パチンコ日報

ニュースにならないニュースの宝庫 

退職金から50万円をパチンコ代にしたら1カ月も持たず

高給で知られていたキー局が早期退職を募集して話題になったのは去年3月のことだった。この応募に対して100人あまりが3月一杯で退社した。この中には有名なアナウンサー7人も含まれていたために、テレビ業界の行く末が案じられた。

58歳のAさんも早期退職に応じた一人だ。

通常の退職金+割り増し退職金1500万円が加算された。テレビ局時代にどの部署に所属していたかの情報は入っていないが、Aさんはパチンコ好きだった。

3月末で退職すると暫くはブラブラすることにした。奥さんと協議した結果、好きなパチンコに興じるために、退職金の中から、パチンコ手当50万円を手中にした。

50万円を軍資金に、サラリーマン時代は足が遠ざかっていたが、毎日のようにホールに通った。ところが、軍資金は1カ月余りで底を尽いてしまった。つまり毎日のように負け続けたということだ。単純計算すれば1日2万円負ければ、1カ月と持たない。

ギャンブルと違ってパチンコで、1日で50万円負けることはできない。しかし、1カ月で50万円が溶けたことに、虚しさとアホらしさが交錯して、パチンコを見るのも嫌になった。

50万円は趣味のバイクに使っておけば良かった、と後悔したがもう後の祭り。

Aさんはパチンコから決別するために、これまで利用していたホールのトイレも入らないことを決めた。

50万円負けたことをテレビ局時代の取引先の社長に話した。

すると、社長の奥さんの実家がホール経営していることを明かした。

社長は奥さんにAさんが50万円負けた話をしたところ、後日Aさんのケータイに社長の奥さんから電話が入った。

奥さんの実家は羽振りは良かった。親からは「パチンコはやるな。パチンコは経営するものでやるものではない」と教育を受けていた。親族一同パチンコはご法度だった。

で、奥さんのアドバイスがこれ。

「定年退職して、暇でやることがなくなってパチンコするようになる人が多いけど、退職金でパチンコをやっていた人の9割が来なくなる。1年かけて100万円負けた人も後悔している。年金の小遣いの範囲でやるぐらいに留めないとダメ」

Aさんがどんなホールで負けたのか? そこまでは分からない。家から近いという理由だけで店選びしていたら、そこが稼働も悪く、回らないようなホールだったとすれば、それはAさんの判断ミスだ。

勝てると思われるホールが近所になければ、足を延ばしてでも勝てそうなホールを選ばなければならない。

儲けるとはどういう意味か?

「儲」という字を書くと、あら不思議。字を離すと信者になった。つまり、儲けるということは「信者を増やすこと」。

信者を作るには「心」が必要になる。心のこもった出玉で感動を与えることである。皆このことを忘れ、店が生き残るために、無理な粗利を取り過ぎている結果が、せっかく退職金でパチンコを楽しもうとしたAさんのようなお客さんを取り逃がしている。


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新規客を増やすにはパチンコそのものが面白くないとダメ!

子供の頃に経験のないものは大人になっても経験しない

小学生から高校生までの18歳未満を対象に世の中の変化について5年ごとに調査している。第1回目は10年前だった。この世代は生まれた時からスマホやパソコン、ゲーム機がある環境で育っているわけだが、この中で公衆電話に関する設問がある。

公衆電話をさわったことがあるか?という問いに対して84%がない、と答えた。公衆電話ボックスの中に入ったことがあるか?に至っては、96%がない、と答えた。


スマホがあれば公衆電話にふれることもない。当然のことながら受話器が先か、おカネが先か、電話の掛け方さえ知らない。さらにはテレカも知らない。

アンケート調査の狙いは世代ギャップの研究で、上記の世代の5年ごとの変化を調べている。

第1回目に調査した18歳は、現在は28歳になっている。酒やたばこのように大人になって経験することも増えてくる。

大人になってからの設問では、パチンコや競馬などのギャンブル経験についての問いもある。

パチンコ・パチスロをやったことがある人は1.5%で、馬券を買ったことがある人は1%だった。で、10年前のプレステ世代は今でもゲームは続けていて、公衆電話にさわったことがない人は、今でも使うことはなかった。

つまり、子供の頃に経験したものは、継続しているが、パチンコやギャンブルなど子供の頃に経験できないものは、きっかけがなければ、ずっと経験することはない、ということが明らかになってきた。

コンビニ、ホールのトイレはついでのチャンス

コンビニがトイレを無料開放したのは「ついで買い」を狙ったものだった。当初は8割がトイレを借りたお礼としてついで買いしてくれたが、最近は4割まで減っている。街のインフラとしてトイレを貸しているが、水道代、トイレットペーパー代、掃除の手間を考えると、継続すべきか、という悩ましい問題に直面している。

