パチンコ日報

ニュースにならないニュースの宝庫 

今こそホール組合は自主規制の復活を

「今こそ業界自主規制の復活が望まれる。例えばMAX機の設置比率は総台数の2割までに抑えるべきだ。昔はフィーバーにそんな規制を設けていた時代があった。それが行き過ぎた射幸性を抑える効果を果たしていた。ホールは1円の収益ではやってられないので、相変わらず売り上げの上がるMAX機に依存する。お客さんの懐は回復していないのに、供給が過剰だから、機械代回収のためにすぐに釘を閉める。そんな状況では4円のMAX機を打てるお客さんはますますいなくなる。この悪循環を断ち切るためにも業界自主規制を復活させなければならない」と力説するのは地方のホールオーナー。



パチンコは遊技といいながら、その実態は小ギャンブル化してもう何十年も経つ。



一般業種と違ってギャンブル化したパチンコ業界を規制緩和することが、得策ではないことを業界は経験させてもらった。かつては3000万人いた遊技人口が970万人にまで下がったことは、お客さんを“消費”して、使い潰してしまった結果だ。



マージャンでもレートが高くなれば、誰も打たなくなるのと同じこと。



風俗営業種は別名欲望産業ともいわれている。それを闇化させないために風営法で取り締まっている。それは警察の知恵だった。



最盛期には1万8000店舗あったパチンコ業界を警察の現有体制で取り締まるのには、物理的にも大変だった。そこで、警察が考えたのが規制緩和という名の媚薬だった。世の中は規制緩和を求める時代でもあった。その時流に乗った。



自由競争にさせることで弱肉強食の原始の社会に戻る。資本力のあるホールは拡大路線をひた走り、全国展開していった。地方の資本力のないホールは淘汰されて行くことになる。



思惑通りに? 警察が手を下すまでもなく、何年もかけてホール店舗数は1万1000店舗まで減少した。



組合の自主規制が厳然と残っていたら、パチンコ業界は今とは全く違う歴史を歩んでいたかも知れない。



「風営法には等価交換の原則が謳われているが、それを換金に捻じ曲げたことも大きな問題がある。一般景品に換える方が特殊景品に換えるよりも有利、という昔の2.5円交換は健全なありようだった。世間が認めるような自主規制の復活が何よりも求められる」(同)



昔に戻ることは難しい、と諦めていたのでは何も変わらないし、解決もできない。何もしないことは、座して死を待つことに等しい。





人気ブログランキングへあなたのポチっ♪が業界を変える





※コメントには必ずハンドルネームを入れてください。コメントがエントリーになる場合もあります。







釘を読む満足感がなくなったことがファン減少の一因

北関東で1店舗しかないホールでの話。



このホールには何十年も前から張り出されている「プロお断り」の張り紙が未だに健在な店舗だ。この張り紙をしたのは、すでに一線を退いている80歳を過ぎた会長が現役で社長をしていたころのものだ。



この張り紙を見たお客さんからプロの意味を聞かれた店長は、返答に窮した。店長が入店する随分以前からものだったからだ。



そこで、店長は会長にプロを断っていた時代の話を聞いてみた。



多少、認知症の毛があるが、古い話は昨日のことのようによく覚えていた。



「朝の開店から並んで、毎日来て、チューリップ台やハネモノを毎日打ち止めにするのがプロ。でも、品行方正な奴は出入りを認めていた」



会長は現役時代は自分でも釘を叩いていた。その頃の話になると顔にだんだん生気が漲ってきた。



「プロの顔は全員覚えている。それだけじゃない。彼が座る台もあらかた予測は付いていたよ。彼らの名前と勝敗を全部ノートに付けていた」と古いノートを引っ張り出してきた。



そこには自分が予測した台に座ったかどうかまでが、事細かく書かれていた。



プロは当然、釘を見て台を選ぶ。



この時、釘でプロとの駆け引きが始まる。



ハネモノはスタート1とスタート2があるが、そこを開けているように見せかけて、実は開いていない、という高等テクニックを使いながら、そういう台に座ると、「ざまあみやがれ!」と心の中で叫んだ。



当時の釘は2~3時間で終了するのか、それとも5~6時間遊んで、トントンか、というような微妙な調整もした。



当時は、釘でお客さんと駆け引きする技術を持っている釘師がいた。今のハネモノはラウンド抽選になって釘の技術を活かすこともできないが、それ以前にハネモノを叩ける人も少ない。



