パチンコ日報

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ぱちんこ回想記 第6玉 初体験は「うちのポチ」で

この度もぱちんこ回想記を読もうとして頂き有難う御座います。是非飛ばさずに最後までお付き合いいただけたら幸いです。パチンコ日報さんで記事を書いている皆さんの記事を読んでいると、自分の文章が日に日に恥ずかしく思えてきました。1人だけ変だなと…。やっぱり学生の頃は、勉強しておくべきだったなと後悔しております。勉強しなかった代わりにぱちんこは、人より勉強した!というお話になりますので御理解くださいませ。

「レッドライオン」を打ってお次は、「うちのポチ」(1990年発売三共)。女性ぱちんこファンを増やすために、こんな可愛い台を開発したのだろうか?と思ったほど。私は今年パチンコ歴34年になりますが、その中でもベスト3に入る可愛さ。勿論「うちのポチ」は数百台あるコレクションの中の1台でもある。


一日の時間も勿体ないため、ポチを早く打つ事に。まずセル(盤面)のベースが白色だったのが凄く印象的だった。先程まで打っていた「レッドライオン」のデザインが凄く暗くドギツク見えるくらい。

私は絵も描けなければ、色使いのセンスも無い人間だが、見ているのは好きな方である。ポチの羽根はなんとお肉。1チャッカーと2チャッカーのデザインも素晴らしい。そして一番印象的だったのがVと描かれてるのが普通だが、ポチの場合は『HAPPY』である。


ここまで見てから打ち出す変態中学生は、まだ12歳。負けてはいるが、意気揚々と打ち出す。役物内を見てもとにかく気になったのはポチの手。手と手の間奥から玉が転がって来るのか?にしてもどうやって?そして羽根が開く!拾う!玉はポチの横に力無く落ちる。

ハズレ。が!一瞬ポチの耳が動いたように見えた。なるほど!タイミングが合えばポチの耳がサポートしてくれて玉が奥に行き、ポチの手と手の間を転がって来るのか!とすぐに気づいたが、そんなに簡単にいく訳でもなく、次々と100円玉がサンドに消えていく…。

惜しいシーンもないまま、気づくとポチの可愛さに騙されて2000円なくなる。しかし1チャッカーにポコポコと入り、羽根が開けば結構な確率で拾う。素人ながらに悪くないと感じていた。

何となく流れを変えたいと思い店外へ。昼前だが家で握ってきたおにぎりを食べる。腹が減っていた訳ではないが、何となくの休憩。このぱちんこ休憩も人生初の事である。打つ事に焦りもなくなり、この何となく取った“間”は、思い出してみると凄く不思議な出来事だった。

楽しむぱちんこから少し勝負師の一面が垣間見えた瞬間だったのかなとも思う。食べ終えても落ち着いており、ロングピースを咥えてはゆっくりとタバコを味わった。

そしてまた店内へと戻り、ポチとの戦いが始まる。そして500円くらい入れたあたりか、1チャッカー入賞して羽根が開き1個拾う。まではちゃんと見えていたのだが、どうゆう訳かその玉がポチの体の脇からVゾーンめがけて斜めに凄いスピードで転がり、V入賞した! 何処できっかけを作って斜めに玉が転がってきたのか理解出来ずにいた私は、1回の大当たりを損した気分になった。でも当たりは当たりだと言い聞かせて、1R目がスタートする。




可愛らしい音と共に羽根が開閉し中に玉が入っていく。でも入って行った玉はポチの体脇に落ちてハズレ穴へ。この台も貯留がないのか!と焦っていたら、6カウントまで静かだったポチが急に暴れるように動く! 良く見るとポチの耳が上がり下がりしている!

なるほど! ここでタイミング良くポチの耳に玉が乗れば!と見守っているとポチの耳の上に乗った玉が奥に行き、手と手の間奥からVゾーンめがけて転がってきた!

