パチンコ日報

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平成5年からの温故知新



今から25年前の平成5年(1993年)にゴールデンタイムに放送されたパチンコ番組だ。

平成5年といえば、平成元年にプリペイドカード事業スタートするも、遅々として進まない普及に業を煮やした警察庁が、確変搭載を認めたCR機がやっと登場した翌年でもあった。CR機が普及するのに伴い、プリペイドカードの組織的な偽造が蔓延し、カード会社2社合わせると1000億近い偽造被害を受け、社会問題になるのは、その1年後の平成6年。

温故知新とはよくいったもので、業界が輝いていた時代を振り返ることで、その当時の良かったことを見直し、それを取り入れることが必要になる。

番組を検証してみると、朝から連日長蛇の列ができるホールを紹介している。開店から2分も経つとあちこちの台が大当たりしている。当時は当たり前のように行われたモーニングサービスである。

今、各ホールの店長が一番欲しがっている朝一の集客方法である。さすがに、これは禁じ手で今さら使うことはできない。モーニングの延長線上に遠隔操作があったわけだが、この年全国初の遠隔操作が発覚して、営業許可取り消しとなっている。

これは朝一集客のモーニングは参考にはならなかったが、番組で紹介されている店舗はいずれも賑わっている。あれが普通の光景だった。しかも、当時は4円しかない時代なのだからなおさら羨ましく映る。

当時は40玉交換で、一般景品は4円等価だったが、換金は2.5円時代。従って、換金するよりも品物と交換する方が断然お得な時代だった。当時は一般景品を特売にしたり、一般景品の品揃えがスーパーマーケット並みのホールも結構あった。肉や魚から野菜まで取り揃え、パチンコで勝った玉で、主婦は夕食の食材と交換していた。

情報公開は黎明期だった。大当たりするとまだスタート札を従業員が指している時代だ。情報公開の名の下に、ダイコク電機のデータロボも出始めたばかり。一般的にはせいぜい5日分ぐらいの大当たり回数ぐらいしか公開していなかった。

サラリーマンの会社帰りの楽しみがパチンコだった。そんなサラリーマンのために夕刊紙を無料配布しているホールもあった。サラリーマンがいればOLもいた。

40玉交換で情報公開もほどほど、という営業スタイルが一番よかった。何でもやり過ぎはダメ、ということを過去の番組から学びたい。

この番組に登場していたホールの25年後の今は1000台あった台数を700台まで縮小した。1円主体の営業で1000台を賄うことはできない。スーパーマーケット並みの生鮮食品の品揃えを誇っていた景品コーナーは、換金等価になってから一般景品が出なくなり、生鮮品は扱わなくなった。

そして、この春先に閉店した。

換金等価が一般ユーザーを駆逐し、1パチ営業がホール経営を圧迫している。

シュリンクする市場にあって機械代だけが高騰する歪な産業構造では、高コスト体質から脱却できない。

メーカーも儲かり過ぎて従業員が増えたことで組織が大きくなり過ぎた。上場したことで売り上げは落とせない。図体がでかくなった組織を維持するためにメーカー自身も高コスト体質になっている。

ホールからすればどうせダメな機械なら同じ予算で2台買えるぐらいの値段にすれば、ホールの不満も多少は緩和される。

業界の高コスト体質の原因は、機械価格を握るメーカーから改善しなければならない。


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