パチンコ日報

ニュースにならないニュースの宝庫 

自主規制復活の手始めは店休日から

8月初旬、大阪のホール企業が相次いで都内にホールを新規出店させた。うち、1店舗は初の東京進出となった。



地方から東京へ進出するということは、それだけ力と勢いがあるホール企業である。



「自分の縄張りに県外から入ってこられたら、そりゃ、面白くないですよ。都内は確かに、地方に比べたらいいから、東京へ進出してくるんでしょうが、中にはトラブルになっているケースもありますよ」と話すのは都内ホールの営業本部長。



業界が自由競争へ舵を切ったのは、1992年頃だった。



福岡県で台数規制が撤廃され、1200台のディズニー清川店がオープンする。建築計画での当初は500台規制があったため、500台のツイン店舗にする予定だったが、途中で台数規制が撤廃されたため、計画を変更した結果、1200台の日本最大級のホールがオープンする。



あまりにも店内が広いために、従業員にローラースケートを履かせたり、店内にDJブースを設けたり、ロンドンバスの飲食店を併設したり、話題満載のホールだったため、NHKが夜9時のニュースでも取り上げたほどだった。



組合の自主規制は談合に当たる可能性も高かったことから、警察が自主規制に口を挟まなくなったことから、自由競争が加速し、台数規制のほか、店休日、交換率などが撤廃されていく。



当時は店舗数も右肩上がりで増えていた時代で、管理できない警察としては、弱肉強食の自由競争で店舗数が自然淘汰されるのを狙っていたのではないかとも思える。ま、実際ピーク時の1万8000軒から1万1000軒まで減ったのだから。



前出の営業本部長は、県外からの進出を受けて立つ立場。



「ホールの大型化でし烈な戦いが続いている。台数が決まっていた時代の方が均衡が保たれていた。組合が秩序を作ってやっていた時代が儲かっていた。店休日があったから、お客さんを回すことができた」と昔を懐かしむ。



イベントに関しては警察の指導で禁止になったが、むしろ、この本部長はイベント禁止を歓迎する。



「人さえ集まる場所なら、イベントが禁止になって、イベントの出費や広告費が抑えられるようになった。健全営業できるようになった」



そういう立地を求めて、地方から進出するのだろう。



今さら、自主規制時代に戻すことはできないかも知れないが、お互いにメリットがある店休日の復活ぐらいから単組で始めたらいいのではないだろうか。





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おカネがかかり過ぎて、せっかくの新規ファン獲得のチャンスを逃す

パチンコAKB48バラの儀式が8月18日より解禁となった。



前日の日曜日に予告チラシを入れたホールに一本の電話がかかってきた。



「AKBの大ファンなんですが、どうやったら打てるんでしょうか?」



話を聞いてみると18歳になってようやくパチンコを打てる年齢になった、ということだった。



対応に出た店長は「朝一番に来て、台が空いていたら打てますよ」と一からパチンコのことを教えた。



「初めてで、勝てますか?」



素朴な疑問だ。パチンコは運なので技量に差はなく初心者でもマニアでも大当たりを引くチャンスは平等にあるが、この質問には店長も窮した。



内心、こういうお客さんにはビギナーズラックで勝って欲しい、と思った。



「おカネはどれぐらい必要ですか?」



これもぐさり、と来る質問だった。4円コーナーに導入しているので1時間で2万円が溶けて行く光景がよぎった。こういうお客さんのためにも1円コーナーに導入しなければならない機種でもある。



「AKBのグッズは出ていますか?」



矢継ぎ早に質問してきた後で、「明日、朝行って並びます!」と元気に電話を切った。



18日、朝。



件の青年の姿はホールにあった。初めてパチンコ店に入ったことがすぐに分かるほど、オロオロしていた。顔もあどけなさが残っている。



店長は従業員に指示して、まず、年齢確認をさせた。



すると、本当に18歳になったばかりだった。



「何か分からないことがあったら、何でも聞いてくださいね」というと、待ってましたといわんばかりに質問攻勢となった。玉の借り方から始まって、打ち方、狙い方、ゲーム説明までを懇切丁寧に教えた。



時間にして40分ほどプレイして帰っていった。



勝っていれば、声も掛けたかったが、声を掛ける雰囲気ではなかった。



店長は思った。



「せっかく、新規ファンを獲得できるチャンスだったのに、おそらく1万円以上は使っているであろう、遊びを勧めら れない。昔は、4円でも1000円もあれば十分遊べたから、高校生が私服に着替えて遊びに来た。今は大人でも4円ではなかなか遊べない。ここに今、パチンコが抱える大きな問題点がある」



