パチンコ日報

ニュースにならないニュースの宝庫 

車でいえばエンジンを外注に出すPメーカー

産経新聞にメーカーの人には是非読んでほしい記事が掲載されていた。

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要約する。

トヨタがモータリゼーションの元年として昭和41年に発売した初代カローラ。トヨタを代名詞ともなった大衆車だが、その開発過程では、数々の秘話がある。

当初は1000CCで開発していたが、土壇場で変更したのはライバルとして切磋琢磨してきた日産のサニーの存在があった。車名公募に800万通もの応募が寄せられたことから、差別化を図るためにプラス100CCの1100CCでサニーを上回る戦略に出た。

11月発売予定の8カ月前の3月に設計変更が決定した。

たかが100CCのボアアップだが、問題はシリンダーを大きくすれば済む問題ではなかった。トランスミッションの耐久性能などの見直しも行わなければなかった。

この時、それまで主流だったコラムシフトからフロアシフトにチェンジ。併せて、当時はフォードの小型車の一部にしか採用されていなかった軽量・省スペースのサスペンションも導入した。

なにせ、初めてのものを作るのだから、開発陣の苦労には計り知れないものがあった。

この時、開発陣に檄を飛ばしたのが当時は副社長でのちに社長となる豊田英二氏だった。

「エンジンと同じくらい重要な部品だ。外注はまかりならん」と自社開発に拘った。

トヨタが世界的な企業に成長したのは、自社開発の理念があったからこそ、量販型ハイブリット車の販売も世界に先駆けることができた。

一方のパチンコメーカーといえば、液晶という心臓部までを外注に丸投げしているケースが少なくない。これで胸を張ってメーカーといえるのだろうか。

メーカーが苦慮している点といえば、もう1000円、もう1000円とおカネをつぎ込ませる演出だろう。

加えて、値段の付け方も業界特有なところがある。

一般的には製造原価に適正利益を乗せて値段が決まるが、ちょっと違う。

「開発費が丸投げなのでコスト計算が単純。22~23万円で十分ペイできるのに、利益を相当乗せている」

今は40万円ぐらいで足並みを揃える。

パチンコ業界が不思議なことは、新台よりも中古価格が高くなること。ホールも元が取れるとなれば、中古機でも100万円の値段が付くことは昔からあった。

だから、メーカーにすれば、ホールは高くても買う、という概念がこびりついているので、値下げする発想は毛頭ない。

値段は、元が取れれば高くても買うのはいいが、心臓部を外注に丸投げしているようでは、斬新な発想の機械も生まれるわけがない。


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ユニクロのカシミアセーターに匹敵する遊技機開発を

来年4月から消費税が10%に引き上げられる。

庶民の給料が上がらない状態で消費税だけが上がれば、当然消費マインドは冷え込む。加えて、8%に比べ、10%は消費税の計算が簡単なために、余計消費が落ち込むことが懸念されている。

証券アナリストは「モノを大切に使うようになる。流行るのはリサイクルショップで新品を販売する業者は厳しくなる。吟味して本当に安くていいもの以外は売れない」と予測する。

ユニクロのカシミアセーターが大ヒットした。

カシミアはカシミアヤギの毛で織った織物で、毛質は細く、柔軟で独特のぬめりがある。保温性と保湿性に優れ、生産量が少ないため、高級素材の代表とされる。

繊維の宝石ともいわれ、希少性から高級品の代名詞ともなっている。一般的なカシミアセーターは2万円前後で、ブランド物になると5万円以上する。ユニクロはカシミア100%のセーターを7990円で提供したのだから売れて当然でもあった。1万円以下だからといって悪い品質ではない。

安くできる理由は世界最大級のカシミア専業工場と長期契約を結ぶことで品質の安定と低価格を実現した。

消費が低迷することが予測されているが、家電やバス・トイレ周りは、昔の商品よりも電気代や水道代がかからないように商品が相当改良されている。現行の製品を使うよりも電気代や水道代が安くなるにも関わらず、買い替えは需要は起こらない。衣料品と違ってエコタイプの最新家電は値段も張る。

10%時代は財布のひもが固くなるわけだが、では、パチンコ業界にはどのような影響を及ぼすのか?

「4円パチンコの支持がないのなら、4円を捨てることを考えて、1円主体にしなければダメ。国民の収入も上がらないのだから、1円で経営できるシステムを考えること。お客さんにはおカネを使わせない発想が必要になってくる」(証券アナリスト)

1パチコーナーは中古機で成り立っているわけで、機械代を大幅に下げないことには1パチコーナーに新台を導入することはできない。

メーカーは自社が生き残ることだけを考えているので、機械代を安くすることは考えにくい。

「メーカーはがん細胞と一緒で、業界が終われば、最後は自分たちも死ぬことになる。自分たちががん細胞と気づいた時に業界の展望が開ける」(同)

