福島第一原発事故で避難を余儀なくされたおじいちゃんの話を一つ。
80歳を過ぎたおじいちゃんのガンが見つかったのは、避難先での健康診断だった。末期ガンだった。もはや手の施しようもなかった。家族は余命少ないおじいちゃんのために旅行を計画したが、体力もなく、本人の希望は「普段通りの生活がしたい」。
おじいちゃんは大のパチンコ好きだった。
本当は通いなれた地元のパチンコ屋に行きたかったが、それは叶わない。家族はおじいちゃんに「思う存分パチンコをやりなよ」と近所のパチンコ屋へ送りだした。
おじいちゃんは、原発事故で避難してきたこと、ガンで余命が残されていないことなどを問わず語りに店員に話した。
この話を聞いた店員は、店長に報告した。
店長は最後は好きなパチンコを十二分に堪能してもらいたいと考えた。
それで店長が取った行動は、単純明快。回る台をそのおじいちゃんに教えることだった。パチンコ店のルールからすると逸脱した行為で、賛否両論あるだろう。
で、店長はおじいちゃんが来店すると「きょうはこの辺の台で打ったらいいよ」と案内した。
おじいちゃんが座った台はよく回った。1000円スタートで20回以上は回った。お陰でおじいちゃんは遊ぶことができた。
おじちゃんが来店すると、店長が台を教える日々が続いた。
おじいちゃんは、パチンコ店での出来事を「きょうも息抜きができた。よく回るのでイライラしなくて済んだ。パチンコは本当に面白い」と家族に楽しいそうに話した。
回る台が勝てる台とは限らないが、よく回る台なのでおじいちゃんも納得して負けた。
毎日のように店に来ていたおじいちゃんがある日突然、来なくなった。2日経っても3日経ってもおじいちゃんの姿はなかった。店長には「まさか」の不安がよぎった。
それから数週間が過ぎたある日、おじいちゃんの家族を名乗る人が店長を訪ねてきた。
「おじいちゃんは人生の最後を好きなパチンコで楽しく過ごすことができました。店長には優秀台を教えていただき、おじいちゃんは喜んでいました。本当にありがとうございました」
おじいちゃんは避難先の病院で静かに息を引き取っていた。
家族もおじいちゃんも最後は大好きなパチンコを堪能できて満足した様子だった。よく回るストレスのない台で打てたことがおじいちゃんにとって幸せだった。
優秀台を教える是非もあるが、こうした人情が日本からなくなっていっている。
被災地ではパチンコも人の役に立っている。

このたびの震災でお亡くなりになられました皆様のご冥福をお祈り申し上げます。

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