パチンコ日報

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業界に足りない幸せと笑顔

パチンコ業界の話ではないが、仕事に対する心構として役に立つので紹介しよう。



来年の1月で66歳になるオーナーパティシエのMさんは、大阪府下で2店舗の洋菓子店を経営されている。高校卒業して辻製菓専門学校で基礎を学び、ケーキの世界に入って48年の大ベテランである。



独立したのは31歳。



その直前に5年間働いていた大阪・帝塚山のポワールの社長に惚れ込み、社長の右腕として店を盛り立てていく。



そして、ポワールを日本一のケーキ屋にしてから独立するという大きな目標を立てた。





当時、1日10万円しかなかった売り上げを5年間で、10倍の100万円を売り上げる人気ケーキ屋に成長させた。



寝ても覚めても、毎日が勉強と研究の日々だった。それは今でも続いている。季節ごとの新製品の開発のために、ケーキのことが片時も離れない。



「おいしさに心を込めることをモットーにしています。それは卵を割るところから心を込める。心を込めたケーキは不思議とおいしく見えてくる。ポワール時代の5年間は、10年分働きました。永遠につづくヒット商品はないので、常に次のことを考えています」



ケーキに対する哲学は人一倍だ。



では、10万円だった売り上げをどうやって100万円にしたのか?



今でもそうだがケーキ屋さんといえば、生ケーキと焼き菓子の2本立てが多い中、Mさんは商品アイテムをアイスクリーム、パン、生チョコレートと徐々に増やしていった。



それに伴い従業員の教育にも力を入れた。



20代の頃から30代前半まで仕事の合間に、卒業した辻製菓では講師を務めていた。人を教えて、育てるのは得意な分野だった。



職人の数も10万円時代は7~8人だったが、100万円売上げる頃には、やはり10倍の80人ほどに膨れ上がっていた。新たな雇用を生んだ。



独立した直後はポワールで人気があったケーキを販売していたが、これがまったく売れなかった。



「地域性に合ったケーキでなければ、売れないことが分かりました。ポワールは高級住宅街でしたが、自分の店はそんな場所ではない。地域のことを一から勉強しました」



方向転換すると評判が評判を呼び、たちまち人気店となった。



「今まで幸せを配ってきた、と自負しています。おいしいものを提供すると何よりも皆さんが笑顔になる。この笑顔が見たくてケーキを作っています」



生まれ変わっても、またケーキ職人の道に進む、というMさん。パチンコ業界で足らないのはこの想いだろう。



パチンコは客に負けてもらって成り立つ商売なので、顧客全員が「幸せ」で「笑顔」になることはない。



ここをクリアすれば業界で働く人も遣り甲斐が生まれるというものだ。







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