元々は欧米から発生した考え方で、日本では1982年(昭和57年)に山形県金山町が情報公開条例を制定したのが始まりだった。
その後、バブル崩壊を契機に、消費者や利用者、投資家などの利害関係者が不利益を被らないように、情報を公開する機運が一気に加速した。
パチンコ業界でもディスクローズを錦の御旗に、ホールコンメーカーから遊技機のデータを遊技客に公開する情報公開端末の第1号が発売されたのは91年10月のことだった。
発売当初はホール側も機械のデータを公開することには消極的だったが、情報公開機器を複数のメーカーが発売するようになると、遊技客に対する当然のサービス施設としての位置づけから、それが当たり前となった。
これに押しボタンメーカーがより詳細なデータを閲覧できる機能を搭載した製品開発にしのぎを削り、遊技機は丸裸の状態になってきた。
アメリカ・ラスベガスでVIP待遇を受けていた業界関係者は、もっぱらルーレットを主戦場としていた。ルーレットで勝つためにまず、覚えたことがルーレットの1~36の数字の順番と位置だった。
そして、玉が落ちる場所を右か左か分け、さらにそれを3つのブロックに分け、落ちる位置を6分割した。
後は、ディーラーの指と盤面を回すスピードの癖を読んでいくと、玉が落ちるブロックの予測が付くようになった。
そのブロックにチップを賭けていくので、勝率が格段に上がった。
1週間の滞在で1000万円以上勝てるようになった。
ルーレットには数字と数字の間の仕切りがある。
欧米は高く、韓国は低い。
高いと玉が暴れないが、低いと暴れるので、韓国ではルーレットはやらない、という。
何事も勝とうと思えば、そこまで研究すると勝率はアップする。
話をパチンコ業界に戻す。
最近のパチンコ業界の客離れについて、このデータ公開が元凶だと指摘するのは業界歴40年のベテラン関係者。
「昔の現金機時代の機械は1/200ぐらいの確率でソフトの波も比較的簡単に読めた。昔のプロは打ち込んだ台だけをチェックして、沈んだ機械は必ず浮き上がると読んでいた。翌日は朝から並んで打ち込んだ台で勝っていた。勝つ客の顔ぶれはいつも一緒だった」
今の機械は昔のように単純ではなくなったが、それをサポートしているのが詳細情報が分かる押しボタンや情報公開機器だ。
「詳細なデータを分析していけば、すべての答えが出る。当たりそうな台はプロやセミプロが食い散らかし、スカの台しか残っていない。今はお年寄りでもデータをチェックするので、そんなスカの台では誰も打たない。データ公開はこのままではパチンコを滅ぼす。データは必要最小限でとどめるべきだ。データ公開が客離れにつながっていることに誰も気づいていない」と警鐘を鳴らす。
さらに、こんなことも付け加える。
「15個戻しのときは1回入賞すると60円戻ってきたが、今は12円しか戻ってこない。この差額が10万円も大勝するような機械を生んだわけだが、ギャンブルをしたいのなら、掛け金の制限もない公営ギャンブルへ行けばいい。パチンコは遊技であって、ギャンブルではないはずなのだから、機械のスペックを現金機時代に戻すべき」
パチンコ機のギャンブル性能が飛躍的にアップしたのは、プリペイドカードが普及しない苦肉の策だった。
カード普及と引き換えにCR機には確変が認められた。
CR機はプリペイドカードに失敗した警察行政が産んだ鬼っ子でもある。

※コメントには必ずハンドルネームを入れてください。コメントがエントリーになる場合もあります。