パチンコ日報

ニュースにならないニュースの宝庫 

ホール企業も新規事業として注目する合法民泊

6月頃から見かけるようになったテレビCMの一つに「Airbnb」がある。正式名はエアー・ビー・アンド・ビー。通称はエアビーと呼ばれている。

https://youtu.be/jODDvghb_1s
これはアメリカ生まれの世界最大手の民泊サイトのCMで、旅行先で現地の文化とつながり、ユニークな旅行体験をすることで参加できる世界を創り出すことを使命に2008年8月に誕生した。同社のコミュニティでは、世界191カ国6万5000以上の都市のアパートやヴィラから城やツリーハウスにいたるまで、ユニークな部屋へのアクセスを提供している。

政府は2020年の東京オリンピックまでに訪日外国人観光客を4000万人、8兆円のインバウンド市場を作り上げることを目標に掲げている。ところが、訪日観光客を受け入れるホテルの絶対数が足りないことから、その需要を吸収する方法として注目されているのが、空き家を貸し出して宿泊施設とする民泊サービスだ。

中でも、Airbnbを利用した訪日外国人が、2016年度は400万人に達している。今後も急増することが見込まれているが、現状は簡易宿所の許可を取っていない違法民泊が大半を占めている。違法な形で営業していると近隣住民から、宿泊者が出すゴミと騒音でクレームが出たりする。

そこで、政府は健全な民泊サービスの普及を目指し、今年6月に住宅宿泊事業法(民泊新法)が可決成立。2018年1月から施行予定とされるこの民泊新法では、Airbnbのような民泊の仲介サービスは観光庁長官の登録、そして、民泊運営を代行する業者は国土交通大臣の登録が定められている。

健全な民泊サービスが普及すれば、これまでは民泊を利用しなかったユーザーも安心して利用できるようになり、このマーケットの市場規模そのものが大きくなる可能性がある。

合法民泊事業を推進するのがハンドグローイングだ。現在、京都、大阪などで法的基準をクリアするために、一般住宅を改修工事して約180室の合法民泊を運営している。

一般住宅を民泊に転用するには、まず、物件が旅館業法の認可を取れるかどうかがポイントになる。前提条件として住宅専用地域に建っていないこと。同地域ではホテル、旅館業を営むことができないためだ。次に旅館業法上の建築や消防の基準をクリアする必要がある。

民泊の準備が整ったら、次は集客だ。一般的にはAirbnbなどの民泊仲介サイトに掲載し、予約を受け付ける。ただ、待つだけでの集客だけでなく、同社は海外の旅行会社と業務提携して、送客を図っている。

こうして培ったノウハウを基に、民泊事業のオーナーも募集している。一から民泊事業に参入するオーナーに対しては、同社が近隣住民の説明会やゴミ、騒音問題も一切合切を行う。

グレー民泊は宿泊先に到着後、あらかじめ伝えられた暗証番号でキーボックスを開けてのセルフチェックイン方式だ。これだと予約した本人と実際に泊まった本人確認をすることも出来ずに、誰が泊まったかも分からないのが現状だ。

同社の場合、大阪・心斎橋オーパにある同社の事務所でチェックインを行う。



パスポートで本人確認した上でチェックイン手続きが済めば鍵を渡す。荷物は同社が宿泊先までデリバリーするサービスも行っている。身元がはっきりしているのでオーナーも安心できる。

チェックアウトが終わると同社が掃除に入り、ゴミは産廃に出すので住民とのトラブルにならないようにしている。

「京都市は、マンションはNGですが、深刻な客室不足の大阪はマンションでもOKです。大阪は行政が民泊には前向きなので民泊事業を始めるのに適しています。今年1月から大阪市は、外国人滞在施設経営事業(特区民泊)は、従来の6泊7日からより現実的な2泊3日に緩和されています。大阪市内で25平方メートル以上の部屋なら全室特区民泊となります」(ハンドグローイング・辻武弘社長)

同社ではハウスメーカーとタイアップして、民泊専用マンションの建設も開始している。民泊マンションオーナーになれば、同社が年間7%~8%の利回りで10年間借り上げて運営まで行ってくれる。賃貸マンションの利回りは4%前後を比較して、新規事業として民泊事業に進出するホール企業も出てきている。

来年1月からの民泊新法施行に伴い、民泊ホストは都道府県に届け出が必要となる。届け出がない違法な民泊はAirbnbに掲載できなくなるので、合法民泊の需要はさらに高まる。



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寮と賄いが見直される時代?

