この事例をみれば、ホールをダメにする経営者の姿が浮き彫りになってくる。
創業社長がパチンコ店を始めたのは昭和40年代。フィーバー特需前からの業界参入だった。私生活でも慎ましい生活をしていた。
健康を気遣い酒、たばこはやらなかった。うどんも素うどんを好んだように、暴飲暴食をすることもなかった。
銀座や赤坂の高級クラブを飲み歩くこともなかった。会社で行われる忘年会、新年会は最初の乾杯の時まで。酒席を好まないので、す~と姿を消した。私生活で贅沢をすることもなかった。しかし、ケチではなかった。商売では投資すべきところには、大きく投資した。
店舗展開も堅実で拡大路線には走らなかった。自分の目が届くエリアでの出店に拘り、全店舗を回ることは日課だった。
特にチェックしたのがホールの入口とトイレだった。ホールの第一印象がここで決まるからだ。掃除を怠っていようものなら、店長に雷を落とした。
店の清潔感だけではない。それは従業員の身だしなみにも厳しかった。ネクタイが曲がっていたり、ひげの剃り残しでもあろうものなら、「今すぐちゃんとせい!」と事務所に大声が轟いた。
不良客に対してもオーナー自らが率先して追い出した。足を組んで隣の客に迷惑をかけるような姿勢の客にも自らが注意した。
清潔感の次に重視したのが稼働だった。40個交換時代は16割営業ギリギリの薄利多売を実践した。従って出し過ぎて怒られることはなかったが、予定した割数に達していないことの方を叱った。
出してお客が逃げることはないが、出なければ客足は潮が引くようにいなくなるからだ。
病気になっても日課の店舗回りは欠かすことはなく、店長に檄を飛ばし続けた。
初代が亡くなり、経営は2代目へと引き継がれた。子供のころから何不自由なく育てられたボンボンだった。
当初は頑張ろうとしたが、持続しなかった。初代のように店を回ることはまずなかった。
自分が口を出すと「社員が育たない」というのが店を回らない理由だった。
店だけでなく、やがては会社へも姿を見せなくなった。
2代目社長の税金もかかるので給料は少なめに取っていたが、その分、経費を湯水のように使った。社長だから会社のおカネを自由に使うのは当たり前、という発想だった。
店に顔を出さない、会社のおカネは使いたい放題…初代とは真逆の行動を取った。会社は99.9%トップで決まる、といわれているように、こんなトップで会社が成り立つわけもない。
先代が社長の時は稼働を重視したので、地域一番店を多く抱えていたが、見る見る稼働が落ちて、二進も三進もいかない状態に追い込まれた。
そんな社長の姿を見ていると社員のモチベーションも上がるはずもなく、優秀な社員から辞めていった。
人材も育たず、最後は店を切り売りして行った。それでも借金を完済することはできなかった。
2世でも頑張っている経営者は、まず、現場によく足を運んでいる。お客さんの表情を見ている。機械も営業マンの口車に乗せられることなく、自分で試打して吟味している。
自分の息子だからという理由だけで経営をバトンタッチするのが、この業界の慣習である。
能力のある社員に事業継承しないと、先代が築き上げたものをすべて失ってしまう。

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