パチンコ日報

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パチンコの楽しさを奪ったセブン機

三共のフィーバーが登場する2年前まで時間は遡る。

当時は高校生が学校が終わると、制服を私服に着替えてパチンコを打っているような緩い時代だった。その高校生たちと夫婦のパチプロの話だ。

高校1年になると仲間3人で地元で優良店といわれていた武蔵小金井の「ダイヤモンド」へ通うになった。平日は夕方からの終了台の抽選開放が狙いだった。毎日のように通ううちに、常連客の顔も覚えてくる。その中に、40代の夫婦連れがいた。ほとんど毎日のように見かけるので、高校生たちは夫婦でパチプロだと思い込んでいた。実際、毎日のように打ち止めにしていた。ちなみに、当時は3000発終了だったが、夫婦が打ち止め台の抽選に並ぶことはなかった。

釘を見る目と技術で2人で3~4台は打ち止めにしていた。

高校生たちは仲間内で、旦那の風貌から豚鼻のブー、とかデブと呼んでいた。

時間は現在まで戻る。

高校生だった彼らは今や50代。地元の居酒屋でブーに再開することになる。声を掛けてきたのはブーの方からだった。すっかりおじいちゃんになっただけでなく、痩せているので当時の面影は豚鼻だけだった。

「あの時のプロのご夫婦の方ですか?」

「俺たちがパチプロだと思っていたのか? それは違うよ。当時からアパート経営をしていて、やることがなくて暇なんでパチンコを打っていた」

瞬く間に当時にタイムスリップした。

「1日で2人で2万円稼ぐのを目標にしていたな。月50万円は稼いでいたよ。それが快感だった。でも、セブン機が出てからおかしくなって来た。セブン機が増える分、一般台が減って行って月50万円稼ぐのも無理になった。セブン機が半分を占める頃には2人で1台打ち止めにするのがやっとになった。セブン機が出てからパチンコがつまらなくなった。打ち止めする達成感がなくなった」

奥さんの方は7が揃うのが快感だったが、おカネがかかるのが嫌で、夫婦はホールから足が遠のくようになった。

「チューリップ台ならオレは2時間で終了していたが、素人なら4時間はかかっていた。プロがいるから打ち止め台も出る。それが抽選開放に回る。プロを認めてくれた店は全体的に流行っていたよな。逆にプロお断りの店は客も少なかった。あの頃はプロと店が共存共栄できていた」

話がひとしきり盛り上がったところで、「うちに来ないか? 」と誘われた。

家に行って驚いたのは35年以上も前の古いパチンコ台が30台ほどコレクションされていただけでなく、4台分の島設備が設えられて打てるようになっていた。

そこで昔のボクシングを打ってみたら、これが懐かしさだけでなく、今でも打って面白いことに気づいた。チューリップ台を打ったら、Wで入ると再びチューリップが開いた。小さな喜びを感じた。

「メーカーの人も昔の台の方が作っていて楽しかったはずだよ」

ブーがパチンコを止めた理由は、デジタルは遠隔していると信じ込んでいるからだ。あれだけパチンコ好きだったのに、ブラックボックス化された今の抽選機は信用していない。

「自分の目で見て、自分の力で打ち止めしていたから、パチンコは楽しかった」

やはり抽選に可視化できる要素を加えることが必要になって来る。


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