フィーバー前とはどんな時代だったのか? それを知っているのは業界人でも50代以上の中高年であろう。
昭和53~54年頃のパチンコ業界は、空前のスペースインベーダーブームに浸食され暗黒の時代を迎えていた。初めて体験するコンピュータゲームに子供からサラリーマンまでが熱狂して、喫茶店はゲーム機だらけで、パチンコ店は閑古鳥が鳴いた。
パチンコ台でスペースインベーダーを模したものが登場したが、それで集客を図るには至っていない。
当時の機械は電動役物が搭載されていたが、主役はチューリップだった。
玉が出たり、入ったりするのを繰り返しながら、徐々に玉が増えていく。最後は終了させるのが醍醐味だった。
売り上げは台あたり3000円の時代。いっておくが粗利ではなく売り上げである。
勝ってもせいぜい1万円。
このレベルなら、アンチパチンコ派でも「大衆娯楽」と認めることができるのではないだろうか。
フィーバー前は特殊景品がなく、一般景品だけの店もあった。
出玉は一般景品と交換するのが本来の7号営業の姿だった。
ここまで戻せば、カジノが合法化されても賭博罪との整合性がつく。
「景品の品揃えも台数に見合ったアイテム数を取り揃えるようにとの指導があったが、警察と組合の妥協点の苦肉の策としてカタログ景品でもOKになった。景品を持ち帰らせたいが、それが実現できないままになっている。カタログを認めた時点で景品の持ち帰り運動は、掛け声だけで終わってしまった」と警察関係者は忸怩たる思いを露呈する。
サラ金とパチンコ業界は深い因果関係でつながっていた。
そこにメスが入ったのが貸金業法の総量規制で、専業主婦が簡単にカネを借りれなくなった。
その影響で売り上げが下がったホールも少なくない。
「サラ金の総量規制があった時、次はパチンコ業界というのは当然の流れ。それに気づいていない業界人が多すぎる。今の広告宣伝規制や一物一価の徹底はまさにそれ。今後とも警察が規制を緩めることはまずない」(同)
射幸性の高い機械を出すメーカーが悪い、といってもそれを買ってしまうホールがいるので、機械問題から大衆娯楽に戻すのには一筋縄ではいかない。
機械の規制をしなくても、警察がその気になって換金のための特殊景品にメスを入れたら、一発で業界はフィーバー前に戻ってしまう。

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