
実際、カップヌードルは画期的な発明だが、袋麺が30円の時代にカップヌードルは100円。3倍以上の値段で販売されたこともあって、問屋が取り扱いを拒否。発売当初は、売れ行きは鈍かった。
スタートダッシュとは行かなかったカップヌードルの人気に火をつけるきっかけとなったのが、昭和46年11月、銀座の歩行者天国で販売したことだった。ターゲット層を歩きながら食べることに抵抗を感じない若者に絞った。
当時、銀座にオープンしたばかりのマクドナルドとの相乗効果で若者の支持を得るようになり、1日2万個も売れるようになり、人気に火が付き始めた。ダメ押しとなったのは翌年2月に起こったあさま山荘事件だった。マイナス15℃の寒さでは、弁当は凍って食べられない。警視庁はキッチンカーとカップヌードルを現地に運び、機動隊員にふるまった。
連合赤軍と機動隊の攻防はテレビで生中継され、90%近い視聴率で茶の間をくぎ付けにした。極寒の中で機動隊員が温かいカップヌードルを食べているシーンが流れ、「あれは何だ!」と問い合わせが殺到した。
カップヌードルが発売された当時は問屋が扱わなかったので、タクシー会社や警察、消防、病院など24時間勤務を要するところを売り先として販路を拡張していた。その関係から、警視庁は大量のカップヌードを持っていた。
いいものは値段が高くても買ってもらえるが、その価値を知らしめるためにカップヌードルは苦労した。
これをパチンコのインバウンドに置き換えてみよう。
遊技人口の減少を補うのはインバウンドであることは間違いないことだが、そのアピール方法に苦慮している。
そこで、カップヌードルが歩行者天国で認知されるようになったように、パチンコを歩行者天国に100台ぐらい並べて、外国人観光客にまず、打ってもらうことだ。3か国語ぐらい喋れる係員を付けてやり方を説明する。
ホールに足を踏み入れるには勇気がいるが、ここは屋外なので抵抗なく体験することができる。まず、パチンコがどういう遊びなのかを理解してもらう必要がある。そのためには屋内の会場よりも歩行者天国でやることに意義がある。
台湾パチンコ体験ツアーがあるように、海外で初体験するにはツアーでアテンド付きなら安心して行ける。
その逆バージョンを各国の旅行代理店が作ればいい。

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