パチンコ日報

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不惑の歳で退職、業界に戻る気はなかったが一番店を目指す会社なら…

1500万円の年収を捨てたエリア長のエントリーを読んだ元業界人はこう感想を漏らす。

「エリア長の気持ちが本当によく分かります。でも、1500万円ならどんなに辛くても我慢します。ウチの会社が完全成果報酬型で業績が上がれば給料も上がりますが、業績が下がれば給料は当然下がります。この3年で300万円も下がりましたが、それは自分の力不足だと思っています」

つい最近20年以上勤めたホール企業を退社したばかりだ。20年以上勤務して退職金はゼロ。業界で退職金制度がない会社は珍しくはないが、悪くても勤続年数×1万円と思っていたが、本当にゼロという会社もあることに驚かされる。ちなみに有給休暇も10日足らずだった。20年以上なら1カ月は優に残っているのが一般的だが福利厚生は遅れている。

ノルマが納得できないなら他法人へ行け、給料が不満なら自分で勝ち取れ、理念に共感できないなら去れ。

不惑の歳を迎え、退職した時はホール業界から完全に去ることも考えた。退職後にこれまでお世話になった人たちへのあいさつ回りに費やした。この20年間で知り合った人たちは全国各地に散らばっていた。10年、15年ぶりに再会する人たちから色々声を掛けてもらった。

10月、11月のパチンコの稼働はさらに酷い落ち込みを示している。稼働がいくら落ちようとも月々の支払いは待ってはくれない。そうなると釘はますます閉まり、ベタピン営業は続く。それでますます客離れは加速する。業界全体を覆う負のスパイラルは泥沼へと突き進んでいる。

「玉粗60銭ではジャグラーは誰も打ちませんよ」

もはや現場の店長の裁量では稼働を上げることはできないが、オーナーは現場に八つ当たりをする。

「朝から夜中まで終われない仕事量を異常とも気づかずにやっていたことが異常でした。やっていることはバックヤードで数字合わせだけです。バックヤードに籠りっきりでお客さんの顔も見なくなったことが敗因でした」

退職した時は業界から去ることが10:0だったが、世話になった人と再会するうちに考え方が少しずつ変化してきた。

「3年後に生き残っているホールは地域一番店だけでしょう。オーナーが現場に丸投げの会社はまず生き残れないでしょう。オーナー自らが現場を引っ張って会社が一丸となれる。そういう会社が一番店になれると思います。そういうオーナーや上司となれる人に巡り合えば、またホールに戻ってもいいかと思うようになりました」

自分の方向性を見直し中だが、業界に戻るということは覚悟を決めるときでもある。



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