地方から東京へ進出するということは、それだけ力と勢いがあるホール企業である。
「自分の縄張りに県外から入ってこられたら、そりゃ、面白くないですよ。都内は確かに、地方に比べたらいいから、東京へ進出してくるんでしょうが、中にはトラブルになっているケースもありますよ」と話すのは都内ホールの営業本部長。
業界が自由競争へ舵を切ったのは、1992年頃だった。
福岡県で台数規制が撤廃され、1200台のディズニー清川店がオープンする。建築計画での当初は500台規制があったため、500台のツイン店舗にする予定だったが、途中で台数規制が撤廃されたため、計画を変更した結果、1200台の日本最大級のホールがオープンする。
あまりにも店内が広いために、従業員にローラースケートを履かせたり、店内にDJブースを設けたり、ロンドンバスの飲食店を併設したり、話題満載のホールだったため、NHKが夜9時のニュースでも取り上げたほどだった。
組合の自主規制は談合に当たる可能性も高かったことから、警察が自主規制に口を挟まなくなったことから、自由競争が加速し、台数規制のほか、店休日、交換率などが撤廃されていく。
当時は店舗数も右肩上がりで増えていた時代で、管理できない警察としては、弱肉強食の自由競争で店舗数が自然淘汰されるのを狙っていたのではないかとも思える。ま、実際ピーク時の1万8000軒から1万1000軒まで減ったのだから。
前出の営業本部長は、県外からの進出を受けて立つ立場。
「ホールの大型化でし烈な戦いが続いている。台数が決まっていた時代の方が均衡が保たれていた。組合が秩序を作ってやっていた時代が儲かっていた。店休日があったから、お客さんを回すことができた」と昔を懐かしむ。
イベントに関しては警察の指導で禁止になったが、むしろ、この本部長はイベント禁止を歓迎する。
「人さえ集まる場所なら、イベントが禁止になって、イベントの出費や広告費が抑えられるようになった。健全営業できるようになった」
そういう立地を求めて、地方から進出するのだろう。
今さら、自主規制時代に戻すことはできないかも知れないが、お互いにメリットがある店休日の復活ぐらいから単組で始めたらいいのではないだろうか。

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