2025年11月14日に癌宣告され、いつどうなるか分からない現在46歳。一風変わったこれまでのぱちんこ人生を書き綴りたいと思います。
ぱちんこ初打ちから最終話までいろんな機種の思い出を皆さんと振り返り、皆さんの中にある思い出も引き出せたらと思います。
なにしろ中卒で全く勉強もした事の無い人間の文章ですので、お見苦しい文章ですが、小さな脳みそフル回転させて一生懸命慣れない手つきでキーボードを打ちます。最後まで書けるかお約束出来ませんが、末永くお付き合いいただければと思います。宜しくお願いします。
私は1979年に宮城県岩沼市で生まれ、5才まで岩沼市で育つ。幼少期の頃から少し変わった人間で、初めて行方不明になったのは3才の時だった。親の目を盗んでは自宅の窓から脱走し、約1キロ先の日本国有鉄道駅(現在JR駅)までせっせと歩き、脱走してまでも見たかったものは「汽車」だった。
父が岩沼市の「おくに寿司」という店で修業していたので、私が自宅から脱走するとお店の人達も総出で探す一大イベントに。家ではプラレールとトミカで遊ぶ毎日だったが、やはり実物の汽車の迫力は凄いと子供ながらに感じていた。しかし汽車が好きなために、このあと死ぬまで終わりのないの無いぱちんこ人生のレールを歩き続ける事になるなんて思っても見なかった。
そして6歳になろうとしていた頃、父がふるさとである宮城県栗原郡(現栗原市)で寿司店を開業するため、岩沼市を離れることに。新しい住まいから120メートルの所に、またしても日本国有鉄道駅があって駅前には商店がいっぱい並んでおり、その中には人生を大きく決める設置台数80台弱のパチンコ店「パチンコ平和」があった。
photo 高橋賢多 平和はその後チャンスに
当時、駅前は活気が凄く、電車が到着すると人で溢れるくらいの町だった。現在は人口4000人ちょっとの町なのでそんな面影はどこにも残っていないが…。
そんな活気のある駅前で父は店を始めて、連日お客さんが来店する忙しいお店だった。父は昼休憩になると駅前のパチンコ店「平和」に遊びに行くのが日課だった。
母と自宅に居ると夕方からの予約や出前の電話が鳴る。あまりにも予約が殺到すると母から「平和へお父さんを呼びに行って来て」と言われ、子供ながらに大人しか入っていけない空間に入るドキドキ感が沸きあがってきた。
店内はチンジャラと賑やかで楽しそうな雰囲気の中、まるで遊園地に行くような気持ちでお店の入口へ。まだ体も小さかった私の前には観音開きの二枚のガラスのドアはとても大きく見えた。両手で力いっぱいドアを押しながら開けて進むと、店内の木の床の油の匂いが鼻に入ってくる。それは線路の匂いととても似ていた。
多分嫌いな人が多い匂いだろう。
でも私には「いい匂い!」
入口から真正面の島の奥にパチンコを打つ父の姿があった。
その時だった。
「ポーッ!シュポポポポポ!」と汽車の音が右耳に入ってきた。
振り向くと1列設置されていたのは1984年登場の西陣の「D-51」。パッと見たD-51の役物の薄い羽根の形、セル中央下にデザインされている線路。子供ながらに凄く衝撃的な数秒間だった。
「うわー!汽車だ!カッコいいなぁー!」
この年齢でぱちんこ台を見てカッコいいと思った自分。父を呼びに入ったホールで偶然にも汽車が好きな子供が汽車をモチーフにした台を見てしまったことが、私がぱちんこをする理由が決定してしまった瞬間だった。
まだ小学生にもならない私は、「D-51」を見たいがために「ホールへ行って父を呼んできて」と母に言われるのが待ち遠しくてたまらなかった。
日に日に「見たい」という思いから「打ってみたい」に変わり、羽根の開閉音や大当たり中の音を口ずさむまでに。勿論羽根物のゲーム性なんてのは分からない。ジャラジャラと玉の流れる音、チリーンと鳴る賞球ベルの音と共に、賑やかな店内に流れる軍艦マーチや演歌。店内に2回ほど入っただけでぱちんこの虜になってしまった。
やがて父は駅前の「平和ホール」に遊びに行かなくなる。大人になってから事情を聞いたのだが自営の寿司店も忙しく、あまり興味も無くなったんだとか。
私は小学生になり学校から下校する際には必ず「平和ホール」の前を通る。以前より店内から聞こえていたジャラジャラと聞こえてきた玉の音は、月日が経つにつれて静かになっていった。
冬になると日が沈むのも早まり、暗くなると「平和ホール」のネオンが静かに寂しく電球がリレーしていた。小学4年生になり少年野球を始めてから、練習を終えて帰宅する際、ホールの入口から何度か中を覗いたが、店内は閑散としており以前のような活気はなくなっていた。
私はぱちんこが打てる年齢になるのを指折り数えた。「平和ホール」の活気がなくなっても「D-51」に対する想いと初打ちは「平和ホールで!」という想いが変わることはなかった。
やがて中学生になる。すぐに高校生や車の免許を持っている先輩と遊ぶようになり、違反制服を身にまといタバコを覚え、マセていた私は6月に早くも年上の彼女ができた。
人生で初カノである。部活は野球だったが行ったり行かなかったりするようになる。夜は家を抜け出しては先輩の車に乗せられてドライブに行ったりたむろしたりする日々を送くる。悪い事をしている事に段々と麻痺していく。そんな初めてできた彼女に7月7日に仙台七夕に行こうとデートの予定を立てられた。仙台七夕に行ったことのある人ならお分かりだが、仙台七夕は8月である。
そんな事も知らずに7月7日のド平日の午前10時。学校をサボって彼女と待ち合わせ。しかし時間を過ぎても彼女は来ない。田舎の電車は1時間に1本。1本遅れると1時間待たないといけない。待ってるうちに10時台の電車は行ってしまった。
「なんだよあのクソ女!」
凄く楽しみにしていた女子との人生初デート。待たせられた事によってデートに行く気持ちも冷めてしまう。そして駅前にいた私の視界に入ってしまったのが「平和ホール」だった。
待っていても来ない。デートのためにお金は少し持っていたのでぱちんこをしようと思い、入ってみることにした。結局18歳までなんて待てなかった。入口のガラス扉には18歳未満入店禁止のシールがデカデカと貼ってある。そして何よりも「D-51」との再会にドキドキしながらいざ入店だ!