「おーっしゃあ!」と自分の想像通りの展開になり、1Rをしのいだだけで凄く攻略した気分になっていた私。多分渾身のドヤ顔だったであろう。そしてポチは貯留がないものの、7カウント目からの耳サポートで安定して継続し、危ないシーンもなく最終8ラウンド。

音楽が変わりVに入らなくてもいいラウンドなので、安心して玉の動きに注目しつつ消化する。完走してみると初めて感じた結構な出玉感だった。そして初めて感じた「このまま勝てる」という変な自信。続行すると予感は的中する。

羽根に拾われたら、ほぼ当たるんじゃないか、と思うくらいVゾーンに玉が吸い込まれていく。勿論、当時何個落としに入って何個拾ってなんて数えてないが、5個拾えば当たるくらいの確率だった記憶がある。

持ち玉も出来てある程度余裕があったので、玉の動きに一喜一憂しながらプレー。ノーパンクで出玉はあっという間にドル箱の8割くらいまでに達した。そしてまた一息つけ一服。勝利目前の余韻に浸る。自分の歴史的快挙の瞬間のタイミングを計りたかった。

一服が良くなかったのか、ポチの機嫌が悪くなった…。玉の動きを楽しんで見ているとVゾーンに当たって外れる事が多くなる。惜しいあたりのハズレが、打ち止めの間近の少年の気持ちを弄ぶ。そしてやっと当たったと思えば、4Rパンク。耳のサポートと拾った玉のタイミングが合わずにパンク。歯車が狂ってきたのか? ここで交換するか? どうしよう。

もう少しで念願の打ち止め。たとえここで全出玉が消滅しても、それはそれで次は別な台を楽しめばいい。でも、こんなに出てるんだからなくなる事はないだろう。自問自答しながら打ち続ける事2時間…。




私は初めて打ち止めを達成した。結局は何度も大当たりするが、パンクを何度も繰り返している時に店員さんがやって来て「お兄ちゃんこれで打ち止めだから終わりね」と優しく言われる。

景品カウンター前のジェットに流してもらい、3000個ちょっとのレシートを一度手渡されて文鎮に。ジッポライターの石みたいなのが入っていた文鎮8枚を貰い交換所へ。

千円札8枚渡されると私は力強くこぶしを握った。でも、出来れば打ち止めは完走して達成したかったな~と少し未練が残った思い出。

これでぱちんこ打てるお金が1万円弱に。しかしこの打ち止めで、自分の中の何かが壊れてしまい、金銭感覚も学生生活も全てが狂い始める。

つづく


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ぱちんこ回想記 第5玉 とりあえず郡内制覇へ。勝負台は初代レッドライオン

皆さんこんばんは。只今の時刻は丁度0時を回ったとこです。私は小さな頃から深夜の時間になると目が覚めて、頭の回転が昼間よりはマシになるタイプです。深夜のパチンコ店での仕事は今思い出してみると天職でした。第5玉を読みに来て頂き有難う御座います。ザリガニ位の小さな脳みそで今回頑張って書いていきたいと思います。

マイホの「平和ホール」で「タコヤキSP」に触れて、また自分のぱちんこレベルが1段階上がったような感じがした。とりあえず自分が住んでいる郡内のホールを探して、1軒1軒「D-51」を探しながら歩いて、たとえ無くても見て気になった羽根物は、打っていく事に決めた。

しかし、自分の地元から隣町まで自転車で行くのにも距離が大分ある。雨なんか降ってきたらかなりの事件である。如何にかして、楽して行く方法は無いだろうか? バイクに乗ってる先輩に乗せてってもらうのもひとつ。車に乗ってる先輩に乗せてってもらうのもひとつ。電車で行くのもひとつ。

色々考えてみたが、電車が一番いいと感じた。でも何処の駅で降りればホールがあるのか…。無い脳みそで考えてみた。そして私は駅前で、お客待ちで並んで待っているタクシーの運転手に聞いてみた。

「ねえねえ、電車でここから近くてぱちんこ屋がいっぱいある駅って何処の駅?」

何人かに聞いたら、詳しい人が1人いて教えてもらった。地元から北へ3つ目の駅で降りて少し歩いたら、「ぱちんこ屋がいっぱいあるぞ!」との事。

いっぱいあるのか…。私からしたらよだれの出るような話。駅の中に入り電車賃表を見ると片道300円程度だったかな。往復で600円もする。2000円弱の全財産から600円引いたら1200円程度しか勝負出来ない。ストレートで1200円使い切ったらすぐに帰宅になる。

それも嫌だよなと考えてしまう。そして某なんとかさんのようにトンチを始めると「!」と閃いた。

実家で店の手伝いをしよう! そうしよう! 

父に相談する。手伝いするから小遣いをくださいと。1日500円で話がまとまった。

私は貴重な夏休みの6日間手伝いをした。皿洗いをしてお客さんの所に料理を運び、愛想ふりまいて皿洗いをした。そして3000円貰った。これで全財産が5000円弱とお客さんに貰ったチップ2000円合わせて7000円弱に!