「釘を叩くときは、いつもお客さんの顔を思い浮かべながら叩いたもんさ。今日はあの人に勝たせてあげよう、と。そういう台にそのお客さんが座って、打ち止めにすると、お客さんも『俺の釘を見る目が良かった』と打ち止めただけでなく、さらに自分の眼力にも満足する。1万円使って、8000円取り戻せたら、やはり自分の釘を見る目があった、と満足する。今の機械は、すべて運。そういう自己実現の満足感がないから、ファンが減る」と苦言を呈する。



セブン機一辺倒になってそういう駆け引きもなくなった。



もっとも、今では釘調整は無承認変更、と警察が声高に叫ぶようになり、釘の醍醐味を語ることもできない風潮になっている。





人気ブログランキングへあなたのポチっ♪が業界を変える





※コメントには必ずハンドルネームを入れてください。コメントがエントリーになる場合もあります。



後世に残る10億円の使い方のアドバイス求む

写真は茨城県牛久市にある「牛久大仏」だ。ブロンズ製の立像大仏で、全高120メートルは立像としては世界3位だが、ブロンズ製では世界1位の高さを誇る。





何でも、日本一、世界一でなければ世間の印象にも残らない。



牛久大仏を日ごろから見ているホールオーナーは、80歳を超え第一線から退いている。経営は息子にバトンタッチしている。それなりに財産も築き上げている。



そこで、自分も牛久大仏のように後世にまで残るでかい建造物を建てたくなっている、という。



予算は10億円。



それほどのおカネがあるのなら、店を増やせばいいようなものだが、そういう気はサラサラない。



10億円の予算でどのような建造物ができるのかも、皆目見当もつかないそのオーナーに、ある人がこんなアドバイスをした。



「どうせなら社会に役立たせるために財団を作って基金で社会貢献するのがいいんじゃないですか? オーナーの名前を入れて。それなら後世まで残りますよ」



これに対して、オーナーはただ一言。



「今は通名で名前が通っている。本名でやりたいが、それだと誰か分からない」



ちなみに、牛久大仏の建築費は80億円らしい。



10億円の予算ではオーナーのイメージするようなものは、ちょっと難しい。



たとえ、10億円で巨大な建造物を作ったとしても、後々のメンテナンスや維持費にも経費がかかってくる。



ここは、日報の読者の皆さんに、後世に残る10億円の使い方について、意見やアドバイスをいただけたら、幸いだ。





人気ブログランキングへあなたのポチっ♪が業界を変える





※コメントには必ずハンドルネームを入れてください。コメントがエントリーになる場合もあります。



おもちゃ売り場のパチンコと近未来のパチンコ業界

パチンコのおもちゃの歴史は古い。下の写真は現代版の最新のものだが、手で打って穴に入れるタイプのパチンコのおもちゃは、少なくとも半世紀以上の歴史がある。





時代を反映して、おもちゃのパチンコも電動式となり、ハネモノタイプやフィーバータイプが発売されるようになる。







「昔はよく売れて年末の主力商品の一つでした。子供の遊びもテレビゲームに代わって来て、今は昔ほど売れません」と話すのはアンパンマンパチンコを製造しているアガツマの関係者。



手動式の低価格のパチンコは現在も販売されているが、電動式の高額なパチンコは数年前に製造が中止され、新機種の販売の予定は未定だという。



次機種の開発計画がないのは、需給バランス。未だに電動式が売れ続けていれば、新機種の開発もありうるが、売れないから作らない、というシンプルな理由のようだ。



では、おもちゃのパチンコが売れなくなった原因は、テレビゲームが台頭してきた、という理由だけなのだろうか?



「子供向けの面白いものを作れば、きっと売れるはずです。人生ゲームは4~5人集まらなければ遊べないので、廃れていきましたが、パチンコは1人で遊べる」と指摘するのはおもちゃのバイヤー。



しかし、いくつかの条件がある。



「実社会のパチンコの射幸性が高くなり、借金問題をはじめ、北朝鮮への送金問題でパチンコのイメージが悪くなり『おもちゃ売り場にパチンコはとんでもない』と苦情もありました。親が子供にパチンコを買い与えなくなったのが、売れなくなってきた一因でもあります。まず、パチンコという名前のイメージが悪いので、親はアレルギー反応を示します。パチンコをコリントゲームに言い換えるなどすればいいかと思います」(同)