トイレと言えばパチンコ店も無料開放しているようなものだ。

「スーパーはレジ前で最後のついで買いをするための工夫がある。パチンコ店はトイレだけ貸して、その後のパチンコへ誘導する工夫が足りない。パチンコをやりたくなる仕掛けがない。パチンコをどうやって経験するかは、トイレに来た時がチャンス」と指摘するのはシンクタンクの関係者。

そこで活用したいのがスマート遊技機だ。トイレの近くに無料体験コーナー作ることで、パチンコにふれてもらえるチャンスが訪れる、ということだ。

無料体験はピ-アーク銀座店で展開されていたが、これをできるだけ多くのホールがやることで、パチンコに触れる機会が増えるということだ。そのために簡単に設置できるスマート遊技機が威力を発揮する。

映える1コイン花束で復活した花屋

街の花屋が減っている。家で花を生ける習慣がなくなっていることがその理由。花がある生活には潤いが生まれる、ということで花束を1コインで買えるものを考案した花屋がある。それもSNS時代に対応できるカラフルな花束にしたところ、映え写真が撮れるということで売れ行きが好調だ。

「パチンコ店もまず外観が映えて、入口も映えて、さらに中にも映えるコーナーを作れば、店内まで誘導できる」(同)

映えるデザイン、SNS時代の設計、インスタホールといえば「キング観光サウザンド名古屋駅柳橋店」がある。

一番肝心なことは主役の遊技機が面白いかどうかだが、問題はここにある。無料体験でさわってみても、根本的な問題を解決しないと新規ユーザーは増えない。

セブン機で連チャンさせてもギャンブル志向のユーザーが悦ぶだけで、それはパチンコの楽しさ、面白さとは言わない。



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農業進出の具体事例 イチゴ栽培編

ホール企業が農業に参入するケースが増え始めた。公式リリースではマルハンが群馬県高崎市で野菜の水耕栽培と魚の養殖を組み合わせた循環型農業「アクアポニックス」により、今年10月からレタスやキャビアの生産を開始する。耕作放棄地の活用にもつながる。現地で雇用する障害者に作業を担ってもらい、持続可能な農業を目指す。

イチゴやメロンなどの付加価値の高い果物栽培を研究しているホール企業もあるようだが、10年以上前に「食の安全を通して地域社会に貢献したい」というオーナーの想いから農業法人を立ち上げ、イチゴ栽培と養鰻の2本立て、すでに市場に出荷しているホール企業もある。

このケースは既存の農業法人をM&Aするのではなく、素人集団がノウハウもないゼロからのスタートが興味深い。

イチゴ栽培を始めるにあたり、県の出先機関から指導を受けたり、直接イチゴ農家を訪ね栽培方法を聞いたりしたが、聞くのと実際にやるのは大違い。素人集団が始めたイチご栽培は失敗の連続だった。

1~2年目はイチゴと一緒にベビーリーフも栽培していた。特に葉物のベビーリーフは農薬を使わなかったので害虫に悩まされた。ベビーリーフの害虫被害がイチゴにまで及ぶようになり、ベビーリーフは打ち切る。その後ベビーリーフは青汁に商品化された。

3年目からは農薬を一切使わない方向を目指すも、出荷量が少なく、事業としては成り立たない状況が続いた。それでも無農薬で栽培する土台作りができてきた手ごたえを感じるようになった。

転機が訪れるのは5年目だった。外部から無農薬イチゴ栽培の経験者を招聘し、第2ラウンドがスタートする。

虫と病気。これは自然界を相手にしているのでどうしても避けられるものではない。世の中の菌をなくすことはできない。自然界を敵に回すのではなく味方につける。土の中の乳酸菌などの善玉菌を使って悪玉菌が暴れないように安定させるのが無農薬の特徴でもある。

年間の収穫量は2トンで推移していたが、無農薬農法のノウハウの成果が出てくると4トン、6トンと収穫量を増やしている。


普通に考えればハウスを増やせば収穫量は自ずと増えるが、ハウスの数は現状のままで収穫量を増やすことが重要である。

「苗を植える間隔。これは狭すぎても広すぎてもダメ。後は肥料のバランスと葉の状態を毎日管理することで収穫量を増やすことができるようになった」と担当者。ホール企業では常務の立場にありながら、農業では陣頭指揮を執る。

10年掛かって掴んだノウハウともいえる。農薬を使っていないので、洗わないでそのまま安心して食べられる。

一般的なイチゴは少し青く固い状態で出荷されるが、「完熟」をキーワードに市場を通さず、直接地元のスーパーやショッピングモールなどへ完熟状態で出荷されている。もちろん、ホールの景品としても人気となっている。