電車賃を600円使っても6000円は、負けれる(最初から負ける前提で考えてる)。もし昼になっても帰らなくていい状況なら、お昼も食べないといけないと思い、大好きな立ち食いそば屋でもあればなと思ったが、なかった時の事を考えて朝は、自宅でおにぎりを握って持って行く事にした。

翌日、部活をさぼる。朝おにぎりを3つ握って、T-BOLANのリュックに入れて朝8時台の電車に乗った。


3つ目の駅で降りて、駅から少し歩いてメイン道路を歩くと、ぱちんこ屋がいっぱい並ぶようにあった。それは地元より都会に見えた若柳町(現栗原市若柳)。勿論地元よりも人口は多く、町も明るく見えた。しかし問題点が1つあった。

それはホールが大きい事だ。どこも200台近い大きさ。今の時代に比べたら小さいかもしれないが、当時は200台までの規制があったと聞いている。

それでも100台もない地元の「平和ホール」や2軒目に行った「ラッキーニューセブン」と比べると大きいし、それに建物の造りが豪華に見えた。

昼間でもネオンがピカピカリレーしている。私の心は凄く踊らされたが、こんなホールに入ったら注意されて、追い出されるんじゃないか?という不安がよぎる。

宮城県は朝9時開店なので、歩いているうちに9時を過ぎ、各ホールから音楽やジャラジャラと玉の音が聞こえて来る。幼少期の時に聞いた賑やかだった「平和ホール」の音を思い出した。

そして、1軒目のホール「ビックバン」に恐る恐る入ってみた。店内はとても綺麗で天井が高い。ジャンプして手を伸ばしたら天井につく「平和ホール」とは大違いだ。

入った瞬間に分かったのは、ここには古いぱちんこ台はない事だ。店内をグルグル見て回ると少し強面の店員が近寄ってきて話掛けてきた。

「お兄ちゃんは何歳なのかな?」

答えようとする前に、胸ぐらを掴まれて入り口まで引きずられ外に出された。

「18歳になったらおいでね!」と笑顔で言われてドアを閉められた。

予想は的中した。やはりお客さんが多いホールは注意されると。それと私は当時身長も小さくて、顔も幼かったので中学生にも見えなかったかもしれない。とりあえずこのホールは諦めて、他のホールへ行った。2軒目は「ニュータイガー」。後から知ったが「平和ホール」のおばちゃんのお姉さん夫婦が経営していた店で、なかなかの客付だった。

入り口すぐにあった羽根物コーナーには、またもや「ビックシューター」。対面には三洋の「スタジアム」の2機種。

あまりにも混雑していたため、またも注意される事を恐れて撤退する事に (しかしまた来るお話は後で)。

また歩いてすぐ近くの「ダイエー」へ。駐車場に車は少なく、私からしたら良い感じ。入ってみるとすぐ店員2人と目が合ったが何も言われなかった。

ホッとして店内をグルグルしてみると、羽根物コーナーより先に視界に入ってきたのがパチスロコーナー。そこにはユニバーサルさんの2号機「リバティベル3」。パネルの筆記体で書かれたリバティベルのつづりがなんともカッコいい。そして青パネルの色が凄く印象的だった。私の人生で一番好きなスロットが「リバティベル3」になるのだがまだ打たず。その話も後ほどに。

再びぱちんこコーナを見て回る。「タイムショック」(三共) 、「フィーバーボルテックス」(三共)、「フィーバーフラッシュ」(三共)。どれも後に打つ事になるが、この時はどうでも良かった。

やがて大好きな羽根物コーナーに入ると衝撃的な台ばかりを目にする。

「うちのポチ」(三共)、「道路工事」(三共)、「レッドライオン」(西陣)、「赤兵衛」(西陣) の4機種。

パッと見て惚れたのが「レッドライオン」。次が可愛らしく見えた「うちのポチ」。面白いのかどうなのかパッと見では分からなかった「赤兵衛」、「道路工事」とつづく。この順で打って遊ぼうと決めた。

帰りがあまり遅くなると良くない。とりあえず1機種1回当てて次々打とう。

まずは「レッドライオン」からだ。




1984年に登場し、幼少期の頃に地元の「平和ホール」で見た「ゼロタイガー」を思い出した。同機は飛行機で「レッドライオン」はヘリコプターの役物。1981年に登場の「ゼロタイガー」に対抗した作品にも見える気もするが、実際のところはどうなんだろうか? 出来る事なら開発者に聞いてみたいものだ。

