パチンコ日報

ニュースにならないニュースの宝庫 

ぱちんこ回想記 第20玉 ぱちんこ台から流れた初の歌

暑いですね…。私の最も苦手とする季節がやって来ました。プラス治療していると平熱が大幅にUPする為、昼間の気温が30℃越えるとかなりの地獄…。今年は特に気をつけて過ごさないといけないようです。皆さんも水分補給を忘れずに気をつけてお過ごしくださいませ。

中学生になり初の冬休みが迫っていた。暇な毎日をぱちんこ打って過ごしたい。でもお金が無い。さぁどうしよう。そう思っていた朝だった。何気なく新聞の折り込みチラシを見ると、町内にあるスーパーの敷地内でゲーム機やゲームソフトを2日間売りに来る業者がいるらしい。

そこで見たのがゲームボーイの本体(中古)が限定10台500円!と書いてあ1る。確かゲーム屋さんに行くと中古で5000円くらいで売られていた時期。その他のソフトもお店に行って買うよりは大分安い。

そもそも地元にゲーム屋さんはなく、買いに行くとなるとバスで行くか電車で行くか。これは金になる!と思った私は、また実家のレジからお金をくすねる事にした。

今度は大胆に一撃1万円。ポケットに入れて学校へ行く。そして放課後…。スーパーに行くとゲームが売られているではないか。500円のゲームボーイは1台も売れておらず残っていた。

「すいませーん。ゲームボーイ10台!」

普通に10台まとめて売ってくれた。残った5000円でマ〇オ系のソフトを買えるだけ買う。そして翌日…。学校にゲーム機を数台持って行き、買い手を探した。1台5000円であっという間に完売した。1台4500円の儲け+ソフトで3000円の儲け、合計で48000円。レジからくすねたお金はとりあえず返した。たったの2日で38000円を手にした。これで安心してぱちんこが打てる。早く冬休みが来ないかと。

指折り数えた。そして待ちに待った冬休みがやって来た。ぱちんこ打ちたさに買い食いも我慢して我慢して、38000円を握りしめて向かった先はバスで30分の宮城県登米郡(現宮城県登米市)だった。迫町佐沼のバスターミナルで降りてウロウロしてみると、私の好みのホールを発見した。

「パチンコ銀座」

銀座じゃないのに銀座。今でも不思議な店名である。後から知ったが地元チャンスホールの系列でもった。外から店内がスモークで見えないほど真っ暗。いかがわしい10円ポーカー屋のような雰囲気だったのを覚えている。いつも以上に入るのに勇気がいった。店内に入るとお客は2人だけ。全2島しかない狭い店内の設置機種を見て回るとオール羽根物。

しかし、大半が地元チャンスホールで見た機種。「D51」にも出会えず。見た事のない機種は1992年発売のオロチョンパ(三共)だ。見た目で選んだのがオロチョンパだった。見た感じ優しそうに見えたからだ(笑)両替を済ませていざ打ち出すと…。


とにかくうるさい(笑)。ぱちんこ台が喋る喋る!役物やセルを見ると「河内家」「菊水丸」などとデザインされているが何の事だか全く分からずに打っている私。

1チャッカーに入ると「おろちょーん!チャンスやで!今や今や!」なんだなんだこの台は!そして打つこと5分もしないうちに当たり到来。羽根が開いて羽根に乗った玉が閉まると同時にステージに落ち、すんなりとV入賞した。そしてまた驚いたのが、この台は歌が流れるのである。


「古今東西~ヤマタノ~オ~ロ~チ~」あとは動画でみてください(笑)

打っていて気づいたが、うちのポチに似ている役物である。大当たり中は裏に回った玉が1つ貯留されて7カウント目で解除される。

それにしてもこれまで打った中では抜群の安定感だった。全くパンクの心配もなく大当たりを消化できる。でも賞球は5&10。出玉は少ない。無事に15ラウンド完走で出玉を作り、本日はこれで安泰だ!遊べる!と思っていたのが甘かった…。ここからまさかの負け戦になるとは1ミリも思ってもいなかった。




ここから本気で当たらない。2チャッカーに玉が入る!と思ったら初の出来事。玉が2チャッカー上の2本釘で動きが止まる。そう。俗に言う「首吊り」である。偶然初当たりが早かっただけで全く1チャッカーにも入らない。

