パチンコ日報

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基幹店が4年で撤退するワケ


完全閉店する店舗が、閉店の3週間ほど前に一挙50台あまりの新台入れ替えを敢行しているが、これには社内の人間が一番驚いたことかもしれない。

グランドオープンしたのは4年前。巨大ターミナル駅前の一等地で規模は1000台オーバーの大型店である。基幹店がわずか4年で撤退を余儀なくされた現実は、パチンコ不況の象徴的な出来事ともいえる。普通の店舗が閉店するのとは意味合いが大きく違う。

「年末年始の新台入れ替え計画までありました。いかに急転直下だったかということが分かります。閉店の話が下に降りてきたのはごく最近です。採算性を重視した結果だと思います」(周辺関係者)

これは4円の稼働がホール経営を支えられなくなった現実を示すものでもある。1000台クラスの大型店を1円だけで運営できるか、といえば否である。現場からは600~700台が適正台数という声も聞こえてくる。

一から土地・建物まですべて手当てして大型店を出店するビジネスモデルにも陰りが出ている。現に最近グランドオープンした新規店舗は、計画通りの稼働を上げられるケースの方が少ない。

ところで、今回の撤退には強力な競合店の存在があった。隣り合わせでし烈な戦いを繰り広げてきた。

業界ウォッチャーは今回の撤退を営業視点でこう見る。

「やはりライバルの方が圧倒的な一番店でブランド力があった。複合施設というのも強味だった。さらに、ライバルには揺るぎない主軸があった。グランドオープン時には日本最長の『牙狼ストリート』があり、現在は北斗無双で130台です。主軸を競合の倍以上抱え、競合がつけられない状況を作り続けた。この兵法を続ける限り、二番店にしかならない。二番店では賄えない家賃になり撤退を決めたものと思われます」

IT media ビジネスにダイエーはなぜ衰退したのか、という記事が掲載されている。

以下、要点を抜粋した。

スーパーのダイエーが「流通革命」や「価格破壊」といった言葉に代表されるように、日本の小売業界、流通業界に与えた影響は大きい。

ダイエーは、中内氏の経営理念「価格は消費者が決める」「売り上げが全てを癒す」によって、それまで定価販売が当たり前だった小売業のあり方に革命的な変化をもたらして消費者の心を掴んだ。また、GMS(食品・衣料品・家具・家電と一店で何でも買うことが出来る業態)という業態や、SC(ショッピングセンター)という業態の日本での定着化を実現したのもダイエーである。

1980年には小売業で初めて年間売上高1兆円を突破し、80年代後半にはプロ野球球団「南海ホークス」の買収や流通科学大学設立など、事業の多角化を推し進めた。

豊かさを得た消費者の嗜好(しこう)が、「安さ」一辺倒から「品質+安さ」重視に転換していることについていけず、また、家電やアパレルの専門店など競合の成長に対しても有効な策が打ち出せずにいた。その結果、ずるずると業績悪化を続けていき、最終的に、2004年の産業再生機構による支援を経てグループ解体に向かっていった。

成長していたころのダイエーは時代の旗手であり、中内氏が繰り出す施策はどれも当時の小売業界ではとがった存在だった。しかし、中内氏が事業の目標とした国民の豊かさが実現した後、次の目標を見つけられず、その後の経営体制も過去の遺産を食いつぶすだけで、新しいコンセプトを打ち出せなかった。

結局、中内氏のカリスマによって事業拡大したダイエーは、そのカリスマ体制から脱却できないことで衰退の路を早めた。

以上引用終わり。

高射幸性の時代は終わった。今後は低射幸性の遊技機で、依存症対策をしながらの営業を強いられている。それなら、そっちの方向にいち早く舵を切るしかない。

1円で経営が成り立つためには、メーカーもいつまでも高価な機械を販売している場合ではない。




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