しかし、長い年月のせいか、肝心の店名をどうしても思い出せない。店名がわからなければ探しようもなく、そもそも、今、鬼怒川温泉にパチンコ店は1軒も残っていない。
温泉街からパチンコ店が姿を消したのは、何も鬼怒川温泉に限ったことではない。全国各地の温泉街でも、昔は当たり前のようにあったパチンコ店が姿を消して久しい。温泉パチンコ店が最も多かった昭和。そして、フィーバー機登場以前の空気を覚えている人も、今はいない。
パチンコ店の「戸籍謄本」とも言える『ここって昔はパチンコ屋(通称:ココパチ)』というサイトは、現在は有料版となり、情報を探すのも簡単ではない。余りにも古い話で、おじいさんの働いていた店が、そこにすら載っているかどうかさえ定かではない。
鬼怒川温泉そのものも、かつての賑わいは見る影もない。インターネットで「鬼怒川温泉」と検索すると、サジェストには「廃墟」という言葉が並ぶ。
今の様子は寂しく映るかもしれないが、かつては東京の奥座敷と称され、静岡の熱海温泉と並ぶ観光地だった。1980年代から90年代初頭のバブル期には、年間341万人もの観光客が訪れていたのだ。
当時は社員旅行が盛んで、その需要に応えるかたちで多くのホテルや旅館が建てられた。しかし、バブル崩壊により景気が冷え込むと、団体旅行の文化も衰退。さらにスーパー銭湯の普及、旅行スタイルの多様化といった社会の変化により、鬼怒川温泉の客足は徐々に遠のいていった。
重ねて襲ったのは地元経済の崩壊。温泉街を支えていた地方銀行が破綻し、資金繰りに行き詰まった宿泊施設が相次いで倒産した。追い討ちをかけたのは東日本大震災と豪雨災害。建物が損壊し、修復もままならぬまま、鬼怒川温泉にはいくつもの廃墟ホテルが取り残された。
多くは所有者不明、解体には多額の費用がかかるため、そのまま廃墟を晒している。
それでも、おじいさんは記憶のかけらを頼りに、かつての職場を探そうとしている。現在、北海道のテレビ局がおじいさんの願いを追うドキュメンタリーの制作を企画中で、それに伴い、パチンコ業界に詳しい人たちへ情報提供が呼びかけられている。その流れで、日報にも情報が寄せられた。
もし栃木県遊協に古い名簿が残っていれば、鬼怒川温泉にあったパチンコ店の名前も判明するかもしれない。古い資料を手繰り寄せる中で、昭和の面影が甦れば、おじいさんの記憶も少しずつ呼び起こされることだろう。
ちなみに、おじいさんの奥さんは、鬼怒川観光ホテルに勤めていたという。このホテルは今、大江戸温泉物語グループの運営となったが、「鬼怒川観光ホテル」の名は、今も変わらず残っている。
寂れた温泉街と失われた職場。しかし、人の記憶の中には賑わっていた日々がある。地元で、おじいさんが働いていたパチンコ店で遊んでいた人がいるかも知れない。おじいさんの旅が叶えられることを願う。

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