映像はラジオペンチを使った釘調整、島の中に従業員が入って1台1台に補給する有人機の時代から始まる。
劣悪な労働環境から従業員を解放したのが、西陣の「宇宙パイプ」だった。アウト玉はドブを通して、地下の玉場に集められ、それをエレベーターで2階の司令室に運ぶ。
司令室には無数のパイプの穴がある。玉が切れると豆電球の信号で台番号が分かる仕組みで、パイプを通して、手動で玉を送り込む。
当時としてはこれは画期的な“オートメーション”だった。
西陣の関係者が見たら涙が出てきそうな映像だ。
中古機の洗い屋さんも登場する。セル版を洗剤を使って洗浄した後、風車などを打ち代えて地方に発送する。
景品の買取から暴力団を排除するために作られた大阪の福祉も紹介されている。
「善悪の疑問は残るが暴力団排除につながった」
名古屋市では戻ってきた特殊景品の包装をやり直す作業場の様子も。この時代から自動包装機が活躍している。
最後のナレーションを書き起こしてみた。
「戦後18年、日陰で育った商売であり、カビが生え、腐った部分もある。しかし、その腐食を指摘するには、その商売、その文化の全体を把握しなければならない。
私たちにはあまりに身近な日常茶飯事には、真剣な考慮を払ってはいけないとする錯覚がないだろうか。思考や思想にはもっと高邁なものに向けられるべきだ、という誤解がないだろうか。
このパチンコ玉一つでもそれを凝視すれば、その背景に思いがけない重みのある現代が横たわっているのである」
この時代はまだパチンコは日陰者扱いである。
この放送から50年近く経った現在、パチンコ業界は大きく変わったが、3店方式は未だに日陰者扱いだ。
折りしも、大阪地裁で景品交換所もパチンコ店の営業面積と捉え、小学校から景品交換所が100メートル以内にあるので、公安委員会に対して営業許可を取り消しを命じる判決が出た。
ただちには違法とはいえない3店方式を真剣に論じる時期が来た。

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