配されていたオーナーも逮捕された。



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1円で諦めたホールが1円で復活

昔のことを訪ねて、そこから新しい知見を導く。名付けて業界温故知新。何らかの参考になれば幸いだ。

以下本文

地域に1円パチンコがない時期に一足先に1円を導入したホールがあった。いざ蓋を開けてみると思いのほか、稼働は上がらなかった。どうせ、稼働が上がらないのなら「4円に戻した方が、売上げが上がる」と迷走しているホールから立て直しの話が来たのは、2009年3月のことだった。

1円を先行導入して息を吹き返したホールが各地に現れている時期でもある。

しかも、この地域で1円を導入している競合店がないにもかかわらず、1円でお客様が付かないのは、何か原因があるはずだ。

機種構成を見てすぐに分かった。機種選定は機械代の安さだけを重視。その結果、1円客のニーズに合った機種が少なかった。機種構成は1円ユーザーの心理と地域性にマッチしたものに組みなおした。

最初に1円を始めた時は消極的な転換だった。設備投資は極力抑え、1円用の玉貸し機は島端にあるだけだった。

これではユーザーにすれば利便性が極めて悪い。

最低限の設備はお客様に提供しなければならない。そこで中古サンドを導入してもらった。

ホールを運営する現場スタッフのモチベーションアップも欠かせない。事前に従業員に店のいいところ、悪いところをアンケート形式で書いてもらって、問題点を浮き彫りにして、改善していった。

従業員のモチベーションを妨げる要因として、職場環境の中でも対人関係に起因していることが少ない。ここが改善されなければ、ギクシャクしてチームワークが取れない。

職場環境が悪くなる原因は、問題となる従業員が必ずいるもので、その改善にまで踏み込む。

店内ポップも重要だ。

ただ、適当に張ればいいというものではない。お客様目線立ち、お客様が分かりやすいことが一番だ。このあたりのノウハウも指導していく。

次は釘だ。

新たな交換個数に合わせ、1台ずつ3日間かけてやり直した。それらの準備が整ったところで、事前チラシを打った後、いよいよオープンだ。

以前は数えるぐらいのお客様しかいなかったホールの稼働が、一気に2万7000稼働まで上がった。

稼働が安定したところで、次なる設備投資として貯玉再プレイシステムを導入して顧客の囲い込みを図った。

1円パチンコには貯玉再プレイシステムは必須アイテムでもある。

稼働、売上げが安定してくると財務も安定してくる。銀行もリスケに応じてくれ、経営者も精神的に楽になってきた。

お客様は中古でも機械入れ替えを待っているので、入れ替えは行う。ただし、機械購入費は1台5万円まで。それ以上の機械は買わない。

財務を圧迫する機械代を抑えながら、稼働を上げていくことで赤字ホールが黒字ホールへと生まれ変わった。


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競合店の出現にも動かざること山の如しを実践して成功

以下は17年以上前のホールアドバイザーの業界回顧録であることを念頭に読み進んでいただきたい。戦略や戦術は時代が変わろうとも基本的な考え方は変わらない、ということを伝えたい。

以下本文

私がサポートしている店舗(1円専門店)から歩いて2分の場所に、昨年11月に競合店が加わった。

不採算店だった店舗の賃貸でのグランドオープン。新台も大量導入。設備も最新のものに入れ替えた。

営業形態は4円だった。

この時期の4円は先が見えていた。

300台クラスのホールで、オープン当初は賑わいを見せていた。サポートしている店舗のお客様もそちらの新店へ流れた。

当然店長は焦りを感じていたが、私の指示は「一切動くな」。

新店は1カ月も経たないうちに、客数は1桁にまで一気に落ちた。

競合店は12月に入ったところで全台1円に切り替えてきた。

再び、お客様は競合店に流れることになるが、必ずお客様は戻ってくる自信があったので、「釘のアケシメもイベントも一切打たなくていい」と再び指示を出した。

釘は開ければ、必ず閉めなければいけない。

相手は新台を大量に導入しているが、その分機械代の回収を図らなければいけない。ましてや高い賃料も払っている。

稼働状況から売上げを推測して、必要経費や支払いにかかる経費を計算していけば、いくら手元に残るかも予測がつく。

サポート店は賃料も必要ないし、この1年半新台を買わせていない。

どちらが営業的に有利かはいうまでもない。

競合店が釘を閉めてくるのは手に取るように分かっていたので、「動かない」ことを指示した。

競合店は新台がたくさんあるので、最初はお客様が1カ月ほどで戻ってくるだろう、と予想していたが、わずか2週間で戻ってきた。

これは嬉しい誤算である。

相手の手の内が分かれば、作戦はいくらでも立てられるものだ。

動かざること山の如しである。

何事にも揺らがされない心を持ち、動くべき時までは決して軽々しく動いてはいけない、という教えを忠実に守った結果でもあった。


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ティファニーの偽物で財を成し…今は年商190億円の会社へ

このエントリーは6年前に書いたものです。

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90年代半ばブランド景品がブームになった時期があった。それまでのパチンコ景品と言え掛け率の低いおもちゃなどが多かった中、ブランド品は衝撃的だった。

当時は40個交換時代。一般景品なら上代1万円のものが取れるが、換金すると6000円に目減りする。それが魅力的な景品であれば、換金せずに景品を取る流れがブランド景品によって生まれた。

パチンコ業界へティファニーのオープンハートのネックレスを持ち込んだ会社があった。「あった」と過去形になっているように今は存在しない。

シルバーのオープンハートの定価1万5000円を1万円景品で出していた。もちろん偽物だからできたことだ。箱から巾着袋までコピーして、業界の景品業者に卸した。

当時の銀価格は1g6円。ペンダントトップに3g使っても20円。加工賃を入れて1000円ほどで偽物を作っていた。

「日本中のティファニーの偽物は、100%自分がやっていた」と独白する。

景品業者はそれを本物と思って3000~4000円で仕入れて、ホールへは5000~6000円で販売していた。

日本でも一流企業になった会社の中には、草創期にはかなりヤバいことに手を出して財を成し、その後紳士になって行くパターンがあるが、まさにこのケースがそれ。偽物で16億円儲け、今は年商190億円の貿易会社になっている、という。

景品の方に話を戻そう。

ティファニーのオープンハートが流行った時代ということもあり、景品でも飛ぶように出た。景品が魅力的だったので、「オープンハートが入荷しました」とポスターを貼ると、これ目当ての若者が増えた。

品不足から「1万円でもいいから入れてくれ」というホールも出るほど。損して得取れ。ティファーに欲しさにお客は2500発出すためにおカネを使ってくれた。

この社長は中国製の偽物Gショックにも手を出そうとしたが、Gショックは触れる機会が多いので、偽物とバレそうなレベルだったので思いとどまった。オープンハートはどれが偽物かも比べようがなかった。

ブランド景品もやがて等価交換になってからはさっぱり出なくなる。それまでも一般景品は5%未満の市場でブランド景品によって引き上げられたわけではないが、その数%の市場が失われたことで景品業者も淘汰されていく。

本来はタバコやお菓子など景品を取るためにおカネを使ってくれるのがパチンコのビジネスモデルだったものが、店の外で客からタバコを買い取る暴力団がすぐに出てきたように、換金の歴史は長い。

等価は高額景品を扱う景品業者を駆逐してしまった。



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