パチンコ日報

ニュースにならないニュースの宝庫 

業界から去ることを思い止まった


前職では派遣~アルバイトを経てその会社のトップに上り詰めながらもある事情から会社を去ることになった。辞めた後も社員のことが気になり、心のバランスを崩して、うつ病の一歩手前まで行った。

2カ月間で体重は14キロも減るほど食事はのどを通らなかった。病院にも2カ月間通院した結果、病状は回復した。ライザップへ行ったかのようにスマートになった体型に、久しぶりに会った人は皆一様に驚いた。

就職活動を再開するまでに4カ月が流れた。人材紹介会社に登録した。この時は完全に業界から去ることを決めていた。職種も全く業界外を紹介してもらっていたが、ホール企業の紹介を受ける。完成された組織というイメージがあった。もう一度現場を経験したくなり面接を受ける。面接した側も前職の経歴を見て驚いた。面接を受けたホールと競合する店舗もあったので、それなりの実力は推し量れた。

面接担当者と話していくうちに、もう一度この会社で自分の腕を試してみたくなった。5カ月ぶりに働き始めた。現場に復帰するのは実に5年ぶりだった。

前職では新店の大型店の店長を任された時に、思うほど稼働を上げることができずに失敗に終わった。とんとん拍子で出世階段を上っていたが、初めての挫折を味わう。

この時の悔しさがバネになる。釘を一から勉強するために、なんと自腹で50万円払って釘学校へ通う。そこで1級の資格を取って帰ってくる。社内に釘の専門部隊を作り、責任者になり、そこから人生が変わって行った。

行ったことは釘に対する考え方を統一することだった。全店の新台を釘部隊が管理して納品した。それにより、各店の業績が上がっていった。この功績が認められて営業部長に就任する。

初めて店長になって失敗した店舗の業績を1.3倍に引き上げた。こうした功績が認められさらに役員の階段をステップアップして行った。

「今は店長をやることが滅茶苦茶楽しくてしょうがない。これまでは全体を見ていましたが、1店舗に集中できるので、あれもやりたい、これもやりたい、とワクワクしています。射幸心を煽らずに2回目の来店動機につながる施策あるので、それもまた試してみたいですね」

久しぶりに現場復帰して驚いたのが、最近の新卒はパチンコをしたことがないので、お客のハンドジェスチャーを理解できないこと。

「仕事を教えてもらった人の恩返しは、その人を超えること」をモットーとしている。再び現場を教える側に回る。引き出しの多い人材を育てることにも意欲的だ。


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メーカー営業のノルマ地獄


「メーカーの営業マンを例えるのならバット売りだった。バットの売り方は分かっていてもボールの打ち方は知らない。メーカーの営業マンがホール企業に入社した場合、バット売りが、いきなりバッターボックスに立ってホームランを打つことを期待されるような感覚でした」と話すのはメーカーの営業からホール企業へ再就職したAさん。

メーカー営業マンなら様々な法人と取引していたので、色々なことを見聞きしてきている。それを踏まえての具申を求められた。

Aさんは大卒。新卒の就職先はパチンコメーカーに入社が内定していた。最初の勤務先だったが福島県の郡山だった。ところが、Aさんは地元の郡山と勘違いして、会社側からいわれていた住む場所の手配をしていなかった。

そのことが原因で入社を辞退することになり、学生時代にアルバイトもしていた外食チェーン大手へ就職する。

外食産業も慢性的な人手不足が続いていた。入社1年で店長へ。バイトを叱ればすぐに辞めるのが外食産業だった。24時間営業だった。人手不足から68時間ぶっ通しで勤務したこともあった。

アルバイトが食材を盗んで帰るような店舗で、棚卸したら15万円分の食材がなくなっていた。深夜になると客もほとんどいない店で、アルバイトが仲間を呼んで酒盛りしていたのを目撃したこともあった。