その日の夜、再び電話が入った。



AKBを打った18歳の青年からだった。



「おカネが全部尽きました。でも、楽しかった。どうやったら勝てるんですか?」



店長は機械が内部抽選方式になっている仕組みを説明した後、「1円パチンコで導入しているホールもあるので、そちらで打てばあまりおカネを使わなくても済む」とアドバイスして電話を切った。



大勝ちさせるために、深い嵌りを作るようになる。回るようにしても1個返しでは玉持ちが悪すぎて遊べたものではない。



ゆでガエル理論ではないが、遊技といいながら、実態はギャンブル化していることに気づかなくなる。





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ジャグラーの販売方法​が5号機問題からパチ​スロ業界を救った

ジャグラーの販売元である北電子は決して無理に多く売ろうとはしない。



基本的にジャグラーは年間7、8万台前後の販売台数に抑えている。しかも、ジャグラーのメインであるBIGの獲得枚数が325枚のアイム系は数年に1回しかリリースしない。



ジャグラーは導入してから認定も含めると、ほぼ丸6年使えるので、ホール側はジャグラーの粗利を多く取ることなく大切に使おうと心がける。



ホール側がジャグラーを大切に使うので、ジャグラーのお客様は年々増え、ジャグラーという機械のブランド力が強いものになっていく。



ジャグラーに関してはホール側とお客様、メーカー側は良い関係が出来あがっている。パイオニアのハナハナシリーズもジャグラーの販売方法に近く、ハナハナシリーズも支持されている。



ジャグラーの販売方法に対して、よく比較されるパチンコの海物語の販売方法は対極的だ。



海物語は売れるだけ売る。台数もさることながら、販売スパンも年々短くなり、年間に海のタイトル名だけでも、覚えるのが困難なぐらいだ。



次から次へと新しい海物語がリリースされるので、設置期間が短くなり、機械代なども考えると、大切に使おうにも使えない。



海物語のハイペースな入れ替えは年配のお客様もついていけないでいるように見える。せっかく慣れた海物語が早々に次の海物語に入れ替わってしまう。このタイミングでパチンコから離れたお客様がたくさんいると思う。



だから、海物語のシェアは年々落ちている。数年に1回のペースの時はホール側が海物語を大切に使い、今のジャグラーのように良い関係を保っていて、海物語にお客様もたくさん付いていた。



海物語が良かった時はパチンコ自体も全般的に良かった時代でもあった。



このハイペースな販売方法は海物語だけではない。ヱヴァンゲリヲンシリーズはパチンコ、パチスロともに販売スパンが短く、ヱヴァンゲリヲンシリーズがリリースされても、新鮮さが薄れ、あまり集客しなくなっていった。



逆にパチスロの北斗の拳は販売スパンを短くしない。



パチスロ北斗の拳をホール側は長くメイン機として大切に使うので、今でもパチスロ北斗の拳はとても良いコンテンツとして保っている。



今年の大ヒット機種である2月末にリリースされたアナザーゴッドハーデスですが、まだリリース間もないにも関わらず、年末には次のゴッドがリリースされるのではないかと言われている。



大ヒット機種であるアナザーゴッドハーデスをメイン機として大切に使おうにも、数ヶ月後には新しいゴッドのリリースの噂があるので、大切に使うホールが少なくなり、アナザーゴッドハーデス自体の稼働も急激な落ち込みになっている。



いくらなんでも、1年も経たないでのゴッドシリーズのリリースは噂だけであってほしいものである。コンテンツを育てるためには、ホールに大切に使ってもらわなければならないが、メーカー側が販売スパンを短くすれば、大切に使うことが難しい。



ジャグラーを育てた北電子の販売方法を他のメーカーも取り入れてほしいと思っています。





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現場で社長も汗を流すのはべラジオの社風だった

8月10日付のスロキチさんの「繁盛店の社長とは」という記事は、久しぶりに「いいね」が100越えして、103となった。



東京・東十条に新規オープンした「べラジオ」へ視察に行った時に、社長が玉運びに汗を流している姿を見て、べラジオが急成長する理由と繁盛店になる、と確信した、という内容だった。



ここは、やはり、玉運びのルーツを求めて、垣内社長に直接取材するのが早い。



アポを入れると快諾してもらえた。



東十条店の応援から帰ったばかりの垣内社長を本社に尋ねた。



べラジオの前身である「弁天センター」にアルバイトで入ったのが1999年。2000年にベラジオとして再スタートを切った時の初期メンバーの一人が26歳の垣内青年だった。



班長、副主任を3~4年経験した後、5年目で堺店の店長になる。これを皮切りに布施の店長を経験した後、営業本部長に。



そして、2007年に常務取締役として役員になる。



青天の霹靂は2009年10月に起きる。林田社長から社長の辞令をもらう。



「まさか、まさか、びっくりしました。常務からいきなり社長ですからね。社長なんて毛頭ありませんでした。スキルのある人は他にもいましたからね。ただ、ウィルの部分で任せられたのだと思います。林田キャップの分身という自負だけはありました」