両替を済ませて適当に着席。セコセコと100円ずつ玉を借りる。ドキドキしながら打ち出す。1チャッカーと2チャッカーの「FIRE」も文字がとてもシブい。打ち出しすぐに左脇下のチューリップに入り、チリーンと賞球ベルの音と共に13個の払い出しが上皿へ。

なんとなくだが、今まで打ってきた2軒のホールとは、扱いの違いを感じた。この時から18年後にこの店にあったぱちんこ台を買取する事になり、当時の釘調整を舐めるように見たが、お客のいないお店のわりには凄く大事に叩かれていた。


ALL13の賞球を深く理解していて、ただ鳴きと寄りの調整だけする感じではない。ぱちんこ初心者の私だったが、大して鳴く訳でもないし、寄る訳でもないが玉もちが今までのホールよりいいのだ。明らかにお金の無くなるスピードがゆっくり。

でも当たらずに2000円なくなる。不思議と負ける感じがしなくて続行すると、ようやくツキが回ってきた。1チャッカー入賞から羽根が開いて正面から見て左の羽根に玉が2つ乗り、羽根が閉まったと同時に、玉と玉が押し合い1つがVゾーンに入ったのだ。

「ゴーーーーーッ」と祝福音が鳴る。


大当たりがスタート。しかし、パンクがある羽根物は大当たりしてからが勝負である。羽根が開閉し1個1個入る度に、ピュンピュンと音が鳴る。役内のヘリコプターのプロペラがクルクルと回りだす。「こんなところも動くのか!」と吃驚していたら、いつの間にかVに入ったみたいで2R目。よく見ながら打っていると貯留システムがない。

「おいおい!」と焦りながら祈る気持ちで見つめながら打つ。足の指にかなり力が入るも2Rでパンク。貯留してくれるのが当たり前だと思っていた私は、パンクしてガッカリするよりも、いろんな造りがあるんだなぁ、とぱちんこにもっと心が魅かれていった。

出た2R分の玉はこの後惜しい当たりもないまま全部なくなった。多少悔しさはあったが、また打ちに来る時のために、レッドライオンの役物を目に焼きつけてから台移動して、2台目の「うちのポチ」へ。画像を見ての通りとても可愛らしい1台。

すぐにポチの話を書きたかったのですが、文字数が大分オーバーしているのでポチは次回でお話いたします。まさかポチで人生初の…を達成するとは。   

つづく


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ぱちんこ回想記 第4玉 正真正銘!浪速の味!タコヤキSP!

こんにちは。早くも4玉(話)になりました。この度もわざわざ読んでくださり有難う御座います。色々思い出したり、当時から知る人や友達に聞きながらこのぱちんこ回想記を完成に向かっております。

宮城の話だけだとつまらないと思われますので、やがて東京に上京していろんなホールで打った話や、北海道~沖縄まで旅打ちした話なんかまで書けたらな~と思っています。いつか今はなき某パチスロメーカーの社長さんの当時の話や〇〇〇のリアルな話など聞いた事を書けたら面白いのかなと思います。それではつづきです。


「マジックカーペット」初打ちを終えて自転車でシャコシャコとペダルを漕いで30分。家に到着した。まだお昼を回ったところで実家のお店は忙しい。日曜日ならお昼過ぎにはテレビでスーパージョッキーが放送されていた為、よほどの用事が無ければ家にいた。

お目当ては勿論熱湯コマーシャルである。でもこの日は日曜ではなかったと記憶している。マジカペで羽根物を理解出来てきた私は、ぱちんこが打ちたくて、打ちたくて疼いて仕方がなかった。

地元の「平和ホール」は、この前怒られたばかりだったからとても行き辛い。でも小さな頃から今現在まで陸奥の熟女キラーと呼ばれている私は、怒っていた「平和ホール」の店主のおばちゃんの機嫌を手玉に取る事に自信があった。

とりあえず店内に入って本気で怒られなければ、隣町のホールに行ってマジカペ打った話をしてみようと思い「平和ホール」に向かった。

とりあえずまた同じ事書きますね。平和ホールの入り口のガラスに背中をつけて、周囲を確認したところで店内へ。

入って目の前の島にお客さんが1人だけ居た。

「おっ!すげー。今日は客がいる」

この先5年間はこんな状況である。景品カウンターにおばちゃんではなく、知っているパンチのおじさんがいた。

「コラコラ。ダメだぞ、入って来ちゃ。寿司屋の坊ちゃん」

見た事のある人だと思ったら、うちの実家のお客さんでもあり、私の叔父さんが経営している理容室でパンチを「あてている」おじさんだ。写真を載せれたら皆さんが笑うと思うが、見た目は西陣の「パチンコ大賞」の役物の中にいるドル箱持ったおじさんに似ている。


