パチンコ日報

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手打ち式ハネモノを作ったホール従業員がいた!

かつて、電動ハンドルの父を取材したことがある。発明したのは広島県呉市のホールの経営者だった。手打ち式は長い時間打っていたら手が疲れる。ハンドルを押さえるだけで玉が自動的に飛び出したら、お客さんが手の疲れから解放される、との想いがあった。ホール経営者の気遣いが、電動ハンドルを生み出した。

昭和48年に認可。当時は発明者の名前を取って日野式とも呼ばれていた。初号機の電動ハンドルの形状は、見た目は手打ち式のハンドルそのまま。レバーを押さえるとスイッチが入り、モーターで玉を打ち出して行った。

手打ち式と違って客の技量に関係なく、玉を打ち出すスピードは一定になった。確実に1分間に100発の玉を打ちだすことができるようになったが、それが逆に射幸心をそそる、という理由から電動ハンドルの導入を自粛する組合もあった。

昭和50年代の半ばごろまでは手打ち式と電動が混在していた。

ハンドルの歴史のおさらいはこのぐらいにして、先日、元店長が手打ち式ハネモノなどの電役モノパチンコを開発することをメーカーに提言するエントリーを書いたが、実は、実際に手打ち式ハネモノが存在していた、という話だ。

今から25年以上前の話だ。北関東のホールに、パチンコ台を全部ばらして、再び完璧に組み立てることができる従業員がいた。メカが大好きでパチンコ台の修理はお手の物だった。不要になった台の盤面に新たに釘を打ちこんで、自分なりのゲージを作って楽しんでいた。

ホールの倉庫には部品取り用の廃棄台が山のように積まれていた。そこから、古いゼロタイガーを引っ張り出してきて、手打ち式アレンジボールの枠にはめこんで、手打ち式のハネモノを作ってしまった。

文字にすれば簡単そうに思えるが、アレンジボールの枠にゼロタイガーの盤面を取り付けるには、改造に次ぐ改造の連続で、相当の苦労があったようだ。

実際、試打してみるとこれが、電動の何倍も楽しい。ハネが開くタイミングを手打ちで狙うことができる快感は、想像以上だった。ハネモノがより面白くなった。まさに、手打ち式だからこそできる、技術介入の醍醐味がそこにはあった。

電動ハンドルの父には悪いが、電動ハンドルでは技術介入度が少ないといえる。

手打ち式パチンコが40年ぶりに復活したが、長時間打っているとやはり手が疲れるという声も多いが、技術介入を色濃く発揮できる手打ち式ハネモノがあると、腕の疲れもいとわないぐらい遊技に熱中できるかも知れない。

技術介入ができるメリットを最大限に活かす手打ち式電役機の登場が待たれる。



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