林田イズムの体現者が垣内社長だったようで、物事の優先順位、価値観を徹底的に叩き込まれた。



「キャップも現場で汗をかく人でしたから、われわれはそれを受け継いでいるだけです。われわれも役職者時代からグランドオープン時に人が足りないといえば、現場に入っていました」



べラジオの基本姿勢は現場第一主義。すべての答えは現場にある。本部の人間も現場周りをすることは、社風でもある。



東京初進出は悲願でもあった。用地探しで2年かかった。立地と家賃が合う物件が東十条だった。何が何でも絶対成功させなければならない。その意気込みがドアコールだった。これは垣内社長も先頭に立って行った。



「東十条地域は下町情緒溢れる町で、ドアコールに行った時に、おばあちゃんからたい焼きやジュースを頂きました。地元の人からも『こんな元気なパチンコ屋見たことがない。絶対行くわ』という声もたくさん頂き、自分自身の自信にもつながった。関西人も関東人も同じ人間という部分で、共感する店を作ったら成功する、と実感しました」



ところで、林田イズムの優先順位とは何か?



「1番は人です。数字や業績のことでキャップから叱られたことはありませんが、人間関係ではしょっちゅう怒られました。驕りと慢心を一番嫌います。役職が上がると現場との関わりが薄くなって行くことを嫌います。現場との信頼関係が一番うるさいです。部下との飲み会でも、役職者から酒を注ぎに行かないと怒られました。本部は1円の利益も生まない。すべては現場にある、という意味はここなんです」



グランドオープン時に玉箱を運んでいたのは垣内社長だけでなく、専務や営業本部長、人事部長も汗を流していた。



「オープンまで社員は連日夜遅くまで準備に取り掛かっていたので睡眠不足だった。疲れ切っている姿では本番で笑顔も出ない。そこで我々が現場に入るから、と1日休めるようにしたわけです。1日休んだら表情も元気さを取り戻しました」



これで、社長自らも現場で汗を流すべラジオの社風が分かってきた。利益を作る現場が気持ちよく働ける環境づくりを率先して行う。



べラジオは役員に一切身内を入れない徹底ぶりから、将来の夢を「役員」とはっきり口に出す店長や社員が多い、という。



2016年4月から新卒採用も開始する。



東十条店で21店舗目となったべラジオ。2年後の3月までに30店舗を目指す。





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マイク放送でお客さんが一斉に動いた

年齢は60代。おばあちゃんと呼ぶにはまだ早い。ま、おばちゃんだろう。



この年配女性客がホールで財布を落とした。



「財布がない!」と大騒ぎしたため、従業員も一斉に探し始めた。床をくまなく見たがどこにも財布らしきものは見当たらない。女子従業員は女子トイレにまで探し回った。



店長の判断で店内放送を入れた。



「お客様が財布を落とされました。足元をもう一度ご確認ください」



その放送を聞いて「ここにある財布ではないでしょうかね」と申し出てくれたお客さんが現れた。



その財布は申し出てくれたお客さんの隣の席の台の上皿に置かれていた。



「これです。ありがとうございます」



この話、女性客が財布を落としたのではなく、財布を上皿に置いたまま、トイレに行って戻ってきたのはいいが、自分が取っていた台が分からなくなっただけだった。



台取をするために財布を置いていた、ということは中身はたいした金額は入れていなかった。



店長は財布が無事見つかったことは嬉しかったのだが、それ以上にお客さんも一緒になって一生懸命探してくれている姿を見て感動した。



女性客は自分が忘れていたことにただただ恐縮するばかりだった。



「店長、すいませんが無事見つかったことを放送していただけませんか」



「もちろんですとも」



無事見つかったことも店内放送した。



マイク放送一つでお客さんが一斉に動いた事例としてこんなこともあった。



20年ほど前、北関東の郊外店でのできごとだった。



近隣のホールで車上狙いが発生している、との情報が入った。とっさに店長はマイクを握った。



「隣のホールで車上荒らしが発ししました。今一度車内に貴重品などを置いていないかご確認ください」



300台のホールで客は120人ほど入っていた。



すると、その放送を聞いて約半数の客がホールを出て、自分の車を確認しに行った。



財布は肌身離さず持っているだろうが、貴重品らしきものを車の中に置きっぱなしにしている客がそれぐらい多かった、ということだろう。



マイク放送一つでお客さんが一斉に動くというエピソードはこれだけに止まらないだろう。



もっとすごいエピソードを持っている人は、必ずいるはずだ。



エピソードをお持ちの方は、業界の情報共有のために、ぜひ、投稿をお願いします。







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