20日、関東郊外に出張があり、国道16号線と国道◯号線が交わる辺りのホールにふらっと入りました。
場所はホールが特定されるのでハッキリは書きませんが、関東人は分かると思いますが、二つの国道は関東の大動脈道路です。
国道16号線沿いにあるホールは、勢いあるホールチェーンに買収されて、再オープンして1年未満。
20日20時の時点でお客様は15人です。一人もお客様がいない島だらけ。
この店の前を月に一回は通りますが、お客様の稼働が2割以上を見たことがありません。
目の前をガンガン車が行き交うのに。
ここ数年、交通量が多い幹線沿いのホールが閉店するなんて良く見ます。東京の動脈でもある新青梅街道沿いにあるホールと、すぐに近くのホールが立て続けに閉店したこともありました。
先日は、こんなロケーションのホールもダメなのか、と思うケースも。
茨城県の守谷近くのホールで、近くには超大型ホームセンターがあるし、交通量は結構あるし、目の前は開店して50年は経とうかというボーリング場があるのですが、ホールは閉店していました。
ボーリング場がやっていけている地区でパチンコはダメなんですね。
ボーリング場は、一度初期投資をしたら、長くその設備を使えて、少しずつ回収出来るから、ボーリング場の固定客を掴めば、やって行けるのですね。
加えて魅力的な料金プランもあります。

これを見ると、ジュニア会員があります。子供の頃から、そこのボーリング場の顧客になる訳ですよ。
道路を隔てたレジャー産業対決は、細く長く営業してきたボーリング場の勝ちでした。
こんな私がパチンコ好きになったのは、親の影響です。小学生なった頃から、月に1回、両親とパチンコ店に行っていました。パチンコ版ジュニア会員?
その頃は手打ちのチューリップ台。一発一発、丁寧に打つように言われ、母からは「入れ入れ、と心の中でお願いしながら打つんだよ」とアドバイスされ、それを信じていたものです。だって、まだサンタクロースがいる!と信じていた時代ですから。当時は、保護者同伴なら子供の遊技は黙認状態でした。
それとあの頃は、子供向けパチンコ台がおもちゃ屋にあった時代で、買ってもらいました。
また、自分でベニヤ板に釘を打って自作のパチンコ台を作っていました。
当時は捨てられていたパチンコ台を拾って来て、機械の仕組みを学んだことを今でも覚えています。
昔は、そんな子供が多かった。そんな小学生が高校生になるとパチンコを始める。パチンコへの入門の扉は全開!
今は、入門の扉は錆つき、硬くて中々開かない。つまり、遊技人口は減る運命なんですよね。パチンコの扉は錆びついているわけですから。
加えて、娯楽の多様化でパチンコ以外に目が向く。
若い人は知らないと思いますが、パチンコは娯楽の王様と言われていた。もう一度言います、娯楽の王様ですよ。
ところが、フィーバー機が出現して手軽なギャンブルと言われ始めた。これが娯楽から手軽なギャンブルへのターニングポイントです。
遊技人口が3000万人になってから今日まで、長い、長い手軽なギャンブルのバブル期でした。
色々な規制や指導が厳しくなって、遊技人口が減ってきたのですが、時代に合わない産業になったことに早くから気が付いていたのに、特効薬が見つからない。
それどころか、手軽なギャンブルから敷居の高いギャンブルになってしまった。
敷居が高くなってしまったギャンブルを3年くらいかけて、行政が強制的に娯楽の王様に引き戻すわけです。
しかし、求められることは業界自らの手で、次のようにパチンコ遊技をどうするかということです。
①娯楽の王様に変えることについて、どう考えているのか?
②敷居の低い遊びとして初心者に対するアピールをどう展開するのか?
③業界として、今後5年間で遊技人口を何%増やす計画なのか?
特に③の計画は、業界としてではなくて、あなたが管理する店舗として、あなたが所属するホール企業として、どのくらいの計画を立てるかが重要です。
大手チェーンでも新基準機の動向が読めないから、そんな計画は立てられない、と言います。
全国の店長さんは、自社の本部長やオーナーに、5年後10年後に何%客数を増やす計画があるのかを質問してみて下さい。
おっと、その前に、業界全体の遊技人口が1000万人と言われていますが、あなたの会社の遊技人口は何人ですか?
つづく

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