毎日のように来店していた2人の姿がぱったり途絶えた。ホールスタッフも常連も2人のことが気掛かりになっていた。
忘れかけそうになった頃おじいさんが身内に支えられるようにしてやってきた。それでこれまで来なかった事情が分かった。
おじいさんは余命3カ月の末期がんを医者から宣告されていた。おじいさんはかねがね家で死にたいと医者には伝えていた。そんなさなか、医者からの外出許可が下りて最後に大好きなパチンコを打つためにやってきた。
知り合いに車椅子姿は見られたくないので、身内の手を借りてホールへやってきた。
おじいさんはもっぱら4パチ派だった。
大好きな海物語のコーナーに腰を下ろした。
ところが引くのは単発ばかりで、最後のパチンコでおじいさんは6~7万円も負けてしまった。
最後になるかもしれないパチンコに、負けてしょんぼりと帰って行くおじいさん…。
最後のパチンコが負けでは余りに可哀そうである。店長は「本当に出してあげたいが、こればっかりはできない。この時ほど遠隔があればと思った」とそんな心境だった。
入院先の病院からマイホールまでは車で40分もかかる。マイホールで負けたおじいさんだが、それから病院から一番近いホールへ行って、そこでも3~4万円負けてしまった。
死ぬ前にもう一回マイホールで打つことをおじいさんは切望した。
それで再来店が実現した。
やはり大好きな海のミドルに陣取った。おじいさんはそれが1パチコーナーとは気づかずに。この時は2万2000発出して、めでたし、めでたしと相なったが、特殊景品の数の少なさにガッカリした。この時初めて1パチコーナーで打っていたことに気づいた。
その後マイホールには10回ほど姿を見せている。
おじいさんが亡くなられておばあさんがホールへあいさつに来た。
医者からは余命3カ月と宣告されていたが、おじいさんは最後までパチンコをやりたい、という気持ちがあったので、亡くなったのは宣告から8カ月後だった、という。
「パチンコをやるのは体調のいい日で、その時は生き生きしていました。やりたいパチンコが生き甲斐になっていました」(おばあさん)
大連チャンをさせてからは、行きたいとも言わなくなり、自宅で静かに息を引き取った。
人間、何か目標がある時はおいそれと死ねないことをおじいさんから教わることができる。おじいさんの余命を延ばすのが大好きなパチンコだった。

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