20代の男性4人が北関東でシェアハウスに住んでいた。

うち、一人は自動車工場で働いていた。無料の寮住まいで給料が25万円。悪くはなかった。ところが腰を痛めて働けなくなったので、会社を辞めてシェアハウスに住みながら次の職を探していた。

その若者とホールオーナーが偶然居酒屋で知り合うことになる。

オーナーは若者の話を聞いて、「じゃ、ウチで働かないか」と声を掛けた。

そのホールは昔ながらのスタイルでホールの上が寮で、賄も付いていた。住むところと食事は保証されている条件を聞いて若者は二つ返事で、ホールで働くことになる。

シェアハウスの同居人の一人が同じホールで働くようになった。やはり、衣食住のうち、食と住が完備されているのが魅力だった。もう一人は別のホールで働くようになった。

つまり4人中3人がひょんなことからホールで働くようになった。

この話を新宿の居酒屋でやっていた。

すると隣の席の40代のサラリーマン客が「その話し、おもしろいですね」と声を掛けてきた。

「パチンコ」「寮」というキーワードに惹かれたのはホール関係者だった。

会社名こそ言わなかったが、話の様子からかなり大手ホールのエリア長であることが分かってきた。

向こうも酒が入っているのか、自分の役職での年俸を明かしてくれた。2017年式のレクサスLCハイブリッドモデルが買える。

「パチンコ業界ってそんなにもらえるんですか。凄いですね」と相槌を打った。

ちなみに店長の年収は650万円~900万円らしい。

話し掛けてきた理由は大手と言えども求人難は変わらない。都内の有効求人倍率は1.5倍を超えているので、ますますホールに魅力を感じてもらうことができない。

そのために、毎年大量の新卒を採用しているわけだが、
「すぐに辞めて行く根性のない奴が多い。入ってすぐ辞める新卒は店長が説得してもダメな時は私が出て行く。辞めたい理由は聞いていた話と現実が違う、というのが多い。でも、エリア長になった時の年収がモチベーションになっています」(エリア長)

そのホールでは借り上げ社宅のような制度があるが、そこに問題があるように感じている。

「寮なら周りに同僚がいるので会社へ行かなくっちゃ、と思うが、一人だとそのまま休んでしまう。今はまた寮と食事を充実させた方がいいのかな、と思っていたところです」

時代は繰り返すというが、シェアハウスに住むぐらいなら今の若者は逆にホールの2階に寮があったスタイルを求めているということになる。

時給での差別ができなくなった今、寮と食事が見直される、というのか?


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都内の居酒屋での出来事だった。

スタートが固定される設定パチンコになれば、中小も大手と同じ土俵で戦える

今回の風営法の規則改正で「MNRS」という聞き慣れない言葉が出てきた。開発に関わっている人はもちろん常識問題だが、それ以外の人には馴染みが薄い。

MNRSとは出玉に関する数式で、意味は以下の通りだ。

M=大当たり確率
N=最大ラウンド数
R=最大カウント数
S=最大賞球数

で、現行のM×N×R×S≦12が、改正案ではM×N×R×S≦10に変更される。

MNRSの積が12以下だったものが、今回は10以下にする改正だ。しかも改正案ではラウンド数も16ラウンドから10ラウンドに変更される。

この数式により、大当たりしやすい機械は出玉が少なく、大当たりしにくい機械は出玉が多いということになる。

開発陣は出玉性能をショボくさせる規則を元に新基準機を開発して行かなければならないが、併せて、釘調整が不要で6段階設定も加味して開発して行かなければならない。

「釘に替わるものとして突起物のようなものを考えている。設定6段階になれば、スタートもベースも完全固定されたものになる」(パチンコメーカー開発)

釘調整がNGなら叩いても曲がらない素材を使うことになるのだろう。そうなれば、ホールがスタート調整はもちろん、ベースやTYを削ることもできなくなる。ユーザーにとっては歓迎すべきところだろう。

「釘を見ただけではプロも分からない。客を付けたければ自ずと高設定を使うことになる。逆な見方をすると弱小店にもプラスになる。スタートは固定されるので大手も弱小も同じ土俵に立つことができる。スタートでは肩を並べるので、そういう意味では弱小店が起死回生のチャンスにもなる。開発としては規則改正を前向きに捉えている」(同)

とは言いながらも今回の規則改正での悩みどころもある。それは甘デジだ。元々、1/100程度なので確率の幅が狭く、6段階設定でそんなに確率の差を出せないのが悩みどころのようだ。

それでも規則改正はホールよりも前向きに捉えている。

「各メーカーもまんざらではないものを出してくると思いますよ。遊技人口の減少に歯止めを掛ける最後のチャンスだと思っています」(同)

問題があるとすれば、すぐに設定付きパチンコが出たとしても、完全に釘調整ができないパチンコ台が市場に登場するまではタイムラグがある。

設定は付いているが釘調整は今まで通りできる…そんな過渡期が長く続くと弱小ホールにはマイナスとなる。そうなると過渡期は短い方が弱小ホールには有利になる?



