昭和50年代半ば。フィーバー登場前後にパチンコ業界に入ってきた人たちは、すでに業界を去っているか、業界に残っていれば重責を担う地位で働いている。
この時代が大衆娯楽からミニギャンブルへ舵を切った時期でもある。フィーバーの登場によって売り上げは一気に10倍に増えた。ちょっと前までは廃業も考えていたホールが、これによって息を吹き返した。新店を出せば、出しただけホールは儲かった。機械メーカーはもちろん、周辺機器メーカー、建築関連もおしなべて儲かった。儲かった時代はコスト意識もなく、豪華絢爛なホールが全国各地に登場した。
この時代は40玉交換で、1回交換からラッキーナンバー営業が主流。16割分岐営業だから120%~130%以上の玉を出すことができた。一番バランスが良かった。
バランスを崩してきたのはCR機の登場あたりからだ。脱税対策、北朝鮮への送金封じのために、警察庁の肝いりでスタートしたプリペイドカードの導入が遅々として進まず、CR機にのみ、射幸心をおおいにそそる確変を認める特典を与えてしまったことが、ギャンブル依存症問題の原点ともいえる。
バランスの良かった現金機は社会的不適合機という妙な理由で、半強制的に撤去され完全CR機化が図られた。
何10万円も勝てる機械の登場に、ユーザーは熱中していく。ギャンブル化は大手が率先した等価交換営業によって拍車がかかる。
風営法改正はいわば、先輩警察官僚が作り上げた依存症問題を現職がその始末を行っている構図だ。
出玉3分の2規制がどの程度稼働や売り上げに影響するかは、新基準機が市場に登場してみないと、実際のところは分からない。ただ言えることは射幸性の引き下げで大衆娯楽に戻ることを歓迎するぐらいのプラス発想が必要である。
「人間はストレスが溜まる。ストレス解消のためにパチンコや居酒屋はある。明日の活力を生むために、ストレスを発散する場が娯楽産業である。大衆娯楽に戻ればパチンコは復活する。1人に10万円を大勝させるのではなく、10人に1万円ずつ勝たせるのが大衆娯楽だ。皆にチャンスを与えることが売り上げアップにもつながる」(70代業界人)と持論を展開する。
ゲームは遊んで終わりだが、パチンコは遊んでその対価が貰える。このアドバンテージは射幸性が落ちても最大の強みだ。

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