そういえば、パチンコの原型はコリントゲームともいわれている。





「親御さんにアンケートを取ったところ、子供にはアナログのおもちゃを買え与えたい、という意見が多い。テレビゲームはさせたくない、という意味も込められています。アナログなおもちゃという意味ではパチンコはピッタリです。昔は売れた実績もあります。名前を変えて、面白いものを出せば、売れる、というのはそういう理由です」(同)



おもちゃ売り場で手動式の昔ながらのパチンコは生き残っているが、電動式の大型のパチンコはおもちゃ売り場から消えてしまった。



1996年頃がおもちゃの電動パチンコがよく売れた時代でもある。パチンコ業界も社会的不適合機が撤去される前年で、一番輝いていた時代だ。



パチンコのイメージを悪くしている原因を取り除き、改善したことを世間にアピールすることだ。



そうしなければ、パチンコの近未来の姿がおもちゃ売り場のパチンコと鏡写しになってしまう恐れがある。



人気ブログランキングへあなたのポチっ♪が業界を変える





※コメントには必ずハンドルネームを入れてください。コメントがエントリーになる場合もあります。



所轄がNOといえばNO

18歳未満の緊急時のトイレ利用は、いつになく業界関係者のコメントが多かった。



現場としては、緊急を要している子供にトイレを使わせてあげたいとは、誰もが思っていることであるが、そこには一般人には分からない警察の壁が現実にある。



子供にトイレを使わせて親から苦情が来たり、所轄から呼び出しを食って事情説明をしなければならないこともある。



そんなことを一般人は知る由もない。だからホールの対応を簡単に批判する。



これも実際にあった話だ。



中学生が急におなかが痛くなってホールのトイレを利用した。店から出たところをたまたま通りかかった警察官に見つかり補導された。警察としては未成年がパチンコをした、との疑いを持ったからだ。



中学生は従業員にも断らずにトイレを使っていたので、警察が本当にトイレ利用だけだったかを調べるために、ビデオで中学生の行動確認を行った。



本当にトイレ利用だけで、遊技はしていないことは分かった。



しかし、ホールは始末書を書かされるはめになった。



小学生ならともかく、中学生以上になるとトイレ利用ではなく、パチンコにも興味を持ってくる年頃になってくる。18歳未満の入場がまだ甘かった昔は、高校生が制服を着替えてパチンコしていたこともあった。



18歳未満をホールに客として立ち入らせることは禁止されているが、客か客でないかの判断をするのは意外と難しく、面倒くさいので一律18歳未満は入場禁止にしてしまった経緯もある。



18歳未満の立ち入りが厳しく罰せられるようになって、もう一つ不幸な事故が起こるようになった。ホール側も子連れを排除するようになったので、駐車場で幼児が熱中症で死亡する事故が多発するようになる。



車内で熱中症になるぐらいなら、ホールの休憩室にバギーカーを置かした方がまだまし、という議論も業界から起こることもなかった。それこそ、世間からは猛烈な反発を食らうことは必至だ。



車内に幼児を放置してでもパチンコに興じる親は、ギャンブル依存症であり、業界としてもそこまでしてパチンコをやって欲しくもない。



話は変わるが、警察の事なかれ主義は、地元の祭りの協賛についても「好ましくない」との指導を受けたホールもある、という。



月1回200円までの総付け景品がOKになったころからで、地元への寄付行為が総付け景品の範疇を超えるものとの判断が所轄で働いたようだ。



これもすべて所轄の判断で、警察庁は裁量権を現場に委ねている。



地元の祭りは地域の商店などからの協賛金で運営しているケースが少なくない。このホールがいくらぐらいの協賛金を寄付していたかは分からないが、大口だと地元自治会も当てが外れる。



「地元密着営業を企業理念にも謳っている。地元のお客さんで商売させてもらっている。その恩返しで地元への寄付行為ぐらいは認めてもらいたい」と所轄の判断に憤る。



所轄がNOといえば、納得しなくても判断に従うしかない。一度目を付けられたら別件捜査でいくらでもいちゃもんをつけられるからだ。



こうしてホールは牙を抜かれ、一般人では考えられないようなことが日常的に起こっている。





人気ブログランキングへあなたのポチっ♪が業界を変える





※コメントには必ずハンドルネームを入れてください。コメントがエントリーになる場合もあります。