
大阪IRは、カジノ反対派を抑え込むために、「世界最高水準のギャンブル依存症対策」や「ジャンケット禁止」といった極めて厳格な制度設計のもとで計画が進められている。その姿勢は一見すれば健全な観光政策として評価できるものの、ビジネスとしてのIRを成立させる上では致命的なハンデを背負っているといえる。
まず、日本人に課されるカジノ入場規制が極端に厳しい。週3回・月10回という利用回数の制限に加え、マイナンバーを用いた本人確認システムの導入、さらには1回の入場ごとに6,000円という高額な入場料が課せられる。これらの制度は、ギャンブル依存症対策は一定の効果をもたらすかもしれないが、同時にカジノという空間を「日常的に訪れる娯楽施設」としての可能性を大きく阻害している。
特に、IRの収益の大部分を支える「地元の常連客」がこの制度下ではほぼ見込めないことは、収益モデルにとって致命的である。
さらに、大阪IRではジャンケットが禁止されている点も見逃せない。ジャンケットとは、カジノ業者と連携し、アジアのハイローラーをIRに誘致して高額金を賭けさせるビジネスモデルで、マカオやシンガポールではIR収益の柱ともなっている。
大阪IRではこの重要なチャネルが封じられているため、富裕層を取り込むにはオペレーター自身が個別に営業を行い、VIP客との信頼関係を構築しなければならない。しかし、それには莫大なコストと時間がかかり、しかもその成功は保証されていない。
大阪IRが目指す「清潔で安全なカジノ」というモデルは、理想主義的には評価できるが、実利としてはギャンブル産業の本質を大きく損ねていると言わざるを得ない。カジノは本来、高揚感や非日常性、リスクとリターンの極限の緊張感を楽しむ場である。その中核部分を薄め、「クリーンで安心」な空間だけを強調しても、顧客の琴線には触れない。
MICEや観光施設との相乗効果による利益創出も期待されているが、それだけで数千億円規模の初期投資を回収するのは現実的ではない。
こうした構造的な問題から、大阪IRは“理想を追いすぎたIR”と揶揄され、開業前からすでに「失敗ありき」で語られるようになっている。そして、その失敗を想定した上で、すでに“ポスト大阪IR”を見据えた動きが、水面下で始まっているとされる。
注目されるのは、オンラインカジノ解禁の可能性である。仮に大阪IRが期待された経済効果を生み出せず、失敗に終わった場合、オペレーターであるMGMやオリックスに対して、日本政府が何らかの“埋め合わせ”を提示する必要が出てくる。その一手として浮上しているのが、オンラインカジノの運営ライセンス付与である。
オンラインカジノが日本で正式に解禁されれば、その影響はパチンコ業界を直撃するだろう。オンラインカジノは、スマホ一つで手軽に遊べ、しかもペイアウト率はパチンコよりも高い。例えば、パチンコの実質的な還元率が85%前後とされるのに対し、オンラインカジノは平均で95%前後にも達する。加えて、オンラインカジノはスロット、バカラ、ポーカー、スポーツベッティングなど多彩なゲーム性を備えており、ユーザーの没入感も高い。
もはやパチンコが勝てる要素はほとんど残されていない。
現時点ではオンラインカジノは日本では違法とされているが、IR失敗後の“出口戦略”として、限定的に合法化されるシナリオは十分にあり得る。その場合、MGMやオリックスのような既存IR事業者にライセンスを限定付与することで、外資と国内の利害を調整する道が開ける。
このような未来を想定すれば、パチンコ業界のホール企業も、今のうちからオンライン領域への移行や、オペレーターとしての準備を進めておくべきである。単なるアプリ化ではなく、マネーロンダリング対策、国際送金のインフラ構築といった多面的な知識と準備が求められる。
IRの失敗は単なるプロジェクトの挫折にとどまらない。その後の業界地図を大きく塗り替える分岐点にもなり得る。大阪IRの成否を静観するのではなく、業界全体がその先に備えるべき時期に来ていると言えるだろう。

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事業者は経済的に成功すると考えて自発的に名乗りを挙げたのであり、日本政府が埋め合わせを提示する必要や義務はありません。
また、コロナの時期に失敗の議論は散々されたにも関わらず、2024年、事業者側は解除権を放棄して撤退の選択肢を自ら捨てています。
その上で、オンラインカジノの運営ライセンスを付与するというのも、論理が飛躍しすぎています。
例えば、そのことで日本政府にどのようなメリットがあるのか、まったく不明です。
国内の雇用を生み出すわけでもなく、単純に日本国民の財産が海外に流出し、ギャンブル依存者を増やすだけに終わります。
もっと丁寧に論理を展開していただかないと、結論ありきで書かれているように見えてしまいます。
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