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中小ホールが元気になる方法

現在、大阪で15店舗のチェーン店を経営するべラジオコーポレーションが産声を上げたのは2000年。昨年末には3店舗をグランドオープンさせた。



居抜き物件を中心に店舗を増やしてきたが、新大阪駅近くの西中島店は土地から手当てした。今、関西でも一番勢いがあるチェーンである。



温故知新。



今のべラジオを知るには、創業時のべラジオがどうだったのかをおさらいした方がいい。



倒産寸前の実家の「弁天グループ」を立て直すために林田氏は戻ってきたが、長年、金融機関や外資系の保険会社に勤務していたのでホール経営のノウハウはなかった。



店名を「べラジオ」に変え、グランドオープンしたものの、改装資金も潤沢ではなかった。



クロスを張り替えただけの名ばかりのグランドオープンで、設備は20年選手のままだった。



店舗を再生するために林田社長が伝手を頼って集まった業界経験者メンバーは4人だった。しかし、ずば抜けて優秀な人材がいたわけではない。釘の技術も決して高くはなかった。



ヒト、モノ、カネもない中、あるのは夢だけだった。



グランドオープンを控え、立ち上げメンバーで飲みに行く機会が増えた。在籍していた保険会社では、未だに売り上げ記録が破られていないほどの優秀な営業マンだった林田社長も、初体験のパチンコは不安だらけだった。



「家族もあり、仕事もあったのに、ついてきてくれたが、その恩に報いることができんかもしれん。しかし、絶対、路頭に迷わすことだけはできん。すまん、すまん」と立ち上げメンバーを前に号泣した。



社長の姿を見て、4人はむしろ「やってらろう」と気持ちがどんどん高まっていった。現場に団結力が生まれると店が勝てる雰囲気に変わっていった。



中古の設備に、中古の機械。



玉が出ない機械的トラブルも多かったが、スタッフが汗を流しながら必死で対応したので、逆に客からは好感が持たれた。



全員が店長で、全員が経営者の目線でべラジオが動き出した。潰れかけた店が4万5000稼働をたたき出すようになった。



「感動があるから人は興奮する。感動は完璧なものからは生まれない。完璧でないから感動する。未熟なところを補うために高い壁を乗り越えようと努力するから感動する」



オープンした当初はユニフォームを買う金もないのでユニクロでTシャツと短めのキュロットを調達してきた。



キュロットはさらに5センチほど裁断してミシンで縫製した。そのユニフォームがエロカワイイと話題になった。



その後も航空会社のCA風のユニフォームをへそ出しルックにしたコスチュームのスタッフが肩もみしながらお客さんと会話したり、バニーガールがドリンクを運んだり、と斬新なアイデアを次々に繰り出した。



「非常識の中に革命がある。常識の中に革命は生まれない。お客様が喜ぶための非常識にチャレンジする」



これは現在は会長になった林田氏が今でも好んで使う言葉である。



社内イベントで失敗しても、社長はケラケラ笑って見守っていた。



チャレンジするから失敗もする。失敗がないと成長もない。むしろ嫌ったのは、失敗を恐れてチャレンジしないことだった。



業界常識からから見ればアホなことをしながら、人間関係を作り上げて行った。



人間関係が出来上がってくると顔写真を撮らせてもらって、それをファイルにして顧客の顔と名前が分かるリストにした。それを新人に見せて教育した。



スタート当初のべラジオにはカネはなかったが、何事もチャレンジできる空気だけは早くからあった。挑戦し続けることがべラジオの原動力といっても過言ではない。



べラジオ初期メンバーだった蔀(しとみ)晋輔さんが、このほど独立して興した会社がシナジーアークだ。



この会社の目的は「事例の共有による相乗効果とネットワークで人と組織を活性化する」こと。べラジオやこれまで勤めたホールで学んだ事例を共有しながら組織を強くしていく。



「イベントなどを企画すると、すぐに費用対効果の話になる。議論の結果費用対効果を考え大概がやらない。べラジオは費用対効果より『おもろかったらいい』。思い出を作って団結力を高めることを求めた。それがチーム力につながる」(蔀社長)



中小ホールが元気になるノウハウ、ヒントがここにありそうだ。





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