
同店の運営は、競走馬さくら軍団のオーナー、さくらコマース。グループ企業には、焼肉のたれ「ジャン」で全国的に有名なモランボンがある。
同社は、焼肉のたれ以外に様々な製品を出していて、各種鍋スープの素や、餃子などの皮も出荷しており、スーパーにおける餃子の皮シェアNo.1とも言われる。
セブンアンドアイホールディングスで売られているセブンブランドの餃子の皮などは、モランボンが製造しているばかりではなく、生協のプライベートブランドの製造も引き受けている。
関連会社の警備会社STSは、丁寧な警備で地元では有名で各地で警備を行なっている。最近では、シェアサイクル事業に参入して市内には22カ所にシェアサイクルを配置していて高い稼働率となっている。

ホール企業の中では多角化に成功している部類だろう。
「パーラー宮西」は25年前、スーパーの忠実屋が入居していたビルをさくらコマースが引き継ぎ、地下と1階がホール、上層階にはボーリング場やセガのゲームセンターを入れていた。さくらコマース本社やモランボン本社もこのビルにあった。
ビルが老朽化して立て直す時期に来ているところへ、前々から買取の話が来ていた。さくらコマース本社ビルだけでなく、周辺の土地や立体駐車場など含む15筆を、長谷工コーポレーションが開発することとなった。

跡地の土地利用構想によると、集合住宅、店舗、保育所が入る予定。つまり、保育所があるという以上は、風俗営業店は入らない。ということは、「パーラー宮西」も入らない。
オープン当初の「パーラー宮西」は、約1000台の遊技機が設置された。当時としては、全国的に見ても最大級であった。
景品交換場は、1階と地下にそれぞれあり、コンビニを彷彿とさせる大規模の景品スペースは、テレビでも紹介をされていた。実際に、モランボンの製品はもちろん、乳製品やハムなど数多く取り揃えてあった。
面白いのは、最初からしばらくは、チューリップ台が100台以上あり、羽根モノなど電役機と合わせて250台以上はあったと言うことだ。特にチューリップ台は大人気で、連日老若男女問わず稼働があった。
毎日、抽選解放に大勢が並んでいた。
当時、特に人気だった景品はタバコで、数の制限がなく、しかも交換玉数は、他店よりも有利だった。セブンスター1箱200円の時、さくらコマースのパチンコ店では50個。他のホールでは65個から80個の時代だったから、タバコは人気景品だった。
さくらコマースグループの基本方針として、一般景品は等価交換だった。今では当たり前の一般景品等価交換だが、当時はそうでもなかった。
グランドオープンから全国から視察が絶えないホールであった。平均稼働は7割あり、土日は9割以上の稼働を誇った。
近くには東京競馬場があり、多摩川競艇への無料バスが府中から出ていた関係から、ギャンブル客も多数来店した。
競走馬さくら軍団が全盛の頃は、競走馬グッズの専門店が同じビル内にあり、「パーラー宮西」は賑やかで、地域一番店に相応しい出玉があった。
ジャグラーがまだ出てない時代から北電子との関係は深く、サーカスを多数入れていたことを思い出す。サーカスだけで40台。やがてサーカスが消え、初代ジャグラーが40台設置されると連日満席に。ジャグラーブームの火付け役になったといえよう。
4号機時代、MAX機時代を経て「パーラー宮西」は衰退していく。
最初は40玉、8枚交換だったが、徐々に等価交換へ。一物三価は一物一価となり、それにつれて稼働は落ちて行った。数年前から、4パチの稼働は1割を切り、ほぼ低貸専門店化していった。
稼働が落ちた理由は、グループの「スパークル」と言うホールが新設されたり、競合店の旧金馬車府中店が力をつけてきたからだ。余談だが、キコーナに買収された金馬車の1番店は、新宿店ではなく府中店だった。
その金馬車が、一時期経営難になった時があった。2階にあったスロットコーナーのジャグラー全台がある日、消えてなくなり、代わりにベニヤ板が張られていた。借金のカタに取られたのだ。
「パーラー宮西」と「金馬車府中店」は永遠のライバルと思われたが、先に金馬車が買収され、「パーラー宮西」は閉店。
こうして話題の大型繁盛店を定点観測をしていると、繁盛店だからと言って永遠に続くわけではないと痛感する。
「パーラー宮西」が2月12日をもって閉店すると、張り紙が貼られたのは2月1日のことだった。そのわずか12日後には閉店だ。何とも慌ただしい。
この経過の中で、「パーラー宮西」の古い固定客から、こんな声が漏れてくる。
「あの爺さんや婆さん、年金支給日になるとパーラー宮西に遊びに来ていたが、今月の支給日に来てもパーラー宮西は無いんだよな~」
つまり、閉店日をあと少し伸ばして欲しいと言うことだ。
会社には閉鎖のスケジュールがあるかも知れないが、長年支持をしてくれた年金受給者ファンの事まで考える余裕やスケジュールがなかったのか?
最後に言いたいのは、閉店するにしても、そこまで考えてくれたらファンとして嬉しいと思うと言う事だ。
「パーラー宮西」、四半世紀、お疲れ様でした。

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