劇団四季には全国から多くの入団希望者が殺到する。
と同時に劇団四季から講師して芸術大学などへ出向き、優秀な人材の確保にも努力を惜しまない。
優秀な人材が集まりだすと、人が人を呼ぶようになる=優秀な人材が優秀な人材を呼ぶ。
一流企業に一流大学の学生が集まるのと同じだ。
人気上場企業の人事担当者から聞いた話がある。
「一流大学の学生を採ると、バカを採る確率が少ない」。
組織にはその様な効果が必要な時がある。
大手ホール企業がその効果を存分に発揮している。
優秀な人材を採り始めると、会社が大きくなるに従って、それが将来につながる。マルハンなどがその好例だろう。
劇団員は全て平等だ。
実力があればベテランでも新人でも関係ない。チャンスは平等。
例えば、新しい演目を上演するとき、キャスト選びは「劇団内オーディション」で決まる。
過去の実績は関係ない。
ベテラン俳優も新人も名前では呼ばれない。
全員、ゼッケンに書かれた番号で呼ばれる。
前田美波里(オスカープロモーション所属)
前田美波里は劇団四季の舞台に何度も客演(出演)している。
劇団四季は、実力がありオーディションに合格すれば、劇団員でなくても舞台に上がれる。
前田美波里は「マンマ・ミーア!」のターニャ役で出演した。オーディションではこんなベテラン有名女優でも、番号で呼ばれ、驚いたそうだ。
芸能界での知名度があっても、オーディションでは皆平等、という表れ。
過去にはこんな人も客演していた。
「マルシア」(このマルシアが出演した週に偶然観劇した。名古屋の劇場でアイーダ役だったが、劇団四季の俳優そのものだった)「もんたよしのり」「平幹二朗」「北大路欣也」「越路吹雪」「99の岡村隆史」など。
入団したての新人が、10年選手のベテラン俳優を追い抜くことも珍しくない。
これだけ厳しい人選をした舞台なので、ある一定線の作品レベルは保たれる訳だ。
これが「劇団四季の品質保証」だ。
私は劇団四季だけを観劇している訳ではない。
宝塚歌劇団をはじめ、幅広い劇団を観ている。
東京では小劇団の公演が多い世田谷・下北沢にも足を運ぶ。そこで団員が10人そこそこの演劇も観る。
昔からの贔屓は、三宅裕司主宰の「スーパー・エキセントリック・シアター」(略称SET)だ。
テレビで活躍している小倉久寛や寺脇康文、岸谷五朗もSETの出身だ。
これだけ舞台を観ていると、とんでもない舞台に当たる事がある。
テレビやドラマで活躍しているあの大物タレント出演のあのミュージカル…。
ダンスが下手な出演者がいたり、歌が下手な出演者もいたりする。
そんな公演に当たると、木戸銭の1万円がもったいないと後悔する。
ここで私が言いたい「公演の品質保証」の不履行罪の問題点がある。
これを経験すると二度目の足が遠のく。
これと同じ現象がパチンコホールにあると、お客様の足が遠のくのだ。
釘師を何人も育てたベテラン釘師の格言がある。
「3日間で飛ばした客は戻るのに10日間かかる。1週間で飛ばした客を戻すにはその2倍の粗利を放出しなければ戻らない。1カ月で飛ばした客は半年戻らない。3カ月で飛ばした客は二度と戻らない」
前回提案した「ホールの品質保証書」の大切さがここに生まれる。
「機種構成」「建物」「従業員」「立地」などの問題がないのに集客できないホールは、ここに原因がある。
今年5月30日分まで発売されている「キャッツ」のチケットは、昨年11月9日に発売された。
私は5月30日まで相当数のチケットを確保しているが、安心して購入している。
半年先のチケットに大枚をはたくには、劇団と観客の信頼関係があればこそ。
パチンコホールとパチンコファンの信頼関係とは?