入ってすぐに目の前の島の右列に、お目当ての「D-51」はない。さらに、左列にあった「ゼロタイガー」もない。しかも羽根物でもなくセブン機が設置されていた。3島しかない店内の設置機種を見て回るも「D-51」はなかった。しかし、運命の悪戯か同じ汽車をモチーフにした平和の「汽車ポッポDX」が4台設置されていた。その盤面を見てもの凄く悩んだ。
「記憶違いであの時見たのはこれだったのか?」
多分5分くらいは台の前で悩んでいた。でも羽根の形は違うしセル中央下に描かれていた線路と左上に描かれていたメーテル風の女性の姿もない。
かなりガッカリした。
しかし、せっかくだし「人生初のぱちんこは汽車で!」と思い財布から100円玉を3枚取り出し、サンドに100円玉を1枚投入。25発の銀玉を両手で取り、上皿に流していざ実戦!
どこを狙って打つなんてことも分からずも、1発2発と玉が飛んでいく事に感動していた。しかし100円25発では何も起きなかったが、忘れもしない200円目。初めて入賞したのは2チャッカー。入った瞬間に「D-51」とは違う開閉音にガッカリしたが、2回目の羽根が開いた時に2個拾ったうちの1個が役物中央から王道ルートを通り、私の目の前にあるVゾーンに入った。
その拾ってからVゾーンに入るまで今でも鮮明に覚えているが、もの凄くスローモーションに見えたものだ。盤面全体がピカピカと光り、台のスピーカーから流れてきた音は童謡の汽車ポッポ。やはりこれは「D-51」ではないと分かったが、これもこれでヨシと思えた。
photo高橋賢多 その時の台番は22番台だった
1R中に1個Vに入らないとパンクすることが分かったのはまだ先の話。ラウンド間も勿論打ちっぱなし。キラキラ光る役物内の玉の動きに一喜一憂しながら青色の長方形の500個箱に慣れない手つきで銀玉を移す。今でも覚えているが途中から音も何も聞こえなくなっていた。完全に自分の世界に入り浸っていた。ふと気づくと人生初の大当たりは終わっていた。
何だか大人になった気がした。カッコつけて吸い始めたロングピースを咥えて火をつける。
持ち玉で遊技続行すると今度は大当たり後1開閉目は1チャッカーから拾い、今度はスローモーションに見えることなく役物中央奥から高速でVゾーンに入賞した。
かなりの興奮状態だった。
「ぱちんこってこんなに簡単なのか!」
しかし、大当たりはすぐに終わってしまう。今考えれば1Rか2Rパンクだったのだろう。デートのことなんてすっかり忘れていたのでもっと打ちたかったが、やはり平日の昼間から12歳の中学生がホールにいて警察なんかが来たら…。なんて思うとやはりビビリが勝ってしまう。と、同時に店主のおばちゃんが苦笑いしながら近づいてきた。
「親に怒られるよ!もう終わりね!」と小さな箱を持って行かれ、カウンターに案内される。ジェットカウンターに玉を流してもらう。800個ちょっとだったのを記憶している。
「はい!1750円ね!」と手渡される(笑)
父が文鎮を渡されて外のタバコ屋で換金しているのを見ていた私は、どうしても文鎮を渡して欲しかったので少しガッカリしたのを覚えてる。しかし、12歳の1750円は大分デカい! 「D-51」の事を聞きたかったが、おばちゃんの表情はやや不機嫌だったため、聞くことは出来なかった。
18歳未満の小僧がお店から出る時、おばちゃんも大分冷や冷やしていた。おばちゃんが店の外に誰も居ないか確認してくれてタイミング良くエスケープ。おばちゃんの姿はまるでガソリンスタンドの店員さんがお客さんの車を道路に出す時の交通誘導そのものだった。
でも振り返ると「もう来るんじゃねーぞクソガキ!」と顔が言っていた。
あ、そうだ。俺待ち合わせしてたんだったわ、と思い出して駅の中に行くと彼女が来ていた。
「ちょっと!遅いんだけど!」と言われ、「どっちがだよ!」と心の中で怒鳴ったが、初めてぱちんこを打って当たった余韻に浸っていた私は、待たせられた事などどうでも良かった。
その日予定していたデートは中止。7月7日いろんな事で大人になった1日だった。そして平和ホールに「D-51」がなくなっていた事で皆とは少し逆を進む、いや大分変わったぱちんこ人生を歩む事になるのだった。
つづく
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