思い出せば500円くらいあたりで1チャッカー入賞が2回くらいじゃなかったか。意地になって出玉が飲まれても続行してしまう。熱くなりすぎて投資が止まらない。ゲーム機を売って簡単に稼いだお金。

こんなカツカツの調整台に1万円も使ってしまった。イライラして打ってはいたが、まだまだ金はある!と余裕たっぷり。楽して稼いだお金だからこそ使い方も雑になる。こんなにもカツカツの調整なのにまだ逆転出来ると思っていた私は冬休み1回目の地獄を見る事になる。

つづく


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ぱちんこ回想記 第19玉 ノックアウト

こんにちは。7月7日はパチンコ店に行く人が多かったみたいですが、皆さんはどうでしたでしょうか? 残念な事に私の住んでる地域のホールは特別な事する訳でもなく、通常営業だったようで。私は普通に仕事して一日が終わりました。

「フィーバーキング」との勝負は期待の保留連へ。隣の人も注目して見ているからこの台は保留連荘機で間違いない。期待して見ていると2回転目か3回転目でリーチがかかった。

「よし!」と左手を握り、リーチの行方を見守っていると1コマ手前でハズレ。「終了後の保留でリーチかかってハズレあるのかよ…」ともの凄くガッカリして全身の力が抜けた。

両隣の人の同情の目が凄く痛い。

あとはリーチもかからずに通常へ。今交換すれば5000円ちょっとにはなるだろう。続行か交換か。悩みに悩んで続行した。

打ち続けるとリーチはかかるも当たらず1箱あった玉は半分まで減る。もう当たる感じもしないなので交換すると2500円になった。

ぱちんこの恐怖感。このまま打てばお金はいくらあっても足りない。何故かその恐怖感を認めたくなくて、セブン機を打たないで羽根物ばかり打っていれば恐怖を感じないはず。

そもそも、ぱちんこを打ち始めた理由はなんだった? 「D-51」に会うためじゃないか。

交換所で現金に替えて暫くそんな事を考えていた。そもそも、ぱちんこの軍資金は、親が一生懸命働いて稼いだお金をレジからくすねたもの。ぱちんこしてるなんて両親は知るハズもなく、考えれば考える程段々と申し訳なくなってきた。

さぁ、残り少ない金でどうしようか…。使えて5000円。私はトボトボと歩いて隣にあるホールへと向かった。その隣にあったホールは「パチンコ大学」。今は住宅地になっているが、今でも忘れられないホール。

しかし、何よりも怖かったのが、このホールのすぐ近くには警察署があるという事である。でも店内に入りたい気持ちの方が強く、コソコソと隠れるようにINした。ここで私の大好きな羽根物歴代TOP10に入る名機と出会う。

「ニューナパーム」(西陣)。1992年登場


もう初めて見た瞬間に謎だらけで虜になる。どうなってどうすれば当たるの?まぁ、羽根物なので羽根に拾われて、その玉がVに入れば当たりなんですが、役内を見た感じ回転体に玉が行くルートが見当たらない。もうこれは打つしかないでしょ!となる。

よしよしと両替機に辿り着き両替を済ませると、なにやらパンチ店員さんの視線が結構冷たく痛い。これはあまり長居出来なそうな雰囲気。逃げるように着席して玉を借りて打ち出す。

向かい合って見ると、羽根が大分下の方にあるように感じたのが印象的だった。役内中央下には上下する羽根。その羽根が上がっている時に玉が入るとアウトに行くのだろう。それにしても回転体にはどうすれば行くのだろうか…。


そして打って鳴いても拾わず、拾っても即アウトへ。軽く1000円溶かして再度両替機へ。

やはりパンチ店員の鋭い視線が痛い。

何度も突き刺すような視線が嫌になり、2000円か3000円分両替した記憶がある。また逃げるように早歩きで戻る。そして打っていると、見てない時に拾った玉が気づいたら回転体のハズレ穴に入っていった所を見た。

「見逃したよ…」

これだから羽根物というのは目が離せない。次こそは!とまばたき、よそ見厳禁。100円玉が次々と溶けていくが、もうここまで来るとなくなるもんだと思って打つもんだから気にもならない。

まぁ半分不貞腐れて打っているんだけどね(笑)。

そしてここから怒涛の攻めに入る。謎だった回転体へのルートが判明する。中央下に上下する羽根をクリアした玉が脇へ。脇の穴へ入ると回転体へとピョンと跳ねて送り出される。

