パチンコ日報

ニュースにならないニュースの宝庫 

トップが変わらなければ会社は変わらない

4号機時代に業界に参入し、都内でスロ専を増やして行き、7店舗になった。ところが、5号機時代に突入すると業績は見る見るうちに低迷して行った。



店舗展開できたのは4号機のパワーで、そこに営業ノウハウはなかった。



そのツケが出てきた。



稼働が一向に上がらない店舗を閉めることになった。



一時は業界からの撤退も視野に入っていた。



何より、社員が育っていない。



オーナーの考え方は「出せば客が来る」。この一点張りで、4号機時代はこれでやってきた。



4号機時代はどのホールも儲かった時代で、ノウハウも必要としなかった。



1店舗だけ外部のコンサルタントに運営を任せることにした。成功すれば順次任せる店舗を増やす予定だった。



オーナーは任せた以上、一切やり方に口出しはしないことを条件にした。



一からの再スタートにコンサルは社員やスタッフを募集して、理念作りから着手した。



その結果、決まった理念は「全員が幸せになる」。ホールの目標は地元のお客さんとのコミュニティを目指した。



スタッフには接客教育を一から施し、オープン日に向けて徐々にモチベーションを上げて行き、グランドオープン時にそれをピークに持って行った。



最高のチームが出来上がった。



しかし、オープン日にそのムードも一気にしぼむ事態が発生する。



今まで、口出ししなかったオーナーがオープン日を境に、これまで黙っていたことを一気に発散させるがごとく、自らが指示を飛ばし始めたのだ。



「満台になるまで、店を開けるな。外で整理券を配って客を集めてこい」



開店時間を明示しているのに、今さら、時間をずらすことはできない。現場にはいきなり動揺が走った。



「会員をとにかく増やせ。遊技中の客にどんどん声を掛けろ」と現場スタッフに直接指示を飛ばした。店長の存在も無視。



1日5~6回も会員入会の声を掛けられたら、客もスタッフも嫌になるというもの。



私生活を交えたほんわかムードのスタッフブログも「出玉ブログに変更しろ」。



お客さんとのコミュニティーを目指していた店作りを否定されては、現場のモチベーションは一気に下がる、というもの。



オープン期間は「出玉で勝負」といわんばかりに、出し続けた。



ところが、出玉営業を平日営業に戻っても続けることはできない。平日営業に戻った途端に客足は一気に遠のき、元の木阿弥に。



オープンと同時に今までのやりかたに戻っただけだった。



このやり方がダメだったからやり方を変えたはずなのに。



トップの考え方や行動が変わらないと会社は変わらない典型だ。





人気ブログランキングへあなたのポチっ♪が業界を変える





※コメントには必ずハンドルネームを入れてください。