パチンコ日報

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有終の美を飾りたい…第5話

閉店まで20日間、ここまでスタッフは前向きな姿勢で良く頑張ったと思う。



本当に感謝の気持ちで心が一杯だ。



心配された稼働も落ち込まずになんとか維持出来ていた。ここまでくれば、最後の営業日まで稼働維持ができると思った。



少しばかり話が逸れてしまうが、娯楽とは言うまでもなく余暇にする遊びや楽しみであり、また楽しませることだと個人的には思っている。



現在のパチンコは、娯楽の域を明らかに逸脱し続けてきたと思う。遊技機もベースが低すぎて普通の感覚の人間だと正直なところ遊べない。



30年も前の昔話をしたくはないが、当時のゼロタイガーやキングスター等のハネモノに魅了された時代が懐かしい。



盤面両サイドには、クルクル回るチューリップや天穴に入賞してもどちらかが回ったし、玉持ちには重要な役物だった。



現在と比較すると接客やサービスがお世辞にも良いとは言えなかった時代だが、毎日のように足を運んだ。その時代は、3000円もあれば十分に楽しめたと記憶している。



娯楽場で働く我々は、お客様を楽しませる仕事をしているのだ。現行の4円パチンコなら、僅か30分で1万円近くの遊技玉を消費してしまう。



本来のパチンコ遊技を楽しむことができなくなったことが、大幅なファン減少につながっていると思う。



パチンコをしたことのないスタッフも数多く存在する時代になった。その様な現状を踏まえると、このままではさらなる客離れは避けられないと思う。



話を戻そう。



私が勤めていたホールの常連のお客様は、年配者の方が非常に多かった。ホールで働くスタッフを子供や孫のように本当に可愛がってくれた。



店内壁面にセピア色のお客様とスタッフのスナップ写真をA1サイズで貼り出した。芸能人来店時の記念写真等もあり、懐かしい写真にお客様もスタッフも目を奪われ談笑していた。



店内は時間帯によって年配のお客様が好まれる演歌や懐メロを音量を小さめにして流した。



島端に天井から吊したテレビは、お客様の要望に最大限に応える形で競馬、野球、サッカー等のスポーツ中継を中心に放映した。



小さいながらの休憩コーナーにも最新の週刊誌や新聞等を置いた。カウンターには給湯ポットを置いて、カップ麺等も食べられるようにもしていた。



何よりも感謝の気持ちを込めて、笑顔でお客様への対応を常に心がけた。



閉店日のサプライズとして、弊社代表からお客様へ一輪ずつ花束をプレゼントしてもらうことを企画した。もちろん総付景品の範囲内でだ。



新鮮野菜の仕入れ、デパ地下の人気商品仕入れ、お正月の書き初め、年末の競馬予想、店舗の歌作りなど、各スタッフもそれぞれの思いを込めて、最後の準備に追われていた。



このように、最後となるお客様への最大限のおもてなしの数々を実施しているうちに、閉店日が刻々と迫ってきていた。



同時に長い間、苦楽を共にしたスタッフとの別れの時が近づいてきた。スタッフの今後の進路も現実的に考える時期に入っていた。



出来ればこの業界にとどまって欲しいのだが…。



この時点で閉店7日前だった。





つづく





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