パチンコ日報

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追悼、佐々淳行さん

初代内閣安全保障室長を務めるなど危機管理や安全保障のパイオニアとして知られる佐々淳行(さっさ・あつゆき)さんが10日老衰のために87歳でなくなりました。

私の母方の実家の関係から、佐々さんとは面識がありました。私の好きな劇団四季の演目で『ミュージカル異国の丘』と言う、ソ連のシベリア抑留捕虜を題材にしたものがあるのですが、この異国の丘を絶賛していたことを思い出します。

昭和三部作と言われる、戦争を題材にしたミュージカルは、『李香蘭』『南十字星』『異国の丘』の三作品があります。この三部作は大変人気な作品で、何回も再演されて、『李香蘭』は海外でも上演されています。

1番泣けるのは『異国の丘』で、シベリア抑留捕虜の心情を表すシーンでは、大人の大半が嗚咽を。シベリアで苦しい日々を見事にミュージカルに仕立てたことを、佐々さんは何度も絶賛しておりました。

佐々さんは、一度だけパチンコ業界について、私に話されたことがあります。

「日本において、苦しい立場の在日が、立場の弱い消費者を痛めてはならない」と。

前後の話は割愛しますが、私なりの解釈はこうです。

昔のホール業界は、弱者に優しい業界でした。その日から、衣食住を弱者に提供できる、日本では数少ない業界でもありました。同じ時期では、旅館の仲居さんとかもそうでしたね。

弱者の気持ちが分かる業界だからこそ、ブルーカラーを中心としたパチンコ客を大切にした時期がホールにはありました。

違反を肯定するつもりはありませんが、昔の裏モノは、出ない機種をお客様のために玉を出そう!と言う発想が大半でした。

今じゃ信じられませんが、新台が出ないとオーナーが激怒する時代がありました。新装開店で出玉が足りないと、オーナーの恥!と怒鳴り散らすオーナーもいたくらいです。

ホール業界は、お客様の味方だった時期が長く続いたのですね。

18時開店の時は、スロット全台6設定だったり、全台モーニングをセットしたり。パチンコならばベース100の台がゴロゴロありました。

パチンコは労働者の味方だったのです。

西成で暴動が起きた時は、警察から西成のパチンコ店に対して、「出玉を増やしてやってくれ!」なんて要請が来ました。警察がなんと、暴動を起こすくらいイライラしている労働者の気持ちを和らげるためにパチンコを利用したのです。つまりあの当時もパチンコは労働者の味方。

そんな庶民の味方だったホールが、いつしか庶民をいじめるようになりました。

サラ金で金を借りてまでパチンコやスロットをやる人が続出したのですね。特に4号機時代やCR機の400分の1時代や、確変2回ループ時代です。だんだんと、交換率が上がり、庶民がついていけなくなったパチンコ業界。

佐々さんは、この事を、弱者が弱者をいじめる、と表現したのですね。

「借金をさせてまで遊ばせるパチンコ業界に未来はない。いつかパチンコは衰退する」

佐々さんの予測は当たりました。

先日私が寄稿した、北海道の電力不足についたエルトリーや、台風関連で書いたエルトリー、両方ともに危機管理を書いたものです。

そのエントリーの根底には、佐々さんの教えを受け継いだものです。

佐々さんお疲れ様でした。
ごゆっくり休んで下さいね。

合掌



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