「おー!なるほど!こうなるのか!」

しかしVには入らず。拾われた玉が次々と回転体へ跳ぶ!当たりはしないが、何度もVめがけて惜しいあたりを連発するだけで興奮するものだ。でも軍資金は残りあとわずか…。

「数打ちゃ当たる」

そう信じて打ち続ける。そしてようやく当たりが来た。2チャッカーからだ。たしか2回開いて4個くらい拾ったような記憶。回転体に2個跳んで1個はV手前、もう1個はV待ちみたいな流れになりV入賞。待望の大当たりがスタートしてサクサク拾った玉は両脇の穴に貯留され、解除されると次々と回転体へ押し上げられてV入賞し、次のラウンドを目指す。



しかし、こんな運のない時というのはとても残酷なもので、たしか4Rくらいの出来事だっただろうか、全然拾わなくなる。拾っても貯留されずにアウト穴へ直行したり。回転体へ1個も行かずにパンクする。ぱちんこあるあるだ。

まぁ半べそかいた(笑)。そしてお決まりのパターン。あとは打てども打てど当たらない。出た玉はなくなり、持っていたお金も電車代残して全部なくなる。某漫画で沼パチンコを打って数千万円なくなった主人公が「へな」となるシーンがあったが、まさにそれだった。

ホールの外に出てからはしばらく地面に横になって空を見上げた。

「何してんだろう」

もうぱちんこを打つお金もない。帰りの切符を買ったら、タバコもジュースも買えない。もうすぐ冬休みが訪れる。冬休みになれば暇な毎日をぱちんこで過ごしたい。どうにかしてお金を作らねば。そして、ぱちんこを打ちたさに、お金を作る作戦に出る。

つづく


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ぱちんこ回想記 第18玉 ホール発見は夜の帰りの電車の客室窓から

こんにちは。ワールドカップのブラジル戦の激闘は凄かったですね。惜しくも負けてしまいましたが、日本代表の選手にはとても元気を頂きました。明日からの治療も頑張れそうです。

仙台の都会でぱちんこを体験した私。前話でも書いたように、都会のぱちんこの合わなさを感じて、暗くなってから仙台駅で電車に乗って地元の田舎まで帰る。それが私にすれば新しいホールを開拓する大チャンスだと気づいたのは偶然にもこの日だった。

小学6年の頃までは電車に乗ってても、ホールのネオンがあるくらいにしか思わなかったが、まさかその1年後には血眼になってネオンからホール探しとは。仙台から地元まで約1時間かかる。窓の外を見ていると何軒ものホールのネオンがキラキラしていた。

仙台から離れてもネオンは所々にある。

「こんな所にもあったか」

そりゃたまにはモーテルのネオンと間違えた事もあった。目標は極力地元から近く、電車で行ける小さなホールだ。地元に近づいていくと「こんな所にあったか」と吃驚するくらいの街にホールのネオンが並んで見えた。

なんと地元から2つ目の駅だった。また胸が高鳴り始める。時間があるなら今電車から降りて打ちに行きたい程だ。そんな気持ちを押し殺して週末を待った。

いつもと変わらず登校して、授業中は寝るかゲームボーイで過ごし、退屈な平日を過ごしてようやく待ちに待った週末を迎えた。

起きて準備をして駅に到着。仙台方面へ駅2つの小牛田駅(現JRこごたえき)へ。当時片道200円くらいだっただろうか。電車で15分くらい。

電車から降りて駅から出る。数日前に電車内から見たネオンの位置の記憶を頼りに歩いてすぐにそのホールがあった。しかもそんなに離れずにトータル3軒のホール。なんて素晴らしい街なんだ。

1軒ずつ入ろうと決め、まずは今でも健在「パチンコ新幹線」から。当時にすれば大きなホール。入ってみるとお客さんは結構多い。そして何よりスロットコーナーの客層が初めて見たくらいにガラ悪そうな人が多かった(笑)。

羽根物コーナーを見て回ると、当たり前に「ビックシューター」、「マジックカーペット」。これにはガッカリしたが、何やら客付きの良い機種に目が止まる。それは当時、とても大きく見えた三共のドラム機「フィーバーキング」だった。


1992年11月登場

大当たり確率1/254 、賞球数7&15、5ライン

空き台がなく、ドル箱を重ねてみんな楽しそうに打っていたのを覚えてる。よく考えてみると新台で設置されて間もない時期。出玉もあり、なかなか空きそうに無かったが、何となく打ってみたくなり待つ事にした。