食材不足は店長の管理監督責任、とばかりに会社は損害を店長の給料から天引きした。

2年間我慢して働いたが、堪忍袋の緒が切れた。

第二新卒として入社したのが念願のパチンコメーカーだった。

入社2~3年目の2000年に「タリラリラン音」で一世を風靡した機械が大ヒットする。このヒットのお蔭で業界2位に躍り出た。ボーナスは年3回も支給され、1回のボーナスが200万円も支給された。

営業職で東日本を担当していた。入社当時はカタログを抱え、細かく説明しようと意気込んで社長と商談のテーブルに着いた。

社長は「細かい説明はいいから、いつから入るんや」と機械の説明を聞こうともしない。

「〇〇からです」

「じゃ、400台持ってこい。その代りうちの県では売るなよ」

「はい分かりました」と言って競合店にも営業に行った。1人で1000台を売り切った。

当時は1台売ると2000円の歩合が付いた。これに釘を叩くと1000円がプラスされた。給料は良かった。そのおカネはミリオンゴッドに突っ込んだ。

Aさんが入社したころの新台価格は22万円。ハネモノは板買いなら9万8000円の時代だった。

時は流れ、入社から15年経った頃は、ホールの新台の買い控えがすでに始まっていた。下位メーカーの機械は特に売れなかった。営業所長のノルマもきつくなった。

得意先のチェーン店(20店舗)に全店導入が決まった。1機種で160台ほど売ることに成功した。1店舗で5~10台の納入が決まった。ところが、上司はその数字に全く納得しなかった。

「お前何してんねん! 仕事してないやろ! 1店舗で10台も売れてないやないか! お前のセールストークは何や!」と罵声を浴びされた。

上司は中身よりもグロスの数字しか評価しなかった。

「お前の分、後何台抑えたらええねん!」

中には、ノルマを追い込まれて「後200台お願いします」という営業マンもいた。ところがそれは倉庫に眠っているのだが、会社としては「完売」したことになる。

機械が売れなくなるとこの6~7年は毎日がハラハラドキドキの連続だった。そんな気持ちで得意先へ行った時に今の気持ちを露呈して冗談で「働かせてください」と言った一言が東日本の法人へ就職することになる。

メーカーの営業マンの大変さが浮き彫りになった。機械が勝手売れた時代は遠い昔話である。



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部下とのコミュニケーションで活用したいアクティブ・リスニング


ネクステリア主催「地域一番店になるために必須の戦略セミナー」より

■講演テーマ
良い店舗、良い組織を創り出すビジネスコミュニケーション

越石一彦 ㈱クライアントサイド・コンサルティング代表取締役社長

イントロデュース
昭和63年山一証券入社。大学時代は野球の特待生。証券業界のことも何も知らずに入社。そこで自らに1日100軒の飛び込み営業を課して1年間続けた結果、年間3万軒を回る。そこでつかんだことは誰に何を話せばいいかが分かるようになる。経験値は上がり、同期400人のトップの売り上げを達成。お客様の信頼を勝ち取るアクティブ・コミュニケーションという営業手法を確立する。やがて最年少課長に昇進する。平成9年同社廃業後、外資系証券会社を経て経営コンサルタントとして独立。

明日から使える組織が活性化するビジネスコミュニケーションをお伝えします。これは実践して効果があったものです。

ビジネスコミュニケーションの最たるものがアクティブ・リスニングです。この意味は傾聴する。つまり、一生懸命聞いていますよ、という姿勢を相手に見せることです。コミュニケーションは聞く技術が8割とも言われています。上司が部下の話を聞く姿勢を見せた時にコミュニケーションが活性化する。

部下と初対面。部下が聞いてくれるかどうかの第一の壁を取り除くときに部下との話の比率がある。

例えば30分の面談。

最初の10分
中押しの10分
最後の10分、と時間軸を分けたとき自分と部下の半分は次のようになる。

最初 自分30 部下70
中押し 自分50 部下50
最後 自分70 部下30

最初の10分は部下に喋らせる。その時に君に興味を持っているから、と効果的な質問を少しする。まずは、相手にイニシアチブを与え喋らせる。

中押しは50:50でコミュニケーションを取りながらキャッチボール。

最後は「分からないことはなかったか?」と聞き、納得させて終わることが重要。押し切ったらダメ。相手の意見を受け入れ否定する。まず、相手に聞いている姿勢を見せること。部下のいうこともメモを取る。聞いているシグナルを出すことも重要。部下の意見が間違っていても、受け入れてから間違いを指摘する。

