
今でもギャンブル依存症で心療内科に通院しているが、「カジノがあったら手を出してしまうかも知れない」と完治していない。というより完治しない病気のようだ。
井川氏は大王製紙の御曹司として育てられ、東大法学部へ現役合格。大王製紙に入社後は赤字部門を次々に黒字化し、経済界でも「逸材」として高い評価を受け、42歳で社長に就任する。
カジノを初めて体験したのは1996年、32歳の時に家族旅行で行ったオーストラリアでのことだった。最初は恐る恐る勝負していたが、100万円の元手が2000万円になった。この大勝がギャンブル依存症の入り口になる。
それまでは、部下の失敗も前向きに捉える上司だったが、ギャンブルをするようになってからは、ちょっとしたことでイライラするようになる。
夜の宴席も大好きだったが、ギャンブルをしていないと落ち着かなくなり、ホステスにも悪態をつくようになる。
ギャンブルで勝った時は、前頭葉からドーパミンが出て興奮状態になるが、通常の刺激ではドーパミンが出なくなり、何をしてもつまらなくなって行く。
金曜日は夕方5時に退社し、その足で羽田に向かい、そのまま香港に飛び、夜の1時にはマカオに到着していた。
48時間一睡もせず、バカラに熱中した。月曜日の早朝、香港を立ち、その足で会社に出社した。
家族には仕事と嘘をついて、週末はマカオに入り浸る生活が4年間続いた。
最初は自分の小遣いでやっていたが、井川氏クラスのVIP客となるとカジノの方がおカネを貸してくれる。最初は500万円から始まり、ギャンブルの負けはギャンブルで返す、とばかりに次は1000万円、と借金を繰り返し、3年間で5億円の借金に膨れ上がり、カジノからは借りれなくなる。
カジノで借りれなくなると、自分のブラックカードで3000万円分のロレックスを買い漁り、それを質屋に入れて現金化した。
2010年5月はカジノで借りていた5億円の返済日だった。その5億円は子会社に「個人的に運用している事業があるから5億円を用立てて欲しい」と指示。その5億円は借金に返済に回さず、借金はギャンブルで返済する方を選ぶ。
「会社のカネは自分のカネ」と公私混同を繰り返し、子会社から引き出したおカネのトータルは106億8000万円に達していた。
2011年11月22日に東京地検特捜部に会社のおカネを私用で使い込んだ、として特別背任罪で逮捕される。
井川氏がギャンブル依存症になるきっかけは小学4年生の時に遡る。テストでいい点を取っても褒められることがない環境で育ったため、嬉しい時にドーパミンが出ることもなかった。
この時家族麻雀をして勝ち、勝負事で大量のドーパミンが出るようになった。幼少期の頃からギャンブル脳になって行く。
一度ギャンブル脳になると元の脳には戻らない、と言われている。
では、どうするか?
ギャンブルをやりたい、という衝動を抑えるためには、ギャンブルより熱中する楽しみを見つけるしかないらしい。
ギャンブル以上にのめり込むものって、結局、違う依存症をみつけるということか。

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