どれくらい待ったかは覚えていないが、結構待って座れた事だけは覚えている。「フィーバーレクサスV」なんかと比べると大分ドラムがデカい。どんな台かも分からずに打つ。


自分で打ってゲーム性を覚えるのが楽しみの1つでもあった。そして打ち出しスタート。打ち出して玉の流れを見ると、ドラム脇にある風車に右に弾かれた玉は「ステージ」に乗り、乗り出した玉は無条件でスタート(ヘソ)付近まで行ってくれる。今までの機種だと道釘をカチャカチャと渡り転がってスタートに向かうのだが、キングの場合はステージからがメインと言ってもいい。


だからといってステージから向かう玉がボロボロとスタートに入る訳ではないが、見ていて入りそうな気がする玉の動きに一喜一憂できたものであった。ストローク(弱め打ち)で回転数が稼げるなんて知ったのはまだまだ先の話。リーチがかかると、とりあえずはドキドキ。打って間もなくダブルリーチ。ハズレはしたがドキドキ。隣は当たって保留連荘してるのを見て、キングも保留連荘機と気づく。そして全くいいとこが無いまま投資は止まらず5000円を越える。

またいつものように変な手汗が出る。一度店外へ出てタバコを吸い、財布の中身を確認する。使える金額残り3000円くらいだっただろうか。でもこんな事はよくある事。今までのぱちんこを考えれば、1度は当たってる。俺は当てれる男だ!と強く思い、戦場に戻る後ろ姿は小さなぱちんこ戦士(と思いたい)。



なんだかんだでヤケクソの私は全部硬貨へと両替した思い出。ヤケクソ両替した割には
ケチケチと100円ずつ玉を借りる。

当てたい!と強く思う気持ちは、100円硬貨が減るに連れて次第に1分でも長くホールに居たい!という気持ちになる。そしてヒヤヒヤケチケチ打ってたらようやく当たりが来た。

図柄は忘れたが、下段ラインのリーチで熱く見守っていたら1コマ手前で停止!ハズレかよ。と思ったら再始動して揃い大当たり。1度外れたのに再度動いて揃ったのには驚いた。「見間違えたか?」確かに一度外れたはずなのに…。大当たりラウンドをサクサク消化して保留連に期待。パンクせず16Rを消化した私。
「フィーバーキング」との初対決はどうなるのか?

つづく



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ぱちんこ回想記 第17玉 初めて見た液晶搭載ぱちんこ。麻雀物語(平和)

前回のぱちんこ回想記16玉で、エキサイトビューティーの動画を悠々道さんのyoutubeチャンネルから勝手にお借りして貼り付けて使ってしまい、誠に申し訳ありませんでした。反省し、今後このような事が無いよう気をつけます。

「エキサイトビューティー」で保留連荘をカマして、多少どころかかなり調子こいていた私。どうしてもそれを誰かに話したくなってきた。それをある同級生の1人に話したら、凄く聞き入ってた。

まぁ、その話してしまった事がこの後に大変な事になるとは思ってもいなかったけどね。そうとは知らずに私はホールを開拓する事に専念していた。

11月20日の誕生日で13歳になった。あと5年で堂々とぱちんこができるな~と改めて思った中1の冬が到来した時期だった。私は歯の矯正のため、月1で仙台の矯正歯科に通っていた。

仙台駅で降りると駅前にはホールが沢山あった。駅から少し離れてもホールがいっぱいあったが、なんせ「田舎者」の私からすれば、平日の昼間にホールに入ったら補導される自信しかない(笑)。まだ何をするにもビビっていたみさお少年。でもこの時期に思い切って1軒のホールに入ってみた時の話だ。

仙台駅前から徒歩10分くらいだろうか。今でも健在の宮城県一の老舗パチンコ店ABC本店」さんへ。ビビりながら店内に入ると人がいっぱいいた。これまで遊んできたホールとは全く比べものにならないくらいの繁盛店で、台もいっぱい設置されている。

店内をウロウロしてみると、まぁ田舎では見たことのない台ばかりで、空き台があまりないくらいの稼働率。そこで出会ったのが、業界初フルカラー液晶デジタルを採用した平和の「麻雀物語」だった。因みに初の液晶台はブラボーエクシード(平和)。

初めて見た時は衝撃的だった。


「ぱちんこ台にテレビ付いてるよ!」

まだ麻雀というのが分からなかったみさお少年。絵柄はピンズと字牌を採用。でも画面には少しエッチそうな女の子。


またまた仕組みも分からずに両替して着席してみた。打ち出してみると、今まで遊んだホールなんかとは訳が違うくらいに回ることに違和感があった。

こんなに回るのか…。こんなの初めてだ。

●スペック
大当たり確率1/240、賞球数7&15、16R10C

何も知らずに打つこと、確か2~3000円。リーチを「長いな~何周してるんだろう」とボーッと見ていたら、呆気なくピタっと揃って大当たり!

