これまでのセブン機とは一線を画すゲーム性、視覚的に楽しめる液晶演出、そして確変による爆発的な出玉感――これらが相まって、ホールの稼働率は飛躍的に上昇。「黄門ちゃま」のヒットは、単なる人気機種の登場にとどまらず、パチンコ業界全体の潮目を変えるほどのインパクトを持っていた。実際、この年の遊技人口は2,930万人にまで達し、パチンコは“国民的娯楽”としての地位を盤石なものにする。
この年、世間でも様々な出来事があった。24時間運用の国際拠点として関西国際空港が開港し、家庭用ゲーム機では初代プレイステーションが発売。テレビドラマ『家なき子』の「同情するならカネをくれ」という名セリフは、社会現象にもなり、新語・流行語大賞の年間大賞に選ばれた。
時代の空気も手伝ってか、パチンコのファン層も広がっていた。芸能人やスポーツ選手の中にも愛好者が多く、彼らの間でパチンコが話題に上ることも珍しくなかった。その一人が、ジャニーズの人気グループ「少年隊」の錦織一清である。
彼がフジテレビの情報番組『ぽかぽか』にゲスト出演した際、過去にパチンコに夢中になっていたというエピソードを披露していた。
曰く、「手持ちのパッキーカードが最後になって、そろそろやめようかと思った。でもそのとき、店内でSMAPの『がんばりましょう』が流れてきた。歌詞を聞いてるうちに、よしもうひと勝負だ、と気合を入れ直したけど…やっぱり負けた」と笑いながら語っていた。
今では考えにくいが、かつてジャニーズのアイドルも普通にパチンコ店に足を運び、勝った負けたに一喜一憂していた時代があった。ホールが今ほど“特殊な空間”ではなく、一般大衆にとってもっと身近で、気軽に立ち寄れる娯楽の場だったからだ。
このように、1994年は業界の技術革新と社会のムードがうまく噛み合い、パチンコ業界がまさに黄金期へと突き進む入口となった年だった。「CR黄門ちゃま」の登場は、単なるヒット機種の登場ではなく、時代の熱を象徴する存在でもあったと言える。
あれから30年近く経った今、当時のような熱狂は影を潜めたかもしれない。それでも、あの年の空気感を知る者にとって、「黄門ちゃま」という名前は、パチンコの歴史を変えた金字塔として、今なお鮮明に記憶に刻まれているはずだ。
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