ビジネスの基礎スキルには次の5つがある。

①コミュニケーション力
②モチベーション向上
③問題解決力
④プレゼンテーション力
⑤情報収集力

上席はこの5つを全部持っていて欲しい。まず、自身が自分の能力を理解し、分析しておくこと。部下の能力分析にもこの5つの能力を使って指導する。

部下にこれとこれはできているけど、この部分は欠けている、と経験則と論理的思考で部下に指導する。一番難しいのはモチベーションの向上なのでできていない部分は一緒にやろうという姿勢を見せる。最後は部下にコミットさせることが何よりも重要になる。自分から私はやります、と。

その時もアクティブリスニングが効果を発揮する。

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福袋企画は所轄の判断でNG


仙台のホール関係が正月営業用に福袋企画を考えた。

その背景には江戸時代から続く「仙台初売り」があった。東北の人ならこの仙台初売りがどのようなものかは、ご存じだろうが、知らない人のためにおさらいする。

豪華な景品や特典をつける販売方法は「景品法」で規制されている。ところがこの「仙台初売り」だけは、江戸時代から続く伝統的な商習慣と見做され、天下の公正取引委員会が旧仙台藩領内に限り、初売りは伝統的な行事として、3日間以内は豪華な景品提供することが特例として認められている。

年末年始、全国から訪れる伊勢神宮の参拝客でごった返す伊勢地域では、大晦日に限り、ホールが参拝客のためにトイレと駐車場を提供することを理由に、24時間営業が特例で認められているのと同じだ。

当初は伊勢神宮のおひざ元である伊勢地区からスタートしたが、それが松阪、鈴鹿、四日市と地域が拡大していき、今は県下全域で大晦日のオールナイト営業が行われている。

特例はあるということで、再び初売りの話に戻そう。

仙台でも初売りで有名なのが、お茶の井ケ田だ。5000円以上の買い物をした人に、先着100名に茶箱が無料で配られる。茶箱のサイズは大、中、小の3種類で、この中に家電製品などの豪華な景品が詰め込まれている。この茶箱を求めて東北一円からも客が本店に並ぶ。

仙台のホール関係者はこれに倣って福袋を考えた。ホールが提供できる景品単価の上限は1万円だが、1万円の福袋の中に定価ベースで3~4万円のものを入れる。

事前に所轄に問い合わせをしたところ「まかりならない!」の一言で門前払いを食らった。前例のないことを所轄に相談しても、ま、この程度の返事しかもらえない。

景品表示法では、一般懸賞における景品類の最高額および総額について、最高額は販売価格が5000円未満の場合20倍まで、5000円以上の場合10万円まで、総額は売上予定総額の2%までと定められている。

しかし、景品を付ける形ではなく、組み合わせた商品の合計価格以下で販売する形(値引)であれば、「正常な商慣習に照らして値引と認められる経済上の利益」であるので景品表示法における景品類には該当せず、最高額および総額の規定は適用されない。

つまり、ホールが考えた福袋は、景品表示法では商品の組み合わせによる、値引きなので法的な問題はないが、所轄が「著しく射幸心を煽る」と判断すればNGになってしまう。

所轄の壁は厚くて、高い。



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1900億円の負債からスタートした3代目御曹司が業績回復させた手法とは


全日遊連が12月15日現在の加盟店の実態調査を発表した。それによると2017年度(1月~11月)は新規店舗が102店舗に対して、廃業店舗は403店舗と、廃業が大幅に上回り、11月現在、9693店舗となった。

1年前の11月に1万軒を切り、9993店舗となっていたが、1年間で300店舗減った計算になる。出玉規制が強化される来年からは、旧基準機の販売によって1年間は大幅な客離れも起きないかも知れない。

