パチンコ日報

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パチンコ業界は、現状の分析と未来を予測出来ないのか? その⑪

遊技機人口が減るのは、全日遊連が悪いわけではないのは、誰だって分かっている。

ただ、業界青年部の一部は、業界で遊技人口のアップは叫ばれても、その具現化するための方策が見えてこないことを嘆く。

その分、業界上部団体には希望の光を求めるし、手厳しくなる。

約1万店舗のホールがそれぞれベストを尽くせば、業界が良くなるわけだ。現実には、それが出来てないから焦るわけだ。廃業すると腹を括れば焦ることもないが…。

ホールがバンバン出玉競争をしていれば、遊技人口は上がるはずだ。

その適正値は、ホールによって全部違う。ホール企業の体力、さらには自社物件か賃借物件かでも違ってくる。

地域一番店を視察すると、大半はよく回る。競合店より回る。基本的はここだ。

私が店長時代、一番店以上に回せば、半年もすると一番店を簡単に追い越すことができた。

でも、今はホールの体力などにより、粗利を取らないとやっていけない。そのしわ寄せで4パチにお客様がいなくなった。

私がやっていた時より、店長受難時代ともいえる。

店長受難時代を生んだのは負の連鎖が原因とも言える。その負の連鎖の始まりと原因を業界人に問いたい。

原因の一つは、一物一価の徹底もある。

初代ジャグラー、通称赤ジャグラーの人気はすごかった。当時は8枚交換の時代。20台あったホールでは、昼に12時からは満席。それが連日続いた。

設定は全台2。ジャグラー自体が絶妙のスランプを作るから設定2。たまに高設定を入れて上げるだけで、お客様はついてきた。

ホールも儲かりましたな~(笑)
イベントもない時代、お客様が勝手に来てくれた。

NHKドラマで冬ソナ人気に火がつき、京楽から初代冬ソナが発売された時は、パチンコとは無縁の主婦がホールに押し寄せた。

ヨン様のレアな画像をガラケーで撮影する主婦が続出したことは記憶に新しい。当時は日韓関係も良好だった。

普段パチンコをやらない層がホールへ押し寄せることは、もう何年もない。

初代のギンパラから始まり海物語へ発展して、全国どこでも海物語だらけ。海ファンが続出して、稼働も勝手についた感じだった。

初代ジャグラー、初代冬ソナや海物語など、お客様が勝手に来てくれる、そんな機械が欲しい! これがホールの本音であろう。

でも世の中そんなに甘くはない。

あの当時、等価交換は主流だったら、初代ジャグラーや初代冬ソナはどうなったかな? そんなことを考えてみたい。

初代冬ソナや赤ジャグラーが人気の時代に低貸し営業は存在しなかった。理由は簡単だ。必要性がなかったからだ。

では、どうして1パチが全国に拡がったのか?

原因はここにある。

つまり随分前から4パチ不況の足音が忍び寄って来ていた。そこへ息の音を止めたのは一物一価に徹底だ。

700台あったホールの低貸しパチンコは連日8割の稼働だったが、一物三価だった。

1パチは200玉で100円。
4パチは33玉で100円。
スロットは5枚で100円。

一物一価の徹底で等価交換の始まり、1パチと4パチの稼働が一気に下がった。

好調のスロットに交換率を合わせたら、パチンコの稼働が下がるのは当たり前だ。

稼働低下を食い止める機械をホールは待ったが、大半の機械は期待を裏切った。

お客様さまが勝手に遊びたくなる遊技機は中々出て来こない。そんな機種を開発することはできないのか?

つづく




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