「パチンコ大賞」のおじさんが、パンチパーマになった感じだ。引っ越して来た時から知っている人。やがて大人になってからホールに勤めるようになるのも、このおじさんの影響があったからである。このパンチおじさんの苗字は千田(ちだ)さん。

「今日はおばちゃんいないの?」と聞くと

「今日はいないよ。出かけてるから。そんな事より、お前ぱちんこなんかするのか?」と言われて、これまでの話をする。

景品のコーヒーを手渡され、煙草を吸いながら「マジカペ」の話や「汽車ポッポ」の話。「D-51」の話をしたが、千田さんの口からは「D-51」に辿り着ける有力な情報は得られなかった。

それどころか、そもそも住んでいる郡内には、もう設置店が無いんじゃないかと言われてかなりげんなりした。

がっかりした顔をしていたのだろう。千田さんは少し希望を持たせるような事も言った。

「探せばいつかはどこかで会えるかもしれないよ」

この時からやがて10年後…。P-WORLDさんを知って全国のパチンコ店情報が見れるようになって、何の機種が何処のホールで何台設置されていると携帯電話で見れるようになるなんて、当時からしたら夢のような話だ。

探せばいつかは!か…。分かった。でも今日は、ぱちんこ打つから!と宣言したら意外にも千田さんは苦笑いするだけで、怒りはしなかった。今日は違うのを打ってみよう!狭い店内をグルグル歩いて設置の8割は羽根。よく役物内を見て打つ機種を決めた。

1990年に発売された三共の「タコヤキSP」(ALL13)である。


たこやき器をモチーフにしたであろうステージに、串を持って左右に動いてる焼きのおじさんらしき人。丸穴に玉が入ると、なんかなるのかな?と軽く妄想して、両替を済ませて勝負開始。

盤面を見ると羽根は爪楊枝?串?1チャッカーと2チャッカーにはビール。役物上部には「本家たこ焼き」羽根下には「正真正銘浪速の味」。正真正銘浪速の味を知るのは4年後の修学旅行である。役物内になぜかいる達磨と猫。そして笑ったのがお猪口を持っているタコの目がピカピカと奇妙に光っているところだ。




この台も「パチンコ大賞」と同様羽根が短い。嫌な事を思い出しつつ打つも、やはり店主の地獄の釘調整の前に12歳の可愛い男の子は苦しむ事になる。1000円使って1チャッカーに入賞したのは僅か2回。拾い0。こうして書いていると、とあるニュース番組の「ゼーロー♪」が聞こえて来そうだ。

残り800円。また涙ぐんでしまう。悔しいではなく、お金が無くなったら大好きなぱちんこが打てなくなる淋しさから来る涙である。意外と私はこういう時だけ神様仏様お願いしますな人なので、天に思いを伝える。すると!祈りが通じたのか地獄調整のタコヤキSPが覚醒した。(ただの鳴きムラ)

ビビりながら続行すると面白いように1チャッカーで鳴く。そして拾う。これで 26個返し。一時は玉が増えていく勢いであった。そして2個拾うと1個がVゾーン手前左前の穴にハマる。お!っ、と見てると玉が押し出されてピョン!っと跳ねた!跳ねたが場外へ(笑)

「スゲー!玉跳んだ!」と一人大声で騒いで打つ。その後も追加投資のスピードが緩み、残り400円。今まで全く入らなかった2チャッカーに入賞し、2個拾った玉の1個が中央からスルスルフラフラと、穴と穴の間を通ってきてV入賞。欲しかった当たりが来た。

「よっしゃー!」

景品カウンターにいた千田さんにガッツポーズすると、千田さんは何故かマイクを握った。

「はいー。115番台~。一般台タコヤキコーナーから大当たりスタート! おめでとうございます~! ジャンジャンバリバリお取りお出しくださいませ! ありがとうございます!」

初めてマイクアナウンスで祝福された時は、気分がいいものだったし、千田さんがカッコよく見えた。これがホールで働く人のマイクかと感動した。

隣町で覚えた羽根物のルールをおさらいしながら、大当たり中を楽しんでみる。1R目、役物内のステージにある6個の穴。羽根開閉しながら拾った玉が次々と穴に入り貯留されていく。早くも10カウント入賞すると穴にハマっていた玉が一斉に解除される。手前の3つの穴にハマっていた玉はまたジャンプした。見事V手前の穴にハマっていた玉が跳ねてVゾーンに入賞する。

