作文を書いたのは当時小学5年生の男子児童で、タイトルが「この世からパチンコと競馬がなくなれ」。この作文を教材に先生たちが議論を交わした。
男児と両親の3人家族の話で、お母さんの親が亡くなったことで、億単位の遺産が転がり込み、生活が一変するところから始まる。
それまでは、お父さんはサラリーマン、お母さんはパート勤めをしながら、しあわせな家庭を築いていた。男児の自慢はお母さんの美味しい手料理だった。
ところが、思わぬおカネが入ったことから、お母さんはパート勤めを辞め、パチンコに没頭するようになる。おカネはいくらでもあるので、好きなだけ使える。そのうち、朝一から閉店まで打つような生活になって行く。
当然、お父さんからも「家事はちゃんとやれよ」と文句が出るようになる。すると、お母さんは遺産の中からお父さんには競馬代を渡すようになった。おカネでお父さんを黙らせたのだ。
子供には食事代を渡して、好きなものを食べさせた。
パチンコにのめりこんで家事は一切しなくなった。当然のごとく喧嘩が絶えない家庭になってしまった。
競馬代をもらっているお父さんは、土日は朝から出かけて家には誰もいない。男児には寂しい日々が続いた。
ある日、いつものように両親の大喧嘩が始まった。いつになく壮絶な喧嘩に、男児が「止めて! ママはパチンコを止めて、パパも競馬を止めて」と泣きながら割って入った。
お母さんは離婚を切り出したが、お父さんは離婚する気は毛頭なかった。
息子の叫びにお母さんはパチンコを止めようと思ったが、朝が来ると足が勝手にパチンコ店へと向かった。
依存症である。自分の意志だけでは止めることはできなかった。
パチンコ三昧の生活が3年ほど続いたある日、お母さんは首つり自殺を図ってしまった。
理由は遺産が底を尽いたからではない。
お母さんは日記をつけていた。
そこには、息子が泣きながら喧嘩の仲裁に入った日のことも書かれて「ごめんね」と謝っていた。3年間のパチンコの収支が克明につけられており、1000万円ほど使っていることが分かった。
男児は突然の遺産が舞い込み、母親の人生を狂わせたパチンコが大嫌いになっている。通学路には何軒かのパチンコ店があるが、わざわざ迂回して通学している。
今は、改心したお父さんと暮らしているが、馬を見るのも嫌いなほど、男児の心の傷となっている。
この作文を元に先生たちが激論を交わした。ある学校では、給食費も払わないでパチンコをしているお母さんもいる。そうなるとパチンコは悪というイメージが付いてしまう。
その一方で、パチンコが好きな先生もいるが、人目を気にして地元では打てず、かなり離れた駅まで行って打っている。パチンコが悪いのではなく、本人の心の問題だ。
結局激論を交わしたところで結論は出るはずもない。
ホールにとっては毎日来てくれるお客さんはありがたい存在だが、何事も度を超えるとそれは悲劇となる。
いくらおカネがあるからといって、ホール側も依存症と思えば、声を掛け治療することを勧めるぐらいのことをしなければ、地域社会との共存はできない。

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