ホール施設も環境も同じレベルで、稼働に差が出るのは、この信頼関係が大きな影響を及ぼしている。
今から15年ほど前、千葉・富里でホールが売買された。次のホールもまたその次のホールも再生できなかった。
敗因は近所に有力店舗があったことと、店名が変わってもお客様の昔からのイメージを変えることができなかったからだ。
運営会社が変わってもそのホールと地元客の信頼関係が損なわれていたので、お客様の足は向かない。
マルハンの運営の上手さがここにある。
私が現役の店長時代、所属していたホール企業は全国で10番目以内のポジションにあった。
マルハンはその上にいた。
当時私はやる気満々で、休日には自費で全国の上位ホール企業を見学して回った。
その時、接客レベルは自分の会社が一番だと改めて感じた。
今から15年以上前、そのホール企業のアルバイトの時給は1500円。アルバイトなのに、宿泊施設がある研修店舗で2泊3日の実践研修と座学研修をしていた。
現在、その企業とマルハンの店舗数は5倍以上の開きになっている。
その間にマルハンは、接客レベルを上げ今日に至っている。
この15年間マルハンを観察して感じたことがある。
それはシリーズ後半で書きたいと思う。
さて、皆さんは映画で泣くことは多くの人が経験しているが、舞台観劇で泣くことは未経験の人が多い、と思われる。
私は舞台観劇も映画も好きだ。
「映画」と「舞台」の差は何か?
自分の目の前で、生身の人間が演じるかどうかの違いだ。
皆さんは、感動で鳥肌が立ち、頭の毛が逆立ち、嗚咽を我慢しなければならない位の感動の涙を流したことがあるだろうか?
同じ演目を何回観ても、同じ場面で泣ける日と、泣けない日がある。
同じ演目を何回観ても飽きない理由がここにある。
ミュージカル「ウィキッド」。世界中でヒットしている演目だ。
あの名作「オズの魔法使い」。オズの魔法使いのもう一つの物語がウィキッドである。
オズの魔法使いは有名なので、物語をご存知の方も多いだろう。
「善い魔女」と「悪い魔女」が出てくるが、この二人の魔女が、どうして善い魔女と悪い魔女にそれぞれなったのかを示すのが「ウィキッド」だ。
副題で「もうひとつの物語」とうたわれている。
ウィキッドの中で、男性でも泣けるシーンがある。
親友同士の二人の魔女が、お互いの気持ちを確かめる様に歌うシーン。
そのシーンの一部がこれ⇒
このシーンでは私も何回も泣けるのだが、上記の様に「感動で鳥肌が立ち、頭の毛が逆立ち、嗚咽を我慢しなければならない位の感動の涙」は1回だけある。
ミュージカル「キャッツ」。ご存知の様に私の一押しだ。
キャッツと言えば、世界的に有名な曲が「メモリー」だ。
初めてメモリーを観て聴いて、泣く人もいれば、泣けない人もいる。
私の場合だが、メモリーを歌う女優によって必ず泣ける場合と、泣けない女優がいるのだ。
メモリーを聴いて「感動で鳥肌が立ち、頭の毛が逆立ち、嗚咽を我慢しなければならない位の感動の涙」の経験が2回ある。
240回観劇して2回。
「感動で鳥肌が立ち、頭の毛が逆立ち、嗚咽を我慢しなければならない位の感動の涙」の経験を一度すると、もう一度経験がしたくてまた舞台に通う。
しかし、ここまで最大限の感動は数年に一度あるかないか。
この最大の感動の理由は、
「観劇者」と「俳優」との相性の問題がある。
また、観劇者のその日のコンディション=つまり心の中の状態、が大きな影響を及ぼすのだ。
自分の子供が生まれた時の感動や映画で感動した状態とは違う感動が舞台にはある。
感動とは人それぞれだし、状況によって違う。
しかしその感動を味わう機会が少ないと、その経験の少ない人は、相手の気持とかを深く理解できないのかも知れない。
皆さんはパチンコファンの感動を考えたことはあるだろうか?
パチンコファンが感動するツボは何か?
ホール内でのお客様の感動とはなんだろうか?
つづく
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