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パチンコよもやま雑景

海物語の連チャン機を業界関係者が打っていた。ラッキーなことに1000円で当たり1万発出た。

それを隣の席で打っていた爺さんが「俺が2万円入れたのに」「300回ぐらい回したのに」と煩く絡んできた。

「ごめんね。1000円で当たっちゃって」と軽くかわしたが、食事代や電車賃をたかってきたので、爺さんのカードに1000発分を入れてやった。するとその爺さんも万発出すことになったが、1000発分返すとも言わない。

翌日もそのホールへ行くと、爺さんも来ていた。

「昨日は3万発も出たよ」というだけでお礼もない。

打っているとその爺さんが缶コーヒーを買って差し入れてくれた。1000発もやったのに缶コーヒー1本かと内心腹が立った。その爺さんはマクドナルドのビーフシチューパイを食べながらマクドナルドのコーヒーを飲んでいるのが余計腹立たしかった。

「昨日は2万円以上負けたが、あれから5万円以上勝った。お兄ちゃんのお陰で30年以上ぶりに吉原のソープへ行ってきたよ。自分のおカネで稼いだカネじゃないから散財しちゃったよ」と自慢げに話す。

よく、話を聞いていると爺さんはその昔、ホールの店長をやっていた、という。パチンコ代は息子に貰っていることが分かった。

しかも、息子は、跡取りがいないホールオーナーの娘と結婚して、今は10店舗以上運営するチェーン店の社長に収まっている。

「今のパチンコは自分が店長をやっていた時代とは全然違う。コンピュータの確率なので勝つか負けるかは運次第。昨日はお兄ちゃんに玉を貰ってついていた。いいソープ嬢にも当たり本当に良かった。次はいつソープへ行けるか分からないよ」

年の割には性欲が旺盛な爺さんだった。

この爺さんはこの20年余りのパチンコの収支決算を毎日つけている、という。この間の負けは1億円以上。年間なら500万円も負けていることになる。そのカネも息子から貰っている小遣いか?

で、息子の会社は利益を上げているというのだが、その手法が定点観測でいくら負けていくら勝ったか。どのぐらい負けが込んだら来なくなるか、というギリギリのラインを把握している様子だ。

年末に閉め過ぎたホールには、客は正月には足を運ばないでガラガラになることは、よくあるケースだ。そんな状況をバカ出しもしないで放置しているから、運営が下手くそなホールはどんどん稼働が下がり、閉店に追い込まれていく。今、稼働が低迷しているホールは、取ることばかりに専念し過ぎているからそんなことになる。



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パチンコと聞いて思い浮かぶ音は何?

先日、パチンコ業界のサウンドロゴに関するエントリーを書いたがその続編である。

古くからあるサウンドロゴの代表的なものと言えば、ラッパのマークの大幸薬品の正露丸だろう。

ラッパのメロディの歴史は古く、昭和26年のラジオCMで流されたのが始まりでもある。原曲は陸軍の「食事」喇叭譜で、製品パッケージに描かれているラッパのマークを想起させるメロディとして採用された。以来、70年以上に亘って流されている。



2015年には「ラッパのメロディ」のサウンドロゴについて商標登録している。

正露丸を商品名に売り出している製薬メーカーは大幸薬品以外に、和泉薬品工業、富士薬品、大阪医薬品工業、本草、日本医薬品製造、キョクトウなどがある。

数ある正露丸のパッケージの中から、ラッパのマークとCMから流れるラッパのメロディをリンクしてもらい、その結果、大幸薬品の「正露丸」をしっかり覚えてもらう、という戦略はものの見事に的中している。

大幸薬品の営業マンもこのラッパのメロディのお陰で営業が非常にやりやすくなった、というし、ドラッグストアの正露丸のコーナーは、大幸薬品が過半数以上になっている。


ちなみに、商品名の正露丸の歴史はもっと古い。

日露戦争直前の明治35年に製造販売が開始されたことが始まり。 当時は「露(ロシア)を征する」の意味が込められ「忠勇征露丸」と表記されていた。 第二次大戦後、「征」から「正」へ変更され現在に至っている。

で、パチンコのサウンドロゴを考える場合、昔は軍艦マーチや「チン、ジャラ」といえばパチンコが思い浮かんだものだが、令和の時代に軍艦マーチを流すホールもなければ、「チン」という音が出るベルそのものが付いていない。軍艦マーチと「チン、ジャラ」は昭和のパチンコの音と言えるもので、現代では通用しなくなった。

パチンコの歌と言えば、間寛平の「開けチューリップ」だが、これも昭和の時代で、チューリップ台そのものがない。

今のパチンコを代表する音と言って思い浮かぶものがないのも、寂しくなったものだ。パチンコのサウンドロゴを考える場合、これがなければ始まらないが、なければ作り出すしかない。

ここは業界人が知恵を出し合ってパチンコ・スロットをイメージするサウンドロゴを一から創り上げるプロジェクトを立ち上げてもらいたいものだ。それとも、手っ取り早く軍艦マーチへ戻る?



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