内心気づいているはずだが、そんなことはおくびにも出せない。

日工組は遊技客が手軽に安く安心して楽しめる多種多様な低射幸性遊技機を開発・設置する、と決議しているが、ホールに安く安心して設置できる遊技機開発に努める、という一文も加えるべきだ。


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復興途中の被災地で夜の娯楽はパチンコなのだが…

原発避難者からみたパチンコの光と影に対して、ハンドルネーム「あさきゆめみ」さんが、被災地のパチンコ事情を紹介する。

以下本文

自分はスロ専ですが、良い機会ですので、被災地のパチ事情をご紹介したいと思います。

今、岩手県沿岸の某市に働きに来ています。震災前は、市内に6軒のパチ屋がありましたが、津波で3軒が流され、未だに営業を再開していません。

岩手県の沿岸は娯楽も少なく、水産の町ということもあって、元々パチ人口の多いところです。そんな中、震災でパチ屋が半減した訳ですが、震災から2~3年は、被災しなかったパチ屋は大繁盛でした。

この記事にあるように義援金などが集まったこともあるのでしょうが、震災で多くの人が職を失い、船や漁具を流され、再就職のあてもないまま家でゴロゴロしていると喧嘩になるというのは、おそらく何処でもあった話なのでしょう。とにもかくにも多くの人が残り少ないパチ屋に集まったのですが、そうなると店も張りきって出玉を開放します。

自分も何度か、平常営業で設定6確定画面を見ましたし、随分と出している印象はありました。

3年過ぎて、就職事情が徐々に落ち着いてくると人が減り始めました。夕方にはほぼ満席だったものが、今では平日夕方の稼働は5割くらいでしょうか。

箱を持っている人はほとんどなく、自分も打ってみると挙動はどうみても設定1か2、良くて3といったところです。たまに箱を積んでいる人を見ると、GODと沖ドキのお客さんです。さもありなん。

5スロを入れている小さな店は1軒ありますが、大きな店は20スロだけです。その店はジャグラーが約1/3で残りはほとんどAT・ARTです。中でもGODと沖ドキが多く、稼働も良いのですが、みんな死にそうな顔で打っています。

最近の新台入れ替えの時に、新台全部がマイナスグラフだったのは驚きましたが、震災で流された他の3軒に申し訳ないと思わんのか、とツッコミを入れたくなりました。

一番大きな店でそのザマですから、他の2軒は推して知るべし、です。

そんな店に行かなければいい、と以前のエントリーにありましたが、一番近い近隣の店になると20㎞ほど離れています。東京-幕張間ぐらいでしょうか。しかも出玉事情は似たり寄ったりで、こうした沿岸の町ではパチ屋もレートも選択肢が極端に少ないのです。

今、被災地は復興の最中で、余所から働きに来ている人が大勢います。その人々はどこに住んでいるかと言えば、賃貸住宅は被災者で満杯ですから会社が借りたホテルや旅館などで、仕事が終わると夜はやることがありません。

単身、ホテルで寝泊まりする生活を何ヶ月もやっていると飲むかパチを打つかぐらいしかなくなってきます。特殊なお風呂など論外です。沿岸部にとって、パチは数少ない娯楽です。土日は盛岡や仙台に帰ってしまう人も多く、平日唯一の楽しみがパチという人も珍しくありません。

ですから、夕方のパチ屋はそれなりに人がいますけれども、ここ1年ぐらいの酷さは既に書いたとおりで、お世辞にも勝てる気がしません。それでも打つのは娯楽だからですが、娯楽に全財産をつぎ込む訳にもいきませんし、遊戯人口は減る一方です。

サラリーで打つ以上、負けても良い金額は自ずと決まっているのですから、搾り取るのが正しい営業とは思えないのですが、少なくともこの町では客を全員トバすつもりで営業しているとしか思えません。

お為ごかしに張ってある「適度に楽しむ遊びです」ポスターを見ると、何時もイラッとさせられます。「適度に遊べない機械を作って遊べない設定や釘にしておいてどの口がほざくのだ」と。

せめて「遊んだなあ」という気持ちだけは持って帰らせて欲しい。被災地に限らず、今のパチ事情では、切にそう願わずにはいられません。


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また来たいと思う居心地のいい店づくりで高稼働ホールへ

第6回ぱちんこ情熱リーグより

埼玉県富士見市の「アリーナふじみ野店」は、東武東上線のふじみ野駅西口から徒歩3分ほどの場所にある。総台数は244台の低貸し小型店舗だ。「また来たい」と思う店づくりで平日でも高稼働を誇っている。

ちなみに1パチは37600発(全国平均24360発)、10スロ15800枚(全国平均7452枚)という稼働データからも高稼働ぶりが伺える。

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また来たくなる取り組みは、1人でも多くのお客様と接する機会を作り出し、声掛けのきっかけをたくさん用意し、居心地のいい空間を作りだすことだ。それが自分たちの居場所として捉えてもらうことにもつながっている。

