パチンコ日報

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ヤンキーパンダ流マルハン研究 その2

2002年冬…



マルハン△△店がグランドオープンです。

1040台は△地区では最大。機種は当時、地元では複数BOXはとても入らなかった新海M27が6BOX240台。4号機のミリオンゴッド80台(10年前の記憶なので間違っていたらごめんなさい)などパワー営業全開でした。



開店前の告知チラシはそれほど派手なものではなかったかと思います。



自店のある▲県はチラシの組合自主規制を実施しており、そこに配慮したのかと。もちろん仮説ですから真意はわかりません。ただし、全国○店舗と店舗のある都道府県名は必ず入れていました。



開店数日前にはマルハンのK店長がお茶菓子を持って自店にごあいさつに来られました。



ごあいさつは謹んでお受けいたしました。



現在、マルハンがグランドオープン時に近隣店にあいさつに行かれてるかどうかわかりませんが、その時の印象はとても良かったです。



後日、お返しのお茶菓子を持って伺いました。



数日間にまたがる、台番指定の整理券の配布もソツなくされていて、お客様の導き方と機種の事前告知など多くの学びがありました。



整理券配布時、見知らぬお客様同士の「マルハンが来たし、◎◎(自店の事)が相当、出すやろうね。面白くなるね」と言う言葉が耳に入り、自店への期待が高いことが伝わり、誇らしく感じました。



スタッフ紹介ポスターは北海道・静岡・大阪など、それぞれの出身地が記され、全国から精鋭スタッフが派遣された事が分かる内容でした。



当時、マネージャーの肩書きを持つ方が複数おられましたが、全て制服で、白シャツはK店長のみです。



肩書きを持ちながら、白シャツの威を借りずにユニフォーム姿でソツなく、丁寧に接客される姿には、共鳴しました。



早速、自店の主任にも「制服には戻さないが心構えは学んで欲しい」と伝えました。



グランドオープン時のK店長のあいさつやスタッフ全員のカウントダウンにも有名芸能人に頼らない手作り感、暖か味がありました。



その後、入替合戦、配列の工夫、機械調整、出玉、機種イベント、店内装飾、POP、ポスターなど「取り組みと駆け引き」、「機種イベントや装飾のパクリ合い」がしばらく続きました。



マルハンは交換率の変更、装飾の変更、プチリニューアル(ペンキの塗り替え)、減台など稼働が落ち込む寸前に何かを必ず手掛けてきました。



一方の自店はマルハンにあって自店にないものにはハード面、ソフト面ともにすぐに対応しました。



もちろん社長指示があってこそ対応できたのですが、お互いの取組みは続き、稼働率における明らかな優勝劣敗がはっきりしない状態でした。



しかし、地域全体では稼働率はアップしており、自店のクオリティーもアップしたかと、そう感じました。



ある日、しばらく来店されない常連のおばちゃん(60代)に出会いました。



「おばちゃん、最近来られないですね」



「兄ちゃんばっかりで打てないから…」



「早く来たら?女性や高齢者は優先入場だよ」



「うん。知ってるけど、事情があって、午後からしか行けないの」



当時、自店とマルハンのやりとりは業界誌で「マルハン対○○(地方名)ナショナリズム」と煽り系のタイトルで特集記事として紹介されたりしましたが、本来、大切にしないといけないお客様が誰なのかを、そして、その方々は煽りを必要としているのかどうか。



おばちゃんの言葉は自分自身が「はっ」とした瞬間でした。



と同時に客層・客質を十分には考慮せず、マルハンとの稼働率争いに一喜一憂した自分自身を情けなく感じました。



つづく



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