先代が社長で現社長はまだ常務だった。当時働いていた従業員にそっくりだった。
最初は似た人だと思って、気づかれないようにしばらく観察していた。本人だと思って確信したところで「○○じゃないか?」と声を掛けた。
最初は「違います」としらを切った。名前も違っていたが、突然、土下座をして謝りはじめた。
「やはり、そうだったか。おやじも死んだ。もう時効だし…。ナゼ盗んだのか話してくれ」
元従業員の男は、23年前にホールの金庫から200万円を持ち逃げしていた。
「社長にもかわいがられていなかったし、200万円あれば、色々なことができると思いました」
当時、役職は副主任。金庫の鍵も預けられていた。
「給料は安いし、休みも週1回しかなかった。それなのに、社長や店長はいい生活をしているのが羨ましかったんです」
営業が始まる前に金庫からおカネを盗み、制服のまま逃走した。まず、そのおカネの中から服を買って東京へ出た。
追われる身で、今頃は指名手配されているだろう、と考えるとその日は酒を飲む余裕もなかった。ホテルに泊まれば、すぐに捕まる可能性を考えた。
季節は6月。
キャンプ用品と食料を買って富士山の麓で寝泊りをしたが、怪しまれると思って、大阪・西成のドヤ街に逃げ込んだ。
簡易宿泊所もある。訳ありの人の吹き溜まりで怪しまれることもない。ここにたどり着いて、少し安心した。
ここで初めて盗んだおカネを散在する。
最初にやったのが競馬だった。200万円の元手を増やすためだった。1日で30万円使った。すべて外れた。
ギャンブルではすぐに底をついてしまうので、次に注ぎこんだのがソープだった。女性経験が少なかったので、嵌ってしまい、しばらく通った。
1年も経たずにおカネはなくなった。
「大阪である女性に出会い、今はその女性の娘さんと結婚して婿養子になっています。義母は在日韓国人で、飲食店をやっています」といって今の名刺を差し出した。
店は大阪にあった。
「本当に謝りたいので、一度、大阪へ来てください」
義母にはホールのカネを持ち逃げしたことなどをすべて話した上で、婿養子となっていた。
後日、社長は大阪へと向かう。
そこで、義母からこう切り出された。
「カネを盗んだことは聞いていたので、いつかは返済できるように、うちで働いたおカネを貯めていました。それもいつしか忘れてしまっていたところで、社長に再会した。今は事業も成功しています。どうかこれを収めてください」と500万円も差し出した。
「従業員の前でいい生活を見せつけていた報いだと思います。従業員がおカネを持って逃げる状況を作ってしまったわれわれも悪い」といって社長は半分の250万円を受け取った。
「最初、逃げている時は捕まってもいい、という心理でしたが、そのうち捕まりたくない、という心理に変わりました。義母に拾われて今は幸せな場所を見つけることができました。こうして謝ることもできましたので、一生のつかえが取れました」
社長は領収書のいらない250万円を受け取ると、途中、東京へ寄ってこのカネでロレックスの時計を買ってしまう。前々から欲しかったからだ。
買ってはみたものの、奥さんに「この時計はどうしたの?」と厳しく追及されることは目に見えている。
それを考えると急に怖くなり、買ったばかりの時計を上野の質屋で売った。
買取価格は230万円。
20万円損したが、「浮足立ってはいけない」と定期預金に入れた。
ここでそのままロレックスを買っていたら、先ほどの社長としての反省の言葉も帳消しになってしまうところだった。

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