パチンコ日報

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裏スロとゲーム機賭博汚職

裏スロ取材をフィールドワークとしている風俗ライターによると、最近、都内の裏スロの売り上げが軒並み落ち込んでいる、という。

裏カジノで賭博行為を繰り返していたとして、リオ五輪の出場を不意にしてしまったバドミントンの桃田賢斗選手は、その後の調べで裏スロへ通っていたことが明らかになった。

「最近大きな摘発がないので、そろそろどこかで大きな摘発があるのではないか、と常連客は警戒して、行くのを手控えているから。摘発を受ければ当然客も逮捕されますからね」(風俗ライター)

客足が遠のけば当然売り上げは下がる。店長としては売り上げを上げなければならない。そこで、編み出した起死回生策がクレジットサービスだ。

1万円投入すると10%クレジットを付けた。1万円なら1万1000円分のクレジットで、一度に3万円投入すると15%の3万4500円分のクレジットをサービスした。

しかし、そんな小手先のサービスで売り上げが上がることはなかった。

裏スロ屋にしても、お客にしても欲しいのはどこが手入れを受けるかの情報である。

「小池新都知事は女性なので、東京オリンピックに向けて歌舞伎町や渋谷の浄化作戦をやるかも知れない。そうなると闇スロもオリンピックまでで儲けられる期間も限られてくる、と危機感を持っています」(同)

手入れ情報といえば、警察の黒歴史忘れられないのが大阪府警のゲーム機賭博汚職事件だ。

昭和50年代半ば、街の喫茶店の他、ゲームセンターにもポーカーゲーム機など違法ゲーム賭博機が設置されているような時代だった。

昭和57年11月、大阪府警曽根崎署防犯課風紀捜査係の巡査長がゲーム賭博機の摘発情報を業者に流し、その見返りとして現金を受け取っていたことが発覚した。これを皮切りに芋づる式で捜査情報を流していたことが判明。現職3人、退職者2人、店関係者10人を贈収賄で逮捕。警察官124人を懲戒処分した。当時の大阪府警本部長で警察大学校長に就任していた杉原正が責任を取り首吊り自殺した。

この事件をきっかけに、賭博ゲーム機を作っていた人たちはめしが食えなくなって、新天地を求めて参入したのがパチスロ業界だった。

パチスロ黎明期はまさに玉石混交で何でもありの時代だった。そのDNAは連綿と受け継がれてきたのがパチスロだった。

客が喜ぶ機械を作ることは法を犯すことになるが、それをギリギリのところでチャレンジしてきた。時には保通協の盲点をついたり。それが裏スロ屋で活躍する4号機だったりする。


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