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スロプロ歴25年のベテランが引退するワケ

これまでにも、何度かスロプロが引退した話を紹介したが、また一人ベテランスロプロが引退を決意した。

東京在住のスロプロのAさんは、年齢は50代前半。大学を卒業してサラリーマン生活を送っていたが、28歳の時に会社を辞めてスロプロ生活をスタートさせた。気が付けば25年もスロプロ生活を送ってきた。学生時代からスロットを打ち続けているのでスロット歴は30年以上の大ベテランである。

引退を決意した理由はただ一つ。

勝てなくなったからだ。4号機の全盛期は月に200万円は楽に稼げていた。5号機になってそんなに稼げなくなったが、それでもずっとプラスで推移した。

一昨年ぐらいから異変を感じた。そして、昨年は11月までのトータルで150万円しかプラスになっていない。全盛期には月に200万円稼げていたのに。1カ月分の稼ぎを1年掛かってようやく稼ぎ出しているようなものだ。

儲かっている時は地方にも遠征していたが、地方で食えなくなったスロプロが東京へ出てくるようになって久しい。

「地方ではスロットを打っている人そのものが少ない。だから、設定も入らないので、誰も打たない。5スロがかろうじて稼働しているが、プロが食えない店に一般客が来るわけがない。地方は将来の日本の縮図。都会だって安泰とはいえません」(Aさん)と指摘する。

Aさんはスロプロを引退して、働くつもりだが、年齢からして正社員で雇ってくれる会社などありはしないが、年収で150万円ぐらいならアルバイトでも稼げるので、そっちの道を選ぶつもりだ。

なぜ、スロプロを引退してアルバイト生活を送るかというと、「精神的に楽」というのがその理由。

アルバイト生活に甘んじられるのは、それなりの貯えがあるからだ。25年間で貯めた金額は8000万円以上。6冊の通帳にはいずれも1000万円以上の預金残高が記されている。

Aさんは酒もタバコもやらないで、スロプロ生活に賭けてきた。

1日の稼働時間は12時間。遊ぶ時間がないので、カネは貯まる一方だった。タバコを吸わない理由は両手を使って回し続けるため。タバコを吸うと片手が疎かになって回せない、というのがタバコを吸わない理由。

トイレも大の時はあえて和式を選ぶ。洋式だと落ち着いてしまう時間がもったいないからだ。1分、1秒を回すことに集中した。

昼飯は自分が作った特大のおにぎり。外へ食べに行く時間が惜しかった。

「4号機の時は夢があった。3万円入れても10万円戻るので、その夢を追っかけた。今は事故待ちしかない。人それぞれが負けても納得できるボーダーラインを持っている。1万円突っ込んで5000円戻ってきたら、遊ばせてもらったから、と納得できる人もいたが、今はそう考えるお客さんは5スロを打っている。少額を負けてくれるお客さんが沢山いたからプロが食えた。今は大負けすると二度としない。等価交換になって大学生が遊べなくなった。消費税が上がれば、まずますサラリーマンもしなくなる。スロットはいずれ壊滅状態になる」と予言する。

スロプロが食えなくなったのは「遊ばせてくれたから」と負けても納得してくれるお客さんがいなくなったからだが、そうしむけたのはホールである。



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40年ぶりに帰国して夢にまで見たパチンコに大失望

親せきがパラグアイで農業をやっていて、それを手伝うために日本からパラグアイに渡ったのが40年以上も前の話しだった。以来一度も日本へ帰ってくることはなかったが、このほど帰国を果たしたおじいさんの話だ。

年齢は80歳を過ぎている。日本にいる時は大のパチンコファンだった。パラグアイに渡った頃、日系人向けのラジオから流れてきたのが間寛平の「ひらけ!チューリップ」だった。その歌を聴くたびに日本を思い出し、パチンコを打ちたいという気持ちがふつふつと湧いてきた。

この曲は1975年にリリースされ、100万枚のヒットを飛ばしたパチンコソングで、50代以上の人なら聞き覚えがあるはずだ。これほどヒットしたパチンコソングは後にも先にもない。

40年以上経って初めて帰国して、真っ先に向かったのがパチンコホールだった。夢にまで見ていたパチンコを打った感想は「こんなのパチンコじゃねえ。目が回るだけ」とガッカリしてしまった。

40年以上も前にパチンコを打っていた人からすれば、この40年間のパチンコの進化はまさに浦島太郎状態で受け止めたに違いないが、進化は「面白くない」の一言だった。

逆に、現役バリバリで打っていた頃のチューリップ台が打ちたいという気持ちがますます高まってきた。

もはやチューリップ台はパチンコ店から完全に消え去ってしまったのか、と思いながらも諦めきれなかった。それでチューリップ台がどこへ行けば打てるのかを探している過程で、7人目でやっとパチンコのことに詳しい業界人にたどり着いた。

そう、a-gonの手打ち式チューリップ台「昭和物語」が都内のホールには設置している。1カ月間は品川のホテルに滞在しているおじいさんを業界人が当該ホールまでアテンドすることになった。

改めて「ひらけ!チューリップ」の歌詞を読んでみると、業界人は考えさせられることが多い。

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1975年当時は35個の小さな玉に望みをたくして、とあるように貸し玉料金は1玉3円時代である。負けが込んですでに800円も使っている。ポケットを探って出てきた100円硬貨に最後の夢を託している姿が描かれている。

せいぜい負けて1000円というイメージだ。

大学生の初任給は当時とさほど変わっていないのに、パチンコに使う金額は10倍以上になっている。

警察庁が求める遊技としてのパチンコは、最終的にはここまで戻らなければいけない、ということでもあろう。ハードランディングでは業界が一気に崩壊するために、警察としてもそこまではできないが、ソフトランディングで「ひらけ!チューリップ」の時代まで戻そうということか?

そんなことをこのエピソードから思い浮かべてしまった。


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