パチンコ日報

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パチンコに別れを告げた作家とスロットに夢を見る脚本家

職業は作家。ジャンルは推理小説を得意としている。緻密な構成と鋭い人間観察に基づいた筆致で、読者を物語の渦に引き込むことに定評がある。過去には権威ある文学賞を獲ったこともある。受賞作はその後、天海祐希主演によりフジテレビ系列でドラマ化された。映像化によってさらに評価が高まり、作家としての地位を不動のものとした。

そんな作家にはもうひとつの顔がある。実はパチンコ好きという一面である。特にかつては執筆活動の合間を縫ってホールに通い詰めるほどの熱中ぶりだった。

その肩書が幸いしたのか、ある時期にはパチンコメーカーの企画会議に招かれるまでになった。そこでは、機種の演出案に意見を述べたり、と作家ならではの視点を発揮していた。

当然のごとく、パチンコを題材にした推理小説を書きたいという欲求も湧いてきた。ちょうどその頃、ある業界関係者から勧められたのが「パチンコ日報」だった。業界誌の公式サイトの表向きの記事では得られない、裏事情、業界内の対立、メーカーとホールとの微妙な関係、さらに客離れへの危機感など、実に生々しくリアルな裏話が詰まっていた。

作家としては、まさに宝の山であった。日報の内容は小説のネタ帳にもなり得る豊富な素材を提供していた。それ以来、毎朝のルーティンに「パチンコ日報」の閲覧が加わるようになった。

嵌っていた頃の勝率は悪くなかった。体感的には、10回パチンコに行けば4回は勝つことができた。そうした手応えが、さらにパチンコへの熱を燃え上がらせたのだろう。しかし、業界の凋落と共に潮目が変わった。10回行って10回すべて負ける、という状況が続いた。気がつけば、パチンコそのものに対する熱意が急速に冷めていった。スパッと足を洗い、それ以来、一切パチンコに触れることもなくなった。

そして何より驚いたのは、パチンコを止めただけで、おカネが減らなくなったという事実だった。パチンコと縁を切った途端、生活にゆとりが生まれた。もはや自らを“元パチンコ愛好家”と認識するようになった作家にとって、以前ほどの熱量でパチンコを題材にした小説を書く気力はなくなっていた。

「今さらパチンコの小説を書いたところで、売れないだろう」と自嘲気味に語るようになったのもそのころである。

一方、ある脚本家が別の視点でパチンコ――正確にはスロットをテーマにした映像作品を企画していた。彼は、現在の若者世代がパチンコに抱く“ダサい”というイメージを強く意識していた。そのため、主題はあくまでスロットにした。しかも主人公は若い女性である。

主人公は独自の手法でスロットの攻略法を編み出し、誰にも知られず、着実に稼いでいく。生活費も夢もすべてスロットで賄っていく姿が一つの見どころだ。

しかし、物語は次第に暗転する。ある男との出会いが、彼女の歯車を狂わせる。スロットで稼いだおカネを彼に貢ぎ、愛と暴力の泥沼に落ちていく。最終的に破滅に至るストーリー展開だという。脚本家によれば、同世代の女性は、こうした“転落する女性”の物語に強く共感し、興味を持つのだという。

先述の作家とこの脚本家には全く接点はない。しかし、2人がコラボすれば意外にも面白い作品が生まれるのではないかという期待が湧く。

しかもこの企画は地上波放送ではなく、動画配信サービス向けである。完成すれば、日本のスロット文化が、ネットを通じて世界へと発信されることになる。奇しくも、かつてパチンコに夢中になった作家の“熱”は、時を越えて、映像という形で新たな表現者に受け継がれていくのかもしれない。

実現させるためには、2人を知る編集者が縁を取り持つしかない。