「うおっ!」

まぁ、ノーマルリーチしかないので、ただただピタっと揃うしかないのだが、投資額が少ないうちは当たらないと思っていたので吃驚した。

記憶が確かなら、麻雀物語の初めての当たり絵柄は「東」だったような…。そして大当たり中に保留連荘の抽選が行われているなんてことも勿論知らずに打っている私。

「これは一体何Rまであるんだろう?」くらいに思って見ていると、ちゃんと16Rまである。1回の出玉もモリモリだ。

大当たりが終わると、4つの保留が回りだす。両隣の人が私の台に注目している。なるほど。この民の視線は保留連荘機ってことか。私はすぐに感づいた。しかし、残念な事に保留連荘はせず単発で終わる。




私が麻雀物語の保留連荘の仕組みを教わったのは大人になってから。17歳で上京して職場の頭の良い先輩に教わったハズ。麻雀物語は大当たり中にチラッとエラー画面が出る時があるのだが、意図的にエラーが起こる造りだったとか。

V入賞を感知するセンサーとアタッカー入賞個数をカウントするセンサーに間があると言ったらいいのか、距離があると言ったらいいのか、V入賞したのに入賞個数のセンサーの方が反応せず→エラー!という風になってしまう。

麻雀物語の絵柄は16種類。その16種類の絵柄が保留玉の大当たり判定数値に上書きされて、保留1回転の大当たり確率は1/16と説明された。なので保留連荘の確率は23%くらいだと。立派な大学出の先輩なので今でも信じている(笑)。

初代麻雀物語の実機を現在10台くらい所有しているが、全く研究をしようと思ったことがない。大好きな1台ではあるが、中身を解析なんて出来る訳もなく…。今度、私のスーパー師匠の「Iさん」に教えてもらったらここで発表する。




話は戻り…。

単発で終わるも続行。持ち玉がなくなったら終了くらいに思い、いつもより「まわるぱちんこ」を楽しんだというよりは勉強をしたと言ったらいいのか。打ちながら周りをキョロキョロ見ていると、都会のホールのお客さんは楽しそうに、ぱちんこを打っているように見えた。

そして足元にはドル箱が一杯あって、出てるようにも見えた。自分は田舎の極力、人のいないホールを探しては古い台が目当て。全く逆の景色を見せられて「なんか自分が来るホールじゃないな」と感じてしまい、持ち玉も飲まれて追加投資することもなく終了。

店内をグルっと見て回ることもせずにホールから出た。帰りの1時間の電車の中で、ずーっとぱちんこのことばかり考えていた自分。

新しいぱちんこ台が世に次々と誕生している。私は外されていくような台を探しては打つ。
もうこの歳でこんな事を考えていた。都会に住んでいたらこの歳で、ぱちんこなんか打っていないだろう。私には田舎のホール回りがお似合いだと強く誓ったのだった。

つづく


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ぱちんこ回想記 第15玉 私は良い時代にぱちんこを打ち始めたと思う訳

こんにちは。抗がん剤治療後に、必ず飲まないといけない薬を飲むのを忘れたら、バットで顔面殴られたのか?という位に顔が腫れてしまいました。記念に写真を載せようと思いましたが、あまりにもグロテスクなので断念いたしました。気をつけます。

14玉までのお話で、あちこちホール探しては、ぱちんこを打って歩きまくった私。ぱちんこを打つ理由が理由だったので、お客さんのいないホールをターゲットに歩いていて、世間一般のパチンカーの逆を行く事になっているという事には、当時全く気づいてもいなかった。

ぱちんこの歴史を振り返ると、14玉までのお話の直後の1992年(平成4年)8月から、CR機の導入が全国で始まった年でもある。

大きなホールに行くという考えが全くない私には、CR機を触るなんて事は後の後。しかし、CR機を導入しないお店も多く存在してくれたおかげもあり、私はぱちんこの歴史を知る事になる。

