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シャッター通り商店街のホールは50銭専門店へ

JR駅前商店街にその履物店はある。



創業80年。戦前は履物だけでなく、漢方薬の製造販売も行っていた。



老舗の履物店でもある。



全盛期には商店の数は140軒にも上った。ところが、ロードサイドに大型ショッピングモールなどができた影響で、車を持ったファミリー客を奪われ、駐車場のない商店街で営業している店舗は66軒まで減少した。



商店街を利用するのは足のないお年寄りが中心になった。



シャッター通りと化した商店街を盛り立てるために、今年の5月から奇数月の第2木曜日に100円、500円の1コインセールイベントを実施した。



売り上げの上がった店舗もあったが、イベント日が終わるとまた静かな商店街へ戻った。



大阪市内なので周辺人口はあるにも関わらず、商店街を利用するお客さんは減り続けている。



この老舗の履物店4代目(31)が帰ってきたのが3年前だ。老舗履物店の雰囲気はそのままに“シューズショップ”に看板を変えた。



4代目は20歳の頃からインポートショップで働いていた。商品の買い付けでニューヨークにも行っていた。この会社の社長の影響で目覚めたのがDJで、本場ニューヨークで目の当たりにしてDJにのめりこんだ。



DJブースを建築段階から設計していたホールで、実際にDJを担当していたこともあった。



「とにかく音楽を1日中聴ける環境で働きたかったので、実家に帰ってきました」と4代目。



履物店のショーウィンドーには古いレコードをディスプレイ。それだけではなく、バックヤードに特設のDJブースを設え、お客さんが来るとDJに早や替わりする。



「お客さんに合わせて音楽を変えます。自分はジャズとサルサが好きですが、おばちゃんが来ると昭和歌謡を流します。お客さんから家に眠っていた古いLPレコードを持ってきてくれたりします」



靴を買ってくれたお客さんには、自らが選曲して作った著作権切れの昭和歌謡やジャズのCDをプレゼントすることもある。



4代目になって仕入れる商品も変わった。



子供のダンススクールが各地で賑わっていることに着目して子供用のダンスシューズを扱うようになった。



効果はすぐに現れた。子供連れのファミリー層が来店するようになった。



従来の年配客のお客さん用にはデザインと機能性を重視したものを厳選。履きやすさをお客さんに説明するとすぐに売れるようになった。



新規客やリピーターが増えたことで、右肩下がりだった売り上げもV字回復してきた。



3代目の社長も息子が帰って来て、跡継ぎになっただけでなく、売り上げまで上げていることに大満足している。



商品の品揃えはスニーカーが増えて売り上げが上がったが、おばあちゃんから子供まで、お客さんに目線を合わせる親近感のある接客でリピーターを増やしている。



ちょっとやり方を変えると、シャッター通りの店でも業績が変わることを実践している。



寂れる商店街の中で営業しているホールは全国各地にある。



こうした地元に根ざして営業を続けてきたホールも青息吐息だ。



古くから商店街で営業して、借金もほとんどないホールが再生する最後の方法が50銭パチンコの専門店だ。



玉粗利5銭で3万稼働を上げれば、台粗は1日1500円になる。これならホールも十分成り立つ数字だ。



お年寄りが毎日パチンコを楽しめるレベルになる。



これが真の娯楽産業の姿であろう。



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