3人それぞれが仲間内の情報を寄せると全部で15社の状況が明らかになった。うち、半数の会社が会社を畳むか、何店舗かを廃業しなければならないところまで追いつめられていた。
廃業覚悟のパチンコ不況に陥った理由は、業界全体で1パチに走ってしまったことで意見が一致した。当初は4円についていけないお客の受け皿だった1パチが、ホール経営の主軸になることを当時は誰も予測ができなかった。
「1円が主流になる前に業界はどうして4円に力を入れなかったのか、と後悔するばかりです。それを阻害したのが等価交換でした。あの時は、等価に走らなければ等価の店に客を取られるので、弱小までが等価に走った。そもそも4円等価で回せるわけがない。まだ、当時は一物二価ができたので凌げたが、一物一価の徹底で止めを刺された。1円主体の利益で新基準機に入れ替えることはできない。やはり4円を大切にしなければいけないことが今となっては教訓になった」(オーナー)と振り返る。
他人事のように聞こえるがこのオーナーとて3店舗のホールを全部、新基準機に入れ替えるのは無理だ。2店舗を廃業して1店舗に原資を集中させて生き残りを図る考えを持っている。
「友達はすっかり事業意欲を削がれている。1円では投資するのが不安。それなら止めた方がいい、という選択になる」
北系ホールの弱体化がより深刻な状況にあるようだ。
「儲かっていたころの総連への賛助金は痛くも痒くもなかった。商工会役員は儲からなくなったと言っていきなり賛助金を止めることはできない。儲からなくなったからといって粗利に見合った賛助金とはいかなかった。なおかつ生活水準を落とさないようにするためには、釘を閉めるしかなかった。簡単に釘を閉めれば客が飛ぶのは当たり前のこと。でも愛国心がそうさせた」
儲からなくなって賛助金は大いなる負荷であることは間違いない。商工人の弱体化がそのまま総連の弱体化につながっているともいえる。
ただ、弱体化は低貸しだけが原因ではない。
別の元総連幹部はこう打ち明ける。
「定期的賛助金以外に建国記念日、労働党の創建記念日、金日成の誕生日などは特別賛助金(キットン)が必要だった。現金以外に総合病院や大工場を建てたりもしていた。平成半ばにテポドンを発射実験してから総連の締め付けが厳しくなり、朝銀が破綻して資金源が断たれ苦しくなった。これ以上パチンコからは資金が集められないと総連も別の業種に方向転換していった」

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