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ぱちんこ情熱リーグが第2回大会に向け参加店舗の募集を開始

第2回目のぱちんこ情熱リーグの開催に向け、NPO法人ぱちんこ情熱リーグ事務局(木山修助理事長)は4月8日、大阪市内で記者会見を開いた。





パチンコ店で働く人に光を当てることを目的にスタートした第1回大会は、2月10日決勝大会が開かれた。その模様はパチンコ日報でも既報の通りで、会場は感動の渦に包まれた。



その余韻も冷めやらないうちに、第2回大会に向けてぱちんこ情熱リーグは始動している。



スケジュールは4月1日から7月31日までが参加店舗の募集期間。参加受付は情熱リーグのホームページから申し込むようになっている。



9月の1次予選、12月の2次予選を経て、決勝大会は2011年3月24日、兵庫県の「尼崎アルカイックホール」(2000人収容)で開催されることが決定している。



形も実績もない第1回大会には、100店舗の目標に対して137店舗が参加した。第2回大会は参加店舗の目標を一気に300店舗へ引き上げた。



2回大会の改善点としては、覆面モニター調査を従来の2回から3回へ回数を増やしたほか、参加店舗目標を引き上げたため、最終予選に残る店舗を10店舗から30店舗に増やした。決勝大会に進むのは従来通り上位5チーム。



また、モニター調査回数を増やしたことにより、参加費用は従来の10万5000円から12万6000円に変更された。



木山理事長は2回大会に向け次のように抱負を語った。



「パチンコ参加人口の半減、店舗数の減少の中、まだまだ危機感を感じている。しかも、出生率の低下、余暇産業の選択肢も増え、ピーク時に比べ4倍厳しい環境の中で仕事をしている。それでもパチンコは日本で必要とされている産業であることには違いない。この大会を研修ごっこにはしない。皆が成長できるメッセージを伝えて行きたい。目標に向かって失敗してもチャレンジすることはかけがいのないものが得られる。共に実践、感動、成長のトライアングルをどんどん大きくしたい」



なお、東京と大阪で2回にわたって説明会と勉強会を開く。



日程は次の通り



■大阪/5月14日(金)、7月16日(金)

会場:大阪府立体育会館多目的ホール



■東京/5月28日(金)、7月9日(金)

会場:上野 ラ・ベルオーラム



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トミナガ氏の講演その④破綻危機から再生した弱小店の秘訣

トミナガ氏の元へ300台クラスの店舗で年末の300万円の手形が決済できないようなホールからの依頼がきた。



このホールの建て直しを請けて、トミナガ氏は全台閉めることから指示した。特に土日はガチガチに閉めて500万円の現金を工面した。



オーナーは「そんなことをしたら客がいなくなりますよ」と心配した。



トミナガ氏はすかさずこう答えた。



「いなくなるということは次の保証がない場合。次の保証があれば、閉めた後でドバッと開ければ客がつくのは業界の皆さんなら経験済みでしょ。要は開ける次のタイミングです」



開ける日は1月15日に決定した。



トミナガ氏は今までにないほどの開け方を指示した。「とにかく出して、出して出しまくってください」



その日の営業が終わってオーナーから電話があった。



「開けても開かないんですよ」



「釘調の差玉はどうなっていますか?」



「真っ黒です」



「それは全然開けていません。もっと、もっと開けてください」



翌日再び電話がかかってきた。



「半分、赤になりました」



「それではまだ開け足りません。全部真っ赤にしてください」



「全部真っ赤にしたら相当赤字になりますよ」



「何いってるんですか、社長。換金率や割数の差があるでしょう」



翌日また電話がかかってきた。



「やっと全部真っ赤になりました」と電話口で社長の喜ぶ声が聞こえた。



2月の成績は過去最高の売り上げを達成した。



450万円の売り上げだった店が900万円~1000万円を維持するようになり、半年間で店を去った。



そのときトミナガ氏はこう進言した。



「もう一つ売り上げを上げる手立てがありますよ」



オーナーは片道2時間半かけて電車でホールに通っていた。ホールにいる時間はせいぜい1時間程度だった。



「社長の家をホールの横に引っ越してください」



最初は躊躇した社長は1カ月後に単身赴任する。



「引っ越したら誰よりも一番に出社して、朝は玄関でお客様を迎えてください。お客様から玉を出せとかいわれるかもしれませんが、それは我慢してください」



数カ月続けているうちに客から気軽に声をかけられるようになった。閉店時も玄関で客を見送った。



現場に出ることで社長はお客の気持ちが分かるようになり、戦略、戦術の意味が分かるようになった。



社長は経理畑の人間で数字にはめっぽう強かったが、事務所で数字ばかりにらんでいては何の解決にもならないことが分かった。



そういう時のトミナガ氏のアドバイスが光る。



「ホールを散歩道と思って歩いてください。悩んでいた計算式の間違いが浮かぶはずです」



手形が落ちずに店を閉める状態だったホールが、社長が引っ越して現場に立つようになって、競合店の中では稼働率が1位にまで上がった。



これがトミナガ氏がいう人間力は、頭とウデと心の中にある、ということだ。



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