年齢は77~78歳になる常連客が5年ぶりに来店したことから物語は始まる。
「会員証を失くしたので、また作ってくれないか?」
応対した契約社員はこのおじいちゃんのことを覚えていた。そこから会話が弾み、おじいちゃんの5年間が明らかになって行く。
ほぼ毎日来ていたこのおじいちゃんが、パッタリ姿を見せなくなって、常連客の間では「倒れて死んだ」という噂が広まっていた。
来店しなくなった理由はこうだった。
老夫婦2人で暮らしていたが、おばあさんの方が5年前に他界した。これをきっかけに1人暮らしになることを心配した息子さんが、自分が住む鹿児島へ呼び寄せたのであった。鹿児島は息子さんの奥さんの実家で、農業に勤しんでいた。
鹿児島でも近所のホールへ通った。ところが、お年寄りが喋るネイティブな鹿児島弁は意味がさっぱり分からず、客同士の会話も弾まなかった。コミュニケーションが取れないので仲良くなる客もいないので、ホールへ行ってもちっとも楽しくなかった。
鹿児島のホールで感心したのは景品が地産地消だったこと。鹿児島では昔から食べられているお菓子のあくまきが人気だった。そのほか、地元の和菓子屋のお菓子はそのホールでしか扱っていなかったので、わざわざ交換してお土産に持って帰る客が多かった。
おじいちゃんは1パチ専門だが、営業的にも鹿児島の方がよく回った。地元密着営業を実践していることを感じた。
では、なぜ、5年ぶりに千葉に戻ってきたか、というと、元々息子夫婦の下で暮らすのは居心地がいいものではなかったが、離婚をきっかけに家がある千葉へ息子と2人で帰ってきたのであった。
千葉へ帰ってきて再びマイホールへ通い始めたのであった。
「自分の余生はパチンコしかない。千葉へ帰ったら真っ先にここに来たかった。でも、前いた常連客が随分いなくなっているので、寂しい。毎日来ていた人も週1ぐらいに減っている。久しぶりに会った人からは『死んだ人が来ている』と言われてビックリしたよ」
50代の息子さんは財産分与でそれなりの蓄えはある。千葉は持ち家なので家賃の心配はいらない。就職活動もしなければいけないが、おじいさんに誘われて生まれて初めてパチンコをするようになった。今では週2~3回通うようになった。
「パチンコ屋にいる間は何もかも忘れることができる。家に閉じこもっていたらノイローゼにもなるところだが、息抜きになっている」と息子さん。
この話を聞いて店長はこう話す。
「最近は依存症ばかりがクローズアップされて、パチンコの意義に悩んでいる従業員もいる。こうやってパチンコを楽しんでいるお客様もいるので、業界のイメージを変えて欲しい」
1996年7月に日テレ系で放送された「グッドラック」は、松本明子が主役(パチンコホールオーナーの娘役)を務めたパチンコ店を舞台にしたテレビドラマだった。当時はパチンコに対する悪いイメージがあまりなかったから、ゴールデンタイムに流すことができた。
1996年の遊技人口と市場規模は、2760万人、30兆円産業といわれ、パチンコ業界の黄金期だった。
等価交換もなければ、一物一価もない時代だった。
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