「簡単だなおい」

大当たり時と継続時には役物内上部から「毎度おおきに!」の暖簾がパカパカと落ちて来る。そして続いて4R。同じく貯留された玉が一斉に解除される。タバコ咥えながら見ていたら、跳んだ玉が全然違う方角に跳んで行き、Vゾーンに入らずでパンクになる。




Vゾーン手前の穴に貯留されれば、Vに入るもんだと思っていた私は、桂三枝さんのように背もたれのの無い椅子から力無く転げ落ちた。そして景品カウンターの方を見ると千田さんが笑っていた。

「アレおかしいよ!! Vゾーン手前の穴にハマったやつは絶対にVに入るんじゃないの!?」と初の抗議をするも…。恐ろしい返答が来た。

「ぱちんこに絶対はない!残念!」

くそチビパンチめ。もう1度当ててやる! 結果は何回も当てるが5R以上継続させられなかったけど、玉はジリジリと増えて500個箱1つとちょっと出た。また1機種遊べたからヨシとして交換。またしても景品カウンターで1750円渡されて終了。

どうしても1750円の壁を越えられないと感じたこの日。私は「D-51」を探しつつ打った事の無いぱちんこを1機種1機種探して打っていき、打ち止めにするのが目標になったのである。

つづく


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ぱちんこ回想記 第3玉 ぱちんこが狂わす夏休み

こんにちは。みさお般若です。週2で抗がん剤治療を頑張しているのですが、どうしても体調不良になる事があるのでその時はお話の続きを書くのが遅くなったりする時がありますので御了承くださいませ。それでは「D-51」探しに西へ、北へと歩く中学1年生の夏のお話のつづきです。

パチンコした事によって、いろんな意味で人生狂った人は世の中に何人いるのだろうか?私がこうしてパチンコ日報さんでぱちんこのお話を書いていますが、意外にもこのぱちんこ回想記『パチンコなんかしない方がいいですよ』ってのがお話のゴールになります。

私自身ぱちんこを打つのが早すぎた事により、中学1年生から大分荒れた学生生活になりました。

でも今レトロパチンコ、レトロパチスロを扱う仕事をしているのは、きっとこんなぱちんこ人生だったからであろう。死ぬ間際にぱちんこに携わって幸せだったのか?の答え合わせが凄く気になるところだ。

少し背伸びをしてみたかった。子供なのに早く大人になりたかった。そんな気持ちもあった。年上の人達とばかりつるむようになり、この夏休みはいろんな事をした。

「D-51」探しを始める。とりあえず自転車で行ける範囲のホールを思い浮かべてみる。買い物に行く際、親と一緒に車で移動中に通った道にホールがあった記憶を辿ってみる。

そうだ! 隣町に1軒あった! 朝起きて部活に間に合わなければ自転車に乗り隣町へ。30~40分かけて辿り着いたパチンコ「ラッキーニューセブン」。地元の「平和ホール」より少し大きな120台ちょっとの設置店。駐車場には車が多数ありとても入りづらい。

外から中を覗くとかるく50人以上はいるじゃないか。胸の鼓動が高鳴る…。そしてビビりながらもいざ入店! 道路側入り口から入って左側には初めて見るパチスロ台が並んでいた。

しかし、まだこの時の私にはパチスロなんてどうでもよかった。とにかく羽根物コーナーである。昔のホールの大体がどっちかの端がスロットなら、その反対の端は羽根物コーナーだった。

羽根物コーナーに入ってみるとそこに設置されていたのは「ビックシューター」(平和)と「マジックカーペット」(三共)だった。

お探しの物はこれじゃないんだよな…と思いつつも少し打ってみようの冒険心。しかし、12歳の財布の中身は残り2000円弱。ぱちんこ大賞で人生初のストレート負けのトラウマが脳をよぎる…。

「ビックシューター」の役物と「マジックカーペット」の役物を見比べてみると、回転体をくぐり抜ける難関があり、くぐり抜けて下のステージに落ちてからもうひと勝負のビックシューターの方が辛そうに見える。

なので「マジックカーペット」に決めた。両替を済ませて適当に着席。羽根のヤシの木が実に可愛らしい。打ち始めてすぐに隣のおじさんが大当たり。気分良かったのか話しかけてくる。