「来たくなる」ためには次の3つを大切に取り組んでいる。
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①快適さ(遊技に集中できる環境を作りだす)
・駐輪場の自転車整理=出し入れしやすいように
・店内で気づかない些細な場所の改善

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②親切さ(お客様目線で気づき、機転を利かせる)
・ペットボトルを開けられないお客様にスタッフから声を掛けてペットボトルを開ける
・外国人から英語で聞かれ、焦ったがスマホの翻訳機能を使って対応
・機種説明担当スタッフが自分のいいと思ってことを機種説明に書いたところ、その機種が好きなお客様とかなり濃い話ができた

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③驚き(期待以上のサービス提供)
・タスポ利用を頼まれるお客様の行動を先読みして、自販機の前で待つ
・お客様の似顔絵を描いて、「大切に飾るね」と喜ばれる
・来店が遠ざかっているお客様に手書きの手紙を出したところ「手紙ありがとう」と声を掛けてもらった
・色紙でサンタクロースを作って店内に飾っていたところ、欲しいというお客様にプレゼントしたところ、後日手作りの爪楊枝入れをお返しに貰う

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こうした取り組み馴染めないスタッフも中にはいる。

そこで副店長が課した課題が会員募集だった。積極性がなく、自信のないスタッフだったが、まず目標を設定し、仲間が協力することで目標を達成することができた。そのスタッフは必要とされるためには「目標を立て、皆に知ってもらい、諦めずに最後までやり通すこと」を学んだ。

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自発的になるスタッフが増えることで、多くの顧客接点が増えて行った。それがまた来たいにつながって行った。

同ホールには「とりあえずやってみよう」という合言葉がある。やってもいないのに「出来ない」を認めたくないためである。

人間、褒められるとその気になる。期待されると燃えてくる。認められると目標が達成できるようになる。

「もっと褒められたい、もっと認められたい。そのためには時間も忘れて夢中になる。小さなことを積み重ね多くの失敗もあった。何もしなければ失敗はしないが、何も生み出さない。これからもチャレンジし続ける。また来たくなる居心地のいい店とは、お客様の期待に応えた時に生まれる」(スタッフ)

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お客様とのつながりを積極的に増やし、「また来たいと思える居心地のいい店」とは、小型店舗の生き残り策としても大いに手本となる。


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原発避難者からみたパチンコの光と影

まもなく東日本大震災から丸5年が経過する。復興のニュースはあまり伝わってこないだけでなく、避難所の日常も報道されることはない。

特に原発避難民の実情を伝えるのは一部の週刊誌で、一般紙が取り上げることは少ない中、2014年7月26日付の産経新聞が「ベンツも売れる原発補償の現実」と題する記事を週刊新潮の記事を基に解説している。

それによると、原発避難民の補償金は2011年10月から、赤ちゃんからお年寄りまで、1人当たり月10万円あるいは12万円の精神的損害補償に加え、震災前の収入は自己申告すると全額補償されている。

60代男性のケースでは自宅や田畑の補償金が約2000万円。家族全体の精神的損害賠償金は70万円、震災前の収入補償と併せると一時は、月収が200万円になった。

なおかつ、家賃は無料、医療費は免除、所得税や地方税を支払う必要もない。

このため、原発避難者を受け入れている福島県の某市ではベンツやBMWの高級車が売れ、不動産売買が活発化し、その9割が避難者による需要だという。

この避難者の急増で好調なホールが福島にはあることも事実だ。

ことし80歳になるおばあちゃんも、原発避難民の一人だ。家は農家で8人暮らし。息子夫婦らと同居していた。精神的補償だけでも月額80万円入ってくる。

元々は農家だったが、避難先では何もすることがない。

そこでおばあちゃんが始めたのがパチンコだった。

「パチンコがあって本当に精神的に助けられた。何もすることもなく、家族が家で顔を突き合わせていたら、喧嘩しかしない。パチンコは1人で、行きたい時に行けるのがいい」とホール通いを始めて4年になる。

同じ地区から避難してきた知り合いの中には、カラオケ装置を買った人もいたが、毎日聞いてくれる人もいない家で歌うことに飽きてしまった、という。

補償金は毎月決まって入って来る。おカネの心配がいらないので、家族もおばあちゃんが毎日パチンコへ行くことを反対することもない。

毎日何もしなくてもおカネが入って来る生活に飽きたお孫さんは仕事を見つけて働くようになったが、おばあちゃんや息子夫婦は、農業しかしたことがない。新天地で農業をやる意欲はなかった。

避難先生活でパチンコがあったことは精神的な支えになった反面、おカネの大切さを忘れさせることにもなった。

「自分の小遣いでやるのなら、ちょっとでも増やしてやろうという気で打っていたのに、今は勝とうという気がなくなった。することがないから毎日行っているが、年間で200~300万円は使っている」

普段は酒を飲まなかった人が、お姉ちゃんのいる店へ飲みに行くことを覚え、家庭内では不協和音が起こっている。

人間、自分が汗水たらして稼いだおカネを使うのが一番幸せ、ということだ。


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