これは打った時代も良かったが、住んでいた地域も良かったなぁと思うところ。真面目に18歳からパチンコを打っていたら、それ以前のぱちんこは打つ事もあまりなく、平凡なパチンコライフだったであろう。

この1992年のCR機誕生の年が、私の中のぱちんこが「ぱちんこ」から「パチンコ」になった年と勝手に思っている。そしてCR機を触る前までの「ぱちんこ」を楽しむ数年を送る事になるのが、世間を賑わせた保留連荘機達と旧要件の羽根物達であった。そんな話がまだまだ続く。

相変わらず周囲の目もあり、地元の「チャンスホール」でぱ、ちんこを打つ事は出来ず、イライラはしたが、次第にそんな気持ちも薄れていったのを覚えている。それは他の町に行けば、当時は当たり前にホールがあったからだ。新たなホールとの出会いにドキドキ出来た時代。

今の時代にはないドキドキ感である。設置機種は店内に入ってみないと分からない。ホールによって設置機種がバラバラ。なんだこれ?見た事ない。打ってみよう!となるのが毎度の事。それくらい当時は各ホールの「色」があった。

そして中学1年の秋頃だったか。日曜日に電車で地元からかなり離れて、宮城県は石巻市へ。なんの頼りもなく、何となく石巻市へ行ってみたのである。


駅前にはホールが2軒あった。1軒ずつ店内に入って見て回ると今まで見た事のある機種が多く、少しゲンナリして退店。駅に戻りタクシー運転手に周辺のホールの事を聞いてみると、歩いて行ける距離で小さなホールがあるようだ。せっせと早歩きで向かうと、小さなホールが見えた。

「立町ホール」だ。

100台もないだろう、地元の「チャンスホール」くらいの小さなホール。

店内に入りすぐに島の右側にあった羽根物は、1990年ニューギンから発売された「さめざんす」だった。パッとみて初めて見る独特の羽根の造りに惚れた。


両替を済ませてすぐに着席して役物内を見渡すと、Vゾーンがなんと手前でもなく、奥でもなく。ステージ中央にあるではないか。

そして一見変わった二重構造の羽根。打ってみないと、どうなるのか分からない。ドキドキしながら打ち出す。忘れもしない投資100円。1チャッカー入賞から奇妙な羽根解放音と共に1個拾ったが、目で追ってはいたが見失い、Vゾーンに入る瞬間だけ見えて大当たり。

多分ではあるが、奥に行かなかったであろう玉は、矢印が描かれている方から拾われて、あっという間に下段ステージに落ちては、Vゾーンに吸い込まれたに違いない。

あっという間に欲しかった大当たりを手にする。そして聴いたことのある音楽が流れる…。

のってけ、のってけ、のってけサーフィン♪…。




勿論音だけ流れるのだが、歌詞は頭の中で流れていた。いやいや、それどころじゃない!大当たり中大事だ!

1R目は二重構造の羽根の玉の拾い方を気にしていてVゾーンに入り2R目に。貯留は大当たり中サメが上向きになり、サメの口に1個玉が貯留される仕組み。

それにしても2~3個入るとすぐにVゾーンに入ってしまい、次々とラウンドが進むも出玉が少ない。完走手前でパンクしたが、出玉はほんとに少しだけ。500個箱いっぱいにすらならない。

「たったのこれだけか?」

初めて味わう少量の出玉。賞球は5&8&10。

たしかに今まで打った機種はALL13が多く、1Rに6~8個くらいは拾ってくれた。10個の賞球で5個拾って次のラウンドに行くとなると、出玉が少なくても不思議ではない。

なんとなく続行して打ってみると、ぱちんこをやり始めたばかりの私にも、この「さめざんす」の良さが分かってきた事があった。鳴きと拾いはそんなにも甘くなかったハズ。釘調整で言えば多分ギリギリだったのかなと。

打っているとストレスなく遊べる事に気づく。

当たりやすいのだ。だけど出玉も少ない。まったり遊べる羽根物に初めて出会った。少しぱちんこを覚えた私は、楽しむより勝つという気持ちの方が少しだけ勝っていた。

そんな私に「さめざんす」が、羽根物で一喜一憂する事の大切さを再度教えてくれたのかもしれない。数時間「さめざんす」で出たり入ったりの遊技をして、投資100円で遊べる羽根物を満喫。

出玉は結局なくなってしまったが、まだ100円しか使ってないから!という安易な気持ちで保留連荘機に手を出すのであった。

つづく



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