「お兄ちゃんの台は昨日打ち止めになってるから今日はダメかもな!」

打ち止めってなんだ? 言われて上を見ると、幕板に3000個打ち止め定量と書いた紙が貼ってある。分からない事は聞いてみるタイプの人間なのでおじさんに色々と聞いて情報収集。

3000個出たら終わりとの事。出た台は次の日は出ない。あとは電圧がどうのこうの(笑)

ヘラヘラしながら打っていると、私にも当たりが来た。今でも覚えているが2チャッカー入賞して壺から蛇が出てくるような音とともに、羽根が開き3個拾った玉はの2個が中央から真っすぐにV入賞! 2個入った事により出玉も2倍!とはならなかった。


隣のおじさんに背中をバチバチ叩かれて祝福。1R目スタート。軽快に拾わせた玉はカーペットの上に貯留されて一斉に下段ステージへ。その瞬間、先ほどまで静止していたVゾーンがなんと左右に動く! え!? Vって動くの!?と思っていたら1Rで呆気なく終わる。

ただこの1Rパンクした事に謎だった私は、隣のおじさんにまた色々説明してもらう。1Rごとに1個はV入賞しないと終わってしまう事。それがパンク。またまた勉強になった。

おじさんは大きなドル箱(3000個箱)あと少しで、満タンになるくらい玉がある。どうせならこのまま色々と聞きながら打ってれば、勉強になると思い続行。そして残り300円…。また2チャッカー入賞から拾いV入賞! パンクの勉強も兼ねて役物の中の玉を凝視する。

「Vに1個入った!」

2R目がスタートすると、羽根物のゲーム性を理解できた事に凄く喜んだ。1Rクリアしただけなのにおじさんと握手する。

「まだまだ気が抜けないぞ!」

「分かってるって!」

こんな事言いながら、パンクせずに無事8R目までやって来た。8Rが始まると1~7Rで流れていた音ではない。

「おめでとう! 最後のラウンドだよ」とニコニコ顔でおじさんが教えてくれた。


そうか8Rで終わりなのか。Vに入ってればずっと続くと思っていた謎まで解決した。お金も無かったので完走してすぐにヤメ。景品カウンター前のジェットで玉を流して初めての文鎮を手渡される。

そのまま外に出て行くと、敷地内にあったプレハブの小窓を開けて交換してる人がいた。私も後ろに並び、ドキドキしながら待った。自分の番が来て文鎮を渡した。何も言われずに千円札1枚と500円玉1枚渡された。

プラマイゼロの勝負だったが、色々勉強になって負けなかったから気分は勝ったようなものだった。お金を財布に入れてタバコに火をつけて浸っていたら、少年野球をしていた時の監督とバッタリ会ってしまう。

「こんな所でタバコなんか吸って何してんだよ!まさかパチンコしてたんじゃないだろうな!」

監督さんはうちの実家のお客さんでもある。優しかったけど見た目は「普通の人」には見えなかった。

「パチンコなんかしてないですよ~」と引きつってたであろう笑顔で否定するも、監督のマジな表情を見ると大人には通じなかったようで。この監督とバッタリ会った事が後に問題になる。

つづく



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ぱちんこ回想記 第2玉 ちょび髭オヤジ登場「パチンコ大賞」

こんばんは。各あるコラムの中より私のぱちんこ回想記のつづきを見に来てくださって誠に有難うございます。これからもジャンジャンバリバリ、ジャンジャンバリバリ、バリバリバリッとお読みお楽しみくださいませ~有難う御座います。それではつづきです(笑)

衝撃の「ぱちんこ」初打ちから一夜明けた。学校に行くも前日の「汽車ポッポDX」のメロディーが耳から離れないのと「D-51」がなくなっていた事に対するモヤモヤ。ホールには新台入替というのがあって次々と台が新しく入替られて、古い台はなくなっていくなんて事は知らなかった。

どうしても、またぱちんこが打ちたくて、打ちたくて仕方がなかった私は、夜にでも隙あらば、親の目を盗んではホールに行ってぱちんこを打とうと考えた。

ぱちんこを打ってるなんて親父にバレたら気の短い親父の事だ、絶対に顔の形が変わるまでボッコボコにされるであろうから、真剣に作戦を練った。

とにかく実家の店が忙しい時間帯である19時~21時を狙う。まさか私がぱちんこを打っているなんて思ってもいないだろう。あれ? 家の中にいない!となっても散歩してたとか言えば何とか誤魔化せる。