旧基準機が使える3年間の猶予期間の中に、新たなる営業方法を見出さなければならないと言われているが、その前に旧基準機で3年持たせる思考回路が、全く後ろ向きの発想ともいえる。

数年前グランドオープンした新店が4円専門店としてスタートを切った。新たな試みだった。4円専門店に拘ったのは、16割分岐営業に挑戦するためでもあった。ところが結果からいうと試みは失敗に終わる。現在の等価仕様の機械では無理があったのかも知れない。

しかし、失敗を恐れずに新たなことにチャレンジする勇気が大事である。ファーストペンギンがいないことには、新たなことは生まれない。もっとも、16割営業は過去の体験に戻るだけで新しいチャレンジとは言い難いが、迷ったときは原点回帰である。

「経常利益が年々下がり続けていて、このまま同じことをやっていたら、5年後には経常利益が半分。10年後には利益がゼロになる試算もあります。幸い内部留保はたんまりあるので、すぐに問題になることはありませんが、現社長ではこの危機を切り抜けられない。外部から経営のプロを招聘することも必要との声も挙がっています」(某ホール関係者)

射幸性の高い機械に頼って等価営業を続けることは、すでに破たん寸前にも関わらず、等価営業から脱しきれない組合も散見される。消費税が10%になれば、等価営業など続けられるわけもない。今残っているユーザーの等価志向をいかに変更させるか、あるいは新基準機にいかに客をつけるかに業界の運命がかかっている。

日本初のタクシー会社である日本交通の3代目社長である川鍋一朗氏の経営手腕が注目されている。

2000年、29歳の時日本タクシーに入社。会社は1900億円もの巨額の借金を抱え瀕死の状態であることを初めて知る。バブル時の不動産投資などで抱えた負債だった。

慶応の幼稚舎から大学までストレートで進んだ御曹司は、慶応卒業後はアメリカでMBAの資格を取得。その後コンサルタント業を学ぶためにマッキンゼー日本支社に入社する。

バリバリの金看板を背負い入社してきた3代目についたあだ名は「アメリカ帰りのエコノミスト」。現場を知らずに、会話の端々で横文字を使いたがる御曹司に、現場は白け古参社員からは総スカンを食らう。

社員を見返すために、自ら会員制ミニバンのハイヤー事業を興す。顧客はお金持ちの外国人。英会話ができるドライバーを付けた。数カ月で数千万円の赤字を出し、すぐに撤退する。

2001年、メインバンクから再建計画が突き付けられた。それはメインバンク主導の下での再建の道で、事実上川鍋家が経営から離れる最後通牒でもあった。しかし、川鍋氏はこの銀行案を突き返し、麻布にあった自宅の大邸宅も売却するなど資産を売り尽くし、リストラも断行した。

2005年に3代目社長に就任。

会社では浮いた存在だった3代目は暗黒の5年、リストラの5年を経て、改革に取り組み業績を回復させて行った。

その一つが拾われるタクシーから、選ばれるタクシーだった。大阪では黒いタクシーは珍しくないが、東京はカラフルなタクシーが多い中、黒タクを導入した。ハイヤーをイメージして、タクシーのビジネスクラスを狙い、ドライバーもハイヤー運転手のような選ばれたものでなければ乗れない。

ハイヤーの雰囲気が受けて黒タクを指名する固定客も増えてきた。

次なる改革は「待たせない」。タクシーを呼んで待たせる時間を短縮するために、2005年に業界で初めてGPSを使った配車システムを導入する。

これにより、5分以上も待ち時間が短縮された。こうした経験を元に2011年にはスマホで全国のタクシーが配車できるアプリの実用化にも踏み切っている。

現場感覚を磨くために、1カ月間タクシーに乗務したこともある。ホールの社長も今の現場を肌で感じるために、1カ月間表周りをしてみたら、客からの生の声が拾えるはずだ。

その時は、「私が社長です」と書かれた名札を下げて接客するのもいいだろう。



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