出身は沖縄で、両親に相談したら「反対された」という理由で一旦は正社員の話を断って来た。A君は東京のパチンコ店で働いていることは両親には内緒にしていた。
理由は沖縄から東京へ出て行くときに「風俗産業では働くな」といわれていたためだ。
A君が正社員になるといったら父親は「勘当だ!」と聞く耳も持たなかった。
それで、A君は給料の話をした。
バイトでも時給が1200円だということ、正社員になればボーナスも支給されるので年収は300万円にはなることを話した。
沖縄に戻っても22歳で年収300万円も稼げる職種はそうそうない。
父親は「そんなにもらえるのか!」と気持ちが変わってきた。そして、正社員になることを許した。
両親がA君の働きぶりを見るために、沖縄から出てくることになった。
その話を店長から聞いたホールの社長は、A君の両親に会いたくなった。それで両親のためにホテルも取った。
社長はA君の両親を食事に誘い、パチンコ業界の歴史から、在日として苦労した話し、さらには現状までを包み隠さず話した。
A君の両親は40代後半。
生まれ育った沖縄の戦後の基地の歴史とパチンコ業界の歴史がオーバーラップし始めた。
両親からもいくつかの疑問を投げかけてきた。例えば、北朝鮮への送金問題だ。
「昔は確かに送っていた時期もありますが、今はうちは送っていません。私の知る限り送っているところは2~3社あることも事実ですが、それも送らざるを得ない事情があります。帰国事業で向こうに渡り、親族や親せきが生きている場合、彼らの身の安全を図るために送らざるを得ないのです」と社長は事情を説明した。
そして、こう力説した。
「私は日本で生まれ、日本で育った在日3世ですが、私たち在日は日本で商売させてもらっている以上、日本人と仲良くしなければいけません。嫌われたら商売はできません」
A君の両親は社長が正直にパチンコ業界のことを話してくれたので、今まで抱いていたイメージも変わってきた。
最後は社長の手を握って「息子をよろしくお願いします」。
パチンコ業界へ就職するには未だに親の反対があることは、厳然たる事実だ。今回のように社長が直接業界の話をすれば、納得してもらうことができるが、そういう努力を業界がやらなければ、いつまで経っても業界を理解してもらえない。

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