そして19時。私はスーッと家から出て100メートル18秒の足で駅前へ。「平和ホール」の1つしかない玄関前までやって来た。ガラス扉に背中をつけて周囲を確認し誰も見てないのを確認して素早く入店。一目散に「汽車ポッポDX」に向かうが、その1歩手前で気になった1台が、私を呼び止めたような気がした。その機種は…。

1990年に発売された旧要件機。西陣の名機「パチンコ大賞」(ALL13)だった。




役物を見ると中にはドル箱を頭の上で持ったまま立っているちょび髭のオヤジがいる。そしてVゾーン手前には横15縦7粒の赤色の1色ドットがあり、見ていると何やら文字が流れる。

「イラッシャイ イラッシャイ デルヨ デルヨー」

ほんとかよ。

なぜかこの「パチンコ大賞」の設置は汽車ポッポDXの隣に1台だけだった。

よし。今日はこの台を打とう。100円玉を台脇の薄いサンドに入れる。今日は前回儲けた分の1500円までの勝負だ。そう決めていざ実践!

打ち始めながら役物内を見ていると、とても不思議だったのがステージだった。手前にあるVゾーンに入らないと当たらないと思っていた私は奥にもVゾーンがある事に気づいていなかった。当たらないと役物内が少し暗いのだ。


「オヤジのドル箱に玉が入ってそれをオヤジがVゾーンめがけてドサーっとやってくれるやつか」と第1妄想。


昔のぱちんこって初めて打つ時、今の時代のように情報がなかったので、打つ前に役物を見て役物の動き、役物内での玉の動きを妄想する事が当たり前にあったし、妄想が楽しかった。

それは開発者の遊び心が伝わる物だったからだと私は思っている。それと役物が小さかった事もあり、中が狭かった。狭いからこそイレギュラー入賞ではなく、マグレの当たりが起きる確率が高いと錯覚してしまう人間の心理を突いた、考えたサイズなのかと今でも考えさせられる。

打ち始めながら盤面を舐めるように見てみる。とにかく羽根が小さく感じる。そして1チャッカー入賞するとワンテンポ置いて「…チーン!」と短い羽根が開く。

しかし、拾わない。「汽車ポッポDX」が初打ちの私からすれば、開閉時間も短く感じる。これがぱちんこをして初めて難しいと思った瞬間だった。とても当たる気がしないのだ。

そして、私の勘は的中する。まぁ今考えれば店主のおばちゃんの地獄調整では、なかなかチャンスが巡っては来ない。前日勝った1500円はあっという間になくなった。役物内のちょび髭オヤジが、私を小馬鹿にしているようにも感じる。

「続行だ!」と当てるまで諦められない私は千円札を両替しにカウンター前の大きな両替機へ。カウンターにはおばちゃんの姿はない。

着席して玉を両手でサンドから取る。そして打つも1度も1チャッカーにすら入らず100円玉が10枚なくなったのを記憶している。

「昨日あんなに簡単に当たったのに…」

私は涙目になるが、悔しさを押し殺しながら打ち続けた。こんなに簡単に次々と100円がなくなるなんて。そして、また千円札を両替しては打つ。開いても拾わずあっという間に3000円がなくなった…。

役内のオヤジが笑いながら帰れと言ってるようにも感じてきた。全身の力がスーッと抜けて涙がこぼれた。しばらくの間ぱちんこはやめよう。そう思っていたら店主のおばちゃんがやって来た。

「ぱちんこしに来ちゃダメでしょ! 終わり終わり!」

1度も当たらず自棄になっていた私はタイミング良くおばちゃんに「D-51」の事を聞く事に成功したのだ。

「入り口からすぐ右列にあったSLのぱちんこはどこいったの?」

そう聞くとおばちゃんは普通に教えてくれた。古くなったから新しい台と交換した。でもとても人気があった台だった。「D-51」って名前の台だった。

「他の店に行ったらひょっとして『D-51』が設置してる所ってあるの?」と最後の質問に
「小さなお店ならひょっとしたらあるかもね」との回答。この回答が人を疑う事を知らない私の「D-51」探しに火をつけた。

世間は200台設置規模のホールに遊びに行く中、私は「D-51」探しをするために小さなホール、小さなホールと探していろんな機種と出会っていく事になる。

私は大人になってパチンコ店で働き、店長職を経験して後に「夜だけパチンコ店で働いて」現在ではレトロパチンコとレトロパチスロを扱う仕事をしているが、今考えれば12歳で人生が決まっていたのかもしれない。  

つづく


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