例えば、業績を上げるコンサルとして必要な知識や問題解決の方程式が1000個あるとするならば、700個くらいは『T』時代に教わって身に染み付いた事なんですよ。
では、どうして『T』がそんなに強いのか?
いま現在、その答えを探しに『T』の店舗に視察に行ったとしても、おそらくその強さの理由は『まったく分からないと思います』(笑)
店舗デザインレベルや販促レベル等、表面に見えるレベルからは、むしろ『ププッ(笑)レベル低いんじゃね?』と感じるはずです。
肝心なのは中身。ですが、業界の中で、Tの中の事情や強さの理由を知ってる人間はほとんどいないんですよ。
秘密主義というワケではないんですが、日本人経営で、かつ、業界団体活動にうつつをぬかしたりしない為、内部の情報が漏れてこない。
また『日本一』だという自覚があるので『セミナーに行って勉強する』とか『他法人から学ぶ』という意識が一切なく、他法人様との交流がほとんどないんですね。
あと、店長や幹部には、『日本一という強烈なエリート意識』とともに、『日本一のホワイト企業』と言っても良いくらいのあまりの待遇の良さに『自分から辞めて他の法人の店長になる』という選択肢はアタマ中にはいっさいありません。ちなみに私が27才で年収1150万円も頂いておりました。
私が入社したのは今から22年前の1993年。
すでに当時、300台クラスを18店舗展開しており年商800億円。その年の申告所得は40億円で、ホール企業では日本一に輝いています。
当時、リクルートの発行する正社員募集媒体『Being【ビーイング】』という求人雑誌がありました。
かなり分厚い本で、当時、パチンコ企業で『Being』に掲載するような組織体のところは『マルハン』『ABC』『ピーアーク』くらいでしたね。
Tはオモテ表紙裏の『表2【ひょうに】』、裏表紙の『表4【ひょうよん】と言われる『ビーイングの誌面の中で一番イイ場所』に掲載し、毎月400万円支払っていたそうです。
月額400万円かけて中途採用するのが月平均2名。『キミにはね、200万円かけてるんだよ!』と人事課長によく言われましたね。
22才の私は迷わず、1店舗あたりの売上がダントツ、かつ、『初任給30万5千円。完全週休2日制。入社2年で釘調整を教えます』という条件のTを選択。
入社1年後には年2回のボーナスが1カ月ずつ計2ヶ月分。1カ月といっても、普通の企業のようにめちゃめちゃ低い基本給がベースではなく、『基本給30万5千円』の1ヶ月なんで、入社1年後には一般社員でも年収420万円になります。3年勤続でハワイ旅行。いま考えると驚異的ですね。
なぜ、高い給料にするかというと、オーナーの戦略がありまして…『他のパチンコ屋の従業員のヤル気を無くさせる為なんだよ。パチンコ屋で同じように働いて、自分の給料が全然低いと知ったらどう思う?やってらんねーだろ?』
ちなみに中途採用でも入社試験がありまして、一般常識や時事問題、国語や算数【数学ではなかったような…】が出題され、円錐の表面積の問題が出て、ちょっと焦ったのは懐かしい思い出。『円錐の問題、アレは一瞬アセったよなー(笑)』は入社した全員に共通する微笑ましい思い出です。
18店舗という、当時のパチンコ業界においては大きな組織でありながらも、昇進に関しては完全実力主義。年四回の昇任試験【筆記、実技、面接】で平等に門戸は開かれています。私は入社1年2ヶ月後の23才で店長にさせていただきましが、過去には『19才で店長』というヤリ手がいたそうです。店長といっても役職は『主任』でしたので、当然みんなからは『主任!』と呼ばれす。『店舗責任者』であることと、『役職』は別でしたので、18店舗中、半分くらいは『主任』で『店舗責任者』でしたね。
『店舗責任者』を『主任』で1年半務め、主任のまま本部に異動し、社長運転手【24才】→店舗開発【25才】→エリア長【26才】→営業課長【27才】となりましたので、私はT時代に『店長!』と呼ばれた事が一度もなく、『店長!』と呼ばれる事にいまだに強烈に憧れます(笑)
ちなみに社長運転手を2年間務めましたが、最初の1年間は運転の事で怒鳴られまくりでしたね。相当ヘコみました。『いまは怒鳴られてコンチクショー!て思ってるだろうけど、将来は絶対に俺に感謝する時がくる!『運転うまいね!』て絶対に言われる時がくるからな』と言われてましたが、確かにその通りでした!いまでは安全運転にはめちゃくちゃ自信がありますね。ホントに大感謝です!もう免許ないケド。
本社スタッフはネクタイ禁止、スーツ禁止でした。『発想をトバせ!ネクタイをするとな、頸動脈が締まって血流が悪くなり、頭に血が行かなくなるんだよ。アイデアが出なくなる。テレビ局の製作の人間がネクタイしてるか?してないだろ?そういうことだ。』でもナゼかジーパンは禁止でしたが…
基本的にメガネも禁止。『自分の弱みを人にみせるんじゃないよ。あと、小学生の時にメガネをかけたいと思ったか?思わないだろ?大人になるにつれて、あきらめちゃうんだよ。ダメな自分を受け入れちゃうんだよ』うーん、納得です。
ブラインドタッチで『分速60文字』が打てないと降格。いまでは当たり前ですが、20年前の話ですからね。本社のパソコンのキーボードにはキーのアルファベットが見えないようにシールですべて隠してました。ちょうどWindows3.1が発売され、これから爆発的にパソコンが普及しようかという頃です。『バカバカしいと思ってるだろ?でも将来は間違いなく役に立って、俺に感謝する時が来る!』と。おっしゃる通りの時代になりまさした。こちらも大感謝!
ラッキーナンバー表示用の台のオビ【なつかしー】や、ポップを社内作成するために、当時はかなり高額なマック、イラレやフォトショップの高額ソフト、1000万円くらいするビデオ編集ソフト、ガラスへ貼る用のカッティングシートを自動で切る1000万円くらいの『ガーバー』という装置、ハイビジョンカメラ等々、あらゆる設備が本社にありましてイラレをさわれるようになったのがあとあと大きかったですね。
『どの釘が入賞に効いてるのか?』を調べるために、ハイビジョンカメラで数時間入賞パターンを撮影し、数パターンある入賞ルートの特定と、『効く釘』が分かった時には、ハイテクってスゴいな!と思いましたね。
つづく

※コメントには必ずハンドルネームを入れてください